そう、これはただの現実逃避である。

 半分くらい桜が散った四月の中旬。ほのかに赤みがかった東の空と共に、どこからか鳥の鳴き声が聞こえ始める。南から吹く涼しい風に春を感じ、制服の袖から吹き込むそれで鳥肌が立つ。


 そのことに風情を感じていると、不意にすぐ横からパンっ!と大きな音が聞こえた。ぶち壊しである。下がる気持ちを抑えながら横を見れば、そこにはピンクの頭。ついでに付属品の首から下には、ゆるゆるのネクタイと着崩された黒セーラー。


 校則違反を体現したような格好のピンク頭は、出来れば関わりたくないという僕の気持ちなんか知りもせず、横で缶ジュースを飲んでいた。奢るからと言って恩着せがましく缶コーヒーを渡して、逃げにくくしてから僕をベンチに座らせた。突然自然に風情を感じていたのは、なんてこともない、ただの現実逃避である。奇行を繰り返すタイプの少年だった僕は、おおよそ一般的な侘び寂び風情を感じる機能が退化していた。


 これはこれから誰もが認める普通になろうととしている僕にとってはあまり好ましいことではないので、少しずつでも練習しようと思ったのだ。練習を重ねれば、僕のような奇行種でも普通になれる。そう証明するために……


「ねえ、コーヒー飲まないの?ホットじゃないんだから握りしめて嬉しいものでもないでしょ?」


 証明するために、まずは自然を慈しめるようになろう。そう思って膝まで登ってきたクロアリを見つめていたところ、パッと払ってアリの努力を無にしながらそんなことを聞いてきたのは隣のピンク頭である。アリの努力とともに、現実逃避しようとしていた僕の努力まで台無しにしてくれた、恐るべきピンク頭の不審者だ。


「ごめんなさい、気持ちは嬉しいんですけど、やっぱり知らない人からもらった飲み物には抵抗があって」


 冬場の缶ポタージュのように握りしめて、少しぬるくなったブラックの缶コーヒーを購買者に返そうとすると、ピンク頭は“一度あげたものを返してもらうのは粋じゃない”と言って押し返してきた。そもそも渡された時にもいらないと言っていたことは覚えていないらしい。髪の色にピッタリなおめでたい頭をしているのだろう。


「そんな事言うなよ少年。ほら、ここはお姉さんの顔を立てると思って。それと知らない人から食べ物もらっちゃいけないのは変なものが入っているかもしれないからで、このコーヒーは自販機で買った安全なやつだから大丈夫!」


 それとも私のお金で買ったコーヒーが飲めないって言うわけ!?と酔っ払った先輩みたいなことを言うピンク。よくわかってるじゃないですか、まさにそう言っているんですよと返してやると、子供みたいに頬をふくれさせる。沢山空気が詰まった頬袋は本人の頭を暗喩しているのだろうか。つっついて潰したい。


「なんだよぅ、そんなに冷たくすることないじゃんかよぅ。同じ高校の制服を着ているよしみで仲良くしてよぅ」


 つっつきたい欲求にかられながら、でも不審者を突くのは普通の人の行動ではないので我慢する。そうやって内なる自分を抑えていたら、ピンク頭は何を勘違いしたのか涙目になりながらヨゥヨゥと鳴き出した。ラッパーごっこなら一人でやればいいのに。


 少しそのまま無言でにらめっこをして、目を潤ませながら鳴いているピンク頭の珍妙さに笑いが漏れてしまう。始めてもいない勝負は僕の負けで、不審者を見る時の表情は崩された。なお、表情の参考元は日頃の僕を見る時の妹である。


 僕が普段家族からどういう目で見られているのかは置いておくとして、にらめっこ状態が終わったことで眼の前のピンク頭は何を思ったのかにへへと笑顔になった。眼の前の人が笑顔だと自分も釣られて笑顔になってしまうその習性は、まるで未就学児のようである。


 そんなふうに考えることで、眼の前の珍生物の笑顔が可愛らしいと思ってしまった自分の気持ちを紛らわせ、負けた気分になったので大人しくコーヒーを開ける。苦くて黒い液体に顔をしかめそうになるのを我慢し、美味しさのわからないそれを飲む。普通じゃないことだけでなく、大人っぽいことにも憧れていた僕にとって、ブラックのコーヒーを我慢しながら飲むことは慣れっこだった。


