第110話 弟妹の決意

 さらに二か月が経った。


 現在、クロイサ街は――――大流行している。


 屋敷から見下ろすと街並みには、人、人、人、また人。人で溢れている。


 観光地として王様に認められたことから、王国中から旅行であれば誰でも訪れることができて、さらにグッドマル商会とルデラガン伯爵家とエンブラム伯爵家の協力で、王国ほぼ全土に馬車の定期便を設置。それには多く王国民が乗りクロイサ街まで旅行に来ている。


 彼らの一番の目的は、やはり――――誰でも入れる大型温泉施設“大浴場”。高級温泉旅館程じゃないけど、温泉に触れれば傷も癒えるし、何かしらの事情で傷跡が残っている女性にはとんでもない人気だったりする。


 もう一つは母さんとクロイサ街の料理人達が精力的に作った食べ物の屋台も名物となり、多くの人が笑顔で買い食いをしながら、楽しい時間を過ごしていた。


 部屋の窓からのんびりと街並みを眺めていると、ノック音が聞こえてきた。


「どうぞ~」


 扉が開くと、白色メインで黒の刺繡などが特徴になっている可愛らしいメイド服を着たリンが軽やかに入ってきた。


「ご主人様~おはよう~」


 ご主人様なのにタメ語である。


 リンにはそろそろメイドをやめてもらってもいいと伝えたんだが、本人は俺専属メイドでいたいと聞いてくれない。


「おはよう。リン」


「ルアン様とソフィア様が今日どうしても会いたいって~」


「ルアンとソフィアが? わかった。二人はどこにいるんだ?」


「ルアン様は放牧場、ソフィア様は孤児院だよ~」


 弟は最近ドックランこと放牧場に毎日行ってるし、ソフィアも毎日孤児院に行ってる。


「わかった。すぐに行ってみるよ」


「あ! 待って! ご主人様」


「ん?」


 ダダダッと走ってきたリンが、俺の裾を整えてくれる。


「領主様が身だしなみを崩したままだとダメだよ?」


「あはは……ありがとうな」


「ううん! 私も一緒に行っていい?」


「おう。飛んでいくけどいいか?」


「あい! またご主人様と一緒に飛びたい~」


「お、おう……」


 さっそく、リンをお姫様抱っこして部屋のテラスに立つ。


「レイ。よろしく」


 そう話すと、背中に黒いマントが出現。直後にガバーッと開いたそれは、黒い翼のようにも見える。そして、本物の翼のように羽ばたくと、俺の体が宙に浮いた。


 最初はできなかったけど、思いつきでやってみたらなんて翼になってくれて――――空が飛べるようになった!


