第99話 勇者を背負う少女

 ◆ディアナ◆




「ワフッ!」


 全力疾走してくれるポチが、私に声を掛けてくれる。


 彼が何を言っているのかはわからないけど、ご主人様に似ててきっと心配してくれているんだろうね。


「ありがとうね。ポチ」


 通り過ぎる景色は、私がこの世界に転生して久しく感じることのできない、新幹線のような……あの高揚感を思い出させてくれる。


 いくつかの町を通り抜けて、空から日が落ちそうな頃。


 近くの丘の向こうで大きな爆発が見えた。


 跳ねあがる心臓の音に自然と拳に力が入ると同時に、爆発の大きな音が遅れて響いた。


「ガフッ! ガフッ!」


 ポチも何かを感じ取ったのか、爆発している方に走った。


 少しずつ爆発の元が見え始めると、そこに広がっていたのは――――大都市ブレイブリーの城壁に多くの魔獣が群れていて、城壁から魔法を放って魔獣を殲滅している正規軍の姿が見えた。


 ポチが一瞬足を止めて戦場を眺めると、今度はブレイブリーに向かって全力で走り始める。


 私は腰に掛けている剣の柄を握りしめて、戦場を睨み付けた。


 やがて城壁の前に着いたポチは、そのまま城壁を難なく上り、街の中に入って最前線の西門に向かって走ってくれた。


 城壁から見える魔獣の群れは、今まで見たことがない地獄絵図そのもので、“ワールドオブリバティー”でさえも見たことがない光景だ。


「お父様っ!」


 私の声に腕を組んで戦場を眺めていた大男――――お父様がこちらに視線を向けた。


「娘か。その狼は……あの男の従魔だったな」


「はいっ! ディオニール領に用事があって寄っていたのですが、ルドロン街で魔獣の暴走が起きたって聞いて……」


「うむ。どうやら魔獣はずっとこちらに向かっているようだな。まさかこんなことが起きるとは」


「はい……お、お父様! 私も戦います!」


「…………ならん」


「お父様!」


「お前が戦いたい理由はわかる。だからこそだ。お前は決して最前線に出るな」


 お父様の視線はまた戦場に向いた。


 その視線の先に――――得体の知れない強大でどす黒い何かが伝わってくる。


 脳裏に浮かぶのは――――魔族という二文字。悪魔種のアークデビルが通常狩場ではなく、人となって潜んでいたことから、魔族がいるかもしれないとは思っていた。


 それがまさか…………こんなところに…………。


「ディアナ様!」


 驚いた表情で階段を駆け上がって来たのは、他でもない私の婚約者……ノアさんだ。


 けれど、私は未だ……貴族として生まれ十年以上育ってもなお、前世の記憶から貴族や婚約者には慣れない……。


「魔獣の暴走と聞いて、急いできました」


「そうでしたか……その従魔がここにいるってことは……彼も?」


「いえ。彼はディオニール領のディアリア街の問題を片付けています」


「ディアリア街……やはり、ルドロン街だけではなかったのですね」


 そのとき、戦場からドガーン! と大きな音が響いて、こちらに向かって大きな何かが飛んでくる。


「ノア! ディアナ! 敵がくるぞ! 構えろ!」


「「はいっ!」」


 飛んできた黒い塊は城壁に激突して、分厚い壁を壊しながら中に入ってきては、丸い形から人型に変化して巨大な黒い巨人へと変わった。


 ノアさんと一緒に飛び出て巨人と対峙した。


 お父様は腕を組んだまま、戦場の遥か先にいる何かと睨み合い続けている。


「ノア様。私が――――」


「ガフッ!」


 ポチが前に立つ。


「ディアナ様。援護を頼みます!」


 そう言い残したノアさんは巨人に一足先に飛び出て、ポチと一緒に攻撃を始めた。


 剣士の鏡と言われているほどにノアさんの剣術の実力は高く美しい。


 自分よりも数倍は大きい巨人の足が、美しい剣戟によって一瞬でズタズタにされた。


 ポチも巨人の背中を上り、その喉を噛み千切る。


 私もすぐに剣を抜いて、巨人の頭部を狙った。


「セイクリッドバースト!」


 真っ白な剣戟が巨人の頭部を貫き、ノアさんとポチの激しい攻撃によって、巨人はあっという間に倒れた。






 ――――その時。






「ディアナ! 逃げろ!」


 お父様の叫び声と共に、強烈な何かが城壁にぶつかる。


 あまりの凄まじさに猛烈な強風が周囲に広がり、城壁や建物ごと全てが薙ぎ払われた。


 その先には――――お父様の強大な剣を叩きつけている大きな悪魔、私の記憶にも残っているメインストーリーの魔族の一人、ディアブロが赤い目を輝かせて私を見ていた。


「ユウシャ。ヨウヤクミツケタゾ」


 その一言に、どうして魔獣の暴走が起きて、ここブレイブリーを襲っているのかがわかった。


 勇者にとって魔族は倒すべき相手、ということはその反対もまた然り。


 彼ら魔族にとって最も脅威となる存在――――勇者。


 それが――――私だ。