「少年、ブラックコーヒー飲めるんだね。てっきり飲んでくれないのは苦手だからかと思ったのに」


「……その、少年って呼び方なに?年齢も多分同じくらいなのにそんな呼び方されると気になるんだけど」


 大きな目をパチクリさせながら、すごーい、私は飲めなーいと雑に感心して見せるピンク。その呼び方に少し思うところがあったので、口の中に残る苦みに耐えながら質問すると、ピンクはなぜかうれしそうな顔をした。


「うんうん、やっぱり敬語なんてない方がいいよね。距離感じちゃうし、なんかさみしいもんね」


 やっぱり仲良しが一番、ラブ&ピースだよと笑うピンク頭は、どうやら僕の敬語が崩れたことを喜んでいるらしい。見ず知らずの高校生にタメ口使われることを喜ぶこれの思考回路が、僕にはわからない。というか質問に答えることもなく勝手に自己完結して喜んでいる不審者の考えなんてわかりたくもない。


「ああほら、呼び方はあれだよ。私君の名前知らないし、君も私の名前知らないじゃん。だったら年下っぽいし、少年って呼べばいいかなって。それとも後輩ちゃんって呼ばれたほうが嬉しいかな?」


 あーあ、君が自己紹介してくれれば、普通に名前で呼べるのになあ。なんてこちらを伺うピンク頭。見た目的には僕と同じくらいに見えるのに、本人から見ると違うらしい。人のことを後輩呼ばわりするのだから、この人は年上、高校二年か三年なのだろうと考えたところで、不審者の素性を考察するという行動の無意味さに気が付いてやめる。


「ごめんなさい、知らない人に名前教えるのはちょっと……」


 ついでに、流れで名前を聞かれたが教えるのは拒否。小さい頃から両親に、知らない人に名前を教えちゃいけませんと教えられてきた僕は、その言いつけを素直に守った。1年ほど前であれば、逆に自分の名前を言いながら何かしらの奇行をするくらいはしていたのだが、僕はもう家名を汚すような行為は卒業したのだ。


「名前くらいいいじゃんよぅ。クラスではどうせ自己紹介も済ませたんでしょ?なら今更名前知っている人が一人増えたところで誤差じゃんよぅ」


 仲良くなりたい相手が増えて名前を教えるのであれば一人は誤差だが、できればもう関わりたくない、名前も知らないピンク頭の不審者に教えるのは誤差ではない。そう言うと一方的に自己紹介をしてこようとしたので耳をふさいで拒絶すれば、ピンク頭はプクっと頬をふくれさせて抗議した。


「なんでそんなに嫌がるの!いいじゃん名前くらい教えてくれても!贅沢な名前だねえとか言わないし、呪いをかけたりもしないのに!」


 知らない人、不審者に名前を教えたくないからである。


「じゃあ知ってる人になればいいの!?たくさん話して仲良くなれば教えてくれるの!?」


 正直に言うと、名前も知らない通行人Cを相手にここまで執拗な絡み方をして、意地になって名前を聞こうとする人が怖いのである。怖い相手なので、仲良くなりたいと思わないし、今だってできるのであれば逃げたいと思っている。


「うぅ……私はただ少年と仲良くなりたいだけなのに」


 それが怖いのだ。納得できるような理由がないのに仲良くなりたがる人はこわい。


「……もういいもん。そんなに嫌がるんなら帰ればいいんだよ。またねっ!」


 ぷいっ!とそっぽ向きながら、バイバイっ!というピンク頭のお言葉に甘えて、家に帰る。怒って拗ねたような態度を取りながらまた僕が来ること自体は疑っていない様子なのが少し恐ろしいが、僕にもここに来なければいけない理由があるのでその言葉通りになってしまう。


 ひとまず今日のところも収穫がなかったことを確認して、未練がましく追いかけてくる二つの目から逃げた。


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 良さげなタグとかキャッチコピー思い付いたらください(╹◡╹)タリキホンガン

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