 テラスから一気に空に羽ばたき、放牧場に向かう。


 レイの飛行モードだが、ポチの全力疾走くらい速い。単純な速度ならポチの方が速いけど、レイは空を飛ぶので入り組んだ道ならレイの方に軍配が上がるのは言うまでもない。


 ただ……一つだけ悪い点があるなら、リンのように抱き抱えないと一緒に乗れないこと。そもそも乗ってるわけじゃないしな。


「わ~い! 空飛ぶの楽しい~!」


 うちの婚約者さん達や妹、母さん達もこうして空を飛んでみたけど、みんな反応が様々で面白かった。


 ちなみにリンが一番はしゃぐタイプ。次点でリサが一番冷静に空の旅を楽しんでいる。


 レイはポチ並みに知能が高く、俺の意志をダイレクトに組んでくれる。俺が一々命令しなくても目的地まで飛んでくれるのはとても助かる。


 放牧場の近くに着地した。


「レイ。ありがとうな」


 嬉しいのか、小さくパタと羽ばたいたレイが消える。


「いつ見ても不思議なマントだね~」


「ああ。生きてるんだぞ?」


「いいな~私も欲しい!」


「リンも空が飛べたらあと二人と一緒に移動できるのは楽そうだな」


「やっぱいらない」


「え……」


「ご主人様~ルアン様が待ってるよ~」


 リンに手を引かれて放牧場に入ると、放牧場で雇われた魔獣使いの従業員に混ざって、一緒にホース達や他の家畜達の世話をしていた。


 他にも冒険者の魔獣使い達の魔獣も預かっていて、ご飯をあげたり、世話をしたり、自由に遊ばせたりしている。


 意外なことに、人に懐いた魔獣達はお互いに喧嘩をしたりはしないみたい。普通の動物と違う点はここかも知れない。


「ルアン」


 俺の声に反応した弟が振り向くと手を振って近くの従業員に何かを話してからこちらに走って来た。


「兄ちゃん! 来てくれてありがとう!」


「なに水臭いこと言うんだよ。俺達兄弟だろ? 遠慮なんてしなくていいさ」


 すっかり男らしくなったルアンが笑顔を浮かべる。


 最近ここで手伝いをしているからか、体付きも良くなってきた気がする。


「兄ちゃん……今日はお願いがあって会って欲しかったんだ」


「お願い? どうしたんだい?」


「……僕、ここで魔獣達に触れて思ったんだ。僕は魔獣使いではないんだけど……ここでいろんな魔獣達の世話をして楽しいって……だから…………僕にここで働かせて欲しいんだ!」


 毎日ここに来ているから、いずれ言い出すとは思ったけど……そうか。もう二か月も通って弟の心は決まったみたいだな。


 もちろん拒むつもりは全くない。


 ただ一つだけやって欲しいことがあるから、その約束を取り付けたい。


「一つ、条件がある」


「うん……! 何でもやる!」


「来年、ルアンも学園に入る歳になる。王都貴族学園に入って欲しいんだ。だからそれまでは自由にしてくれていいし、学園に通いながらここで働いてくれる分には構わない。学園をしっかり卒業して将来自分がやりたいことの足しにしてもらいたいんだ。もちろん、放牧場をより大きくするのも良し、受け入れる魔獣を増やすのも良し、ルアンが何らかの魔獣を飼うのも良し。それは兄ちゃんが全力で応援してあげるから、まずはいろいろ学ぶことが条件かな!」


「兄ちゃん……うん! そうする!」


「ルアン。やりたいことが見つかった良かったな」


「うん!」


 最近、父さんや母さん、妹がやりたいことをやっている姿に触発されたのか、ルアンも自分が何をしたいのか、何をやって嬉しくなるのか悩んでいたみたいだけど、まさか魔獣に関わる仕事がいいなんて思いもしなかった。


 確かにポチを大事にしたり、もう一人の弟のグレンを誰よりも世話してくれてたから、きっと生き物に関わるのが楽しいんだろうね。


 すっかり大人な顔になった弟の頭をわしゃわしゃと撫でると、「もう子供じゃないよ……兄ちゃん……」とちょっと困った表情を浮かべる。


 その姿を見た他の仲間達が大声で笑った。


 どうやら仲間達とも上手く行っているみたいで良かった。


 領主の弟という立場はきっと難しいと思うけど、前向きに大事なことを忘れない弟なら大丈夫だろう。




 今度はまたリンと一緒に空を飛び、放牧場から孤児院にやってきた。


「「「「わああああ~! 領主様だああああ~!」」」」


 小さい子供達が波のようになって俺に抱き着いてくる。


「ねえねえ~領主様~みてみて~!」


「領主様ぁ~! 抱っこ~!」


「わ~い! 領主様だ~!」


 子供達は遠慮などなく、俺の足にしがみついたり、背中や腹を上る子までいる。


 ははは……よくしてくれるのは嬉しいけど、いつもこんな感じになるから孤児院は実は苦手なってりする。


 子供が嫌いってわけじゃないけど、そもそも人と接するのが苦手だから……これがビジネスなら何となかるんだけどな。ビジネス笑顔とか。


「お兄ちゃん?」


 子供達の奥で驚く妹が見えた。


「あはは……子供達にまた囲まれてしまった」


 妹はそんな様子の俺に向かって、困ったように笑顔を見せる。


「は~い。みんな~領主様とお話するから違うところで遊んでね~」


「「「「は~い!」」」」


 ソフィアの声に子供達がダダダッと他の場所に流れていく。


 昔動画で見た満潮が引いていくようだ。


 貧民街だった頃にも子供達はいて、彼らはこんな感じで寄っては来なかった。むしろ、どこか距離を置いてこちらの出方を伺っていたのに、ここの子供達はとてもフレンドリーだ。