 彼らが狙ったのはブレイブリーやお父様ではない。私自身なのだと。


「なめるなよ。魔族風情が。我が娘に指一つ触れさせないぞ!」


 お父様の強烈な一撃がディアブロを叩くと、巨大な体が吹き飛んでいく。


 そんな中、お父様が私をちらっと見つめた。


 その目は――――愛情に満ち溢れた瞳だった。


 私がルデラガン伯爵家に生まれて幼い頃から大事に育てられても、私は彼らを本当の父と母と受け入れることができず、どこかここは違う世界だと思えていた。


 彼に出会っておかげでよりそれを思うようになったのに……お父様にとって私は……大事な…………。


 お父様がディアブロに向かって飛び込むのが見えた。


「お父様あああああ!」


 すぐにノアさんとポチとお父様を追いかける。


 戦場には無数の魔獣の骸と兵士達の骸が転がっていて、お父様のディアブロの戦いが始まって周りにどんどん被害を拡大していた。


 すぐに城壁から飛び降りてお父様に加勢する。


 ――――けれど、私の前にそびえ立つディアブロのあまりの圧力に全身が震え思うように動けなかった。


 ノアさんもまた全身が震え、いつも勇ましいポチも余裕が感じられない。


 ディアブロを一人で背負うお父様の背中に、私は歯を食いしばった。


 最初は――――ただ知識を使って勇者になってみたかっただけだった。


 私自身は……勇者になれるような人ではないと思っていたけれど……あの世界ワールドオブリバティーでなら私は勇者になっていたつもりでいた。


 感謝する人々NPCにいつしか私は勇者でいる自分に憧れていた。


 だから――――勇者になったんじゃないか。


 今の……この世界での勇者はっ! 私なんだから!


 私は自らの意志でディアブロに向かった。


 お父様やノアさん、ポチと共に、ディアブロに立ち向かい続ける。






 ――――でも、戦っても戦っても、ディアブロに勝てる未来が描けない。






 諦めたつもりはないけど、いつしか空が暗闇に染まっていたときには、立つこともできないくらい全身が疲弊して、でも誰よりもディアブロを受け持ったお父様はまだ戦っていて、でもその体には――――無数の傷ができ、赤い血が流れ続けている。


 ノアさんもポチも私をかばってディアブロにやられてぐったりとしていて、私は勇者として立たないといけないのに……。


「お願いっ……動いて…………動いて! 私の足! ディアナ! 貴方は勇者でしょう! お父様も……ノア様も……ポチも……みんなを……みんなを守らないといけないでしょ! 立って……お願いっ……!」


 自分に何度も言い聞かせる。


 でも――――私の足は言う事を聞かず、遠くで魔獣に食い殺される兵士達の悲痛な叫びだけが空しく聞こえてきた。


 そのとき、私の前に大きな背中が落ちて来た。


「お……父様……?」


「……歳は取りたくないものじゃな」


「お父様っ!」


「……ディアナ。すまないな。こういうときのために……鍛えてきたはずだが……」


「そんなことは……お父様に……たくさん助けてもらって……私は幸せで……」


 そんな私達の前には容赦なくディアブロが立ちはだかった。


「モウオワリカ? ロウヘイ」


「老兵か……」


「ヒトハモロイ。トシヲトレバヨワクナル。キサマガワカイコロナラ、オレサマトワタリアエタダロウ。ザンネンダナ」


「……くくっ。確かに……今よりはもっと戦えたかもしれないな……だがな。人が年齢を重ねて弱くなると思ったら大間違いだ。魔族よ」


「ナン……ダト?」


「わしが歳を取っても、ここには新しい力が、新しい命が芽吹く。我が娘のディアナもまたその一つに過ぎん。勇者だなんて大きな責務を抱えるにはあまりにも小さな背中だ……だからわしが少しでも一緒に背負ってあげたかったが…………それをしなくともわしや多くの者の意志を継いだディアナ自身が、全てを乗り越えよう。貴様のような魔族如き……我が娘にとって敵ではないわ」


「カカカッ! モウチカラモナク、タツコトモデキナイコムスメヲカ! キサマノムスメハ、ユウシャニナドナレナイ! ココデキサマモドトモ――――ホロボシテヤロウ!」


 ディアブロが私を見下ろして笑い、大きな拳を振り下ろした。
















――――そのとき。真っ黒に染まった夜空の上空に、一閃の黒い光が降りてきた。
















 静かに――――でもそれは強烈に、私達とディアブロの間に降りてきては、ディアブロの大きな腕ごと切り落とした。


 大きな黒い鎌と、真っ黒なローブ、漆黒とも思える黒い髪をなびかせて、暗闇よりもずっと深くどこまでも吸い込まれそうなブラックダイヤモンドのような――――美しい瞳が私に向く。






「よお。待たせて悪かったな――――ディアナ」


 彼の言葉に、私の頬に一筋の涙が流れた。

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