 まあ……嫌な気はしないのでいいんだが、いかんせんそれに応えられない自分が少し情けない。


「いらっしゃい~お兄ちゃん」


「ああ。みんな楽しそうにしていて良かった」


「院長のおかげだよ~」


 院長というのは、王国内で唯一孤児を自由に受け入れられる権利を持つディアナのことだ。彼女が院長にならなければ、孤児院を経営することはできない。


 遠くから俺に向かって元気いっぱいに手を振る赤い髪の女性が目に入る。


 俺も右手を上げて彼女に応えると、周りの子供達も一斉に俺に向かって手を振る。


 ディアナは最近ほぼ毎日孤児院にいるし、屋敷に戻ることなく孤児院で子供達と一緒に寝ている。


「やっぱ院長すごいなぁ」


「そうだな。言うだけなら誰でもできるけど、彼女の行動は本気そのもの。子供達に伝わるのも頷けるよ」


「うん……あのね、お兄ちゃん」


「ああ」


「私……シスターになりたい」


 シスターはオルレアン教の女司祭になりたい――――という意味ではない。ここ、孤児院で働きたいということだ。


「子供達と一緒にいるとね。すごく楽しいの。それに……」


「それに?」


 ソフィアは俺に左腕に優しく絡み付いた。


「ポロポコ村の頃からみんなの顔に笑顔なんてなかったのに……お兄ちゃんが頑張ってくれて村人達もそうだし、友達もみんな笑顔になってた。昔はよくわからなかったけど今ならわかる。みんなが笑顔でいることが本当に難しいって」


「ソフィア……」


「でもディアナお姉ちゃんやお兄ちゃんはもっとたくさんの人達を笑顔にしてくれる。私には二人のようにはできないって思ってたけど……ここで私もたくさんの子供達と触れ合ってすごく元気をもらえるの。お兄ちゃん達みたいに誰かのためにできることがあるって」


 ソフィアは満面の笑みを浮かべてそのまま俺を見上げた。


「だからここでシスターになって、もっと人を幸せにするにはどうしたらいいのか考えたいんだ! だから……シスターになってもいいかな? お兄ちゃん……」


 俺はゆっくり右手を伸ばして、妹の頭を撫でてあげた。


「わかった。ソフィアがそうしたいのなら。但し、二年後には王都貴族学園に入ってもらうけどいいかい? いろんなところでたくさん学んで、嫌なことも嬉しいこともたくさん経験して、もっと広い世界を見てからソフィアがよりしたいことやできることを増やしていこう」


「うん! 私、頑張る!」


「ああ。ソフィアならできるさ。ディアナもすごいかも知れないけど……ここで子供達と心を通わせているシスターさん達もソフィアも本当にすごいんだからな?」


「えへへ~」


 ポロポコ村に居た頃からソフィアは村の子供達の中心にいて、誰とも簡単に仲良くなるし、本当にすごいと思う。


 孤児院に来てからも子供達に心から繋がれる彼女なら、きっとシスターに向いているかもね。


 それから妹に連れられ、ディアナが行っている学習時間に参加することになり、子供達と一緒に勉強時間を堪能した。


 みんな学びたい姿勢がとても高い。でもみんながみんな頭がいいわけではない。理解するのに時間がかかる子もいるけど、誰一人置いていくことなく、子供達も一体になって教えたりする姿に心の奥が温まった。






 そんな日々を送り、意外と平和は日々が過ぎていく。


 何か大きな事件もなく、クロイサ街は順調で、学園生活も順調だった。


 ――――だが。


 入学から一年が終わり、俺達が二年生になろうとした頃。


 ついに――――台風の前触れのような静けさは終わりを告げることになった。


 一年生最後の授業を終わらせた俺は学園長に呼ばれた。

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