第88話 恋愛

 狩りを終えてクロイサ町に帰ってきた。


 元々廃坑入口の脇に作った魔法陣だが、場所を変えてうちの屋敷の地下に設置した。


 ここは俺の許可がないと入れない部屋となっていて、鍵自体も俺とエヴァネス様しか持っていない。


 エヴァネス様にはいつでも屋敷に遊びに来て、ご飯を食べたり、ゆっくりしたり、温泉に入ったり、自由にしてくれていいと伝えている。


 温泉は、龍脈と呼ばれる地中にある魔素の通り道によって、魔力にさらされた水が龍水となる。それが地上に出てきて、我々はそれを温泉と呼ぶ。なのでただの水とは違ってねっとりしていたり、入っただけで美容に良かったり、リラックス効果のある良い匂いがしたりと、良い事尽くしの温泉である。


 この世界で温泉が嫌いな人は誰一人いないと思う。


 それもあって、エヴァネス様はよく入りに来ている。夜だけじゃなくて、昼とか朝とかもしょっちゅう来てくれているみたい。


 これで少しでもエヴァネス様に恩返しができるなら嬉しい。


「お帰りなさいませ、領主様。現在、エヴァ様がいらしており、温泉に入っております」


 おぉ……エヴァさんが……温泉…………エヴァさんの裸!?


「ベリルくん。顔がニヤケているよ?」


「ハッ!? ち、違う!」


「涎出てるよ?」


「なっ!?」


 口元をベタベタと触ってみたが、濡れてはいない。


「ふふっ。嘘だよ~」


「くっ! 俺で遊ぶなよ。ディアナ」


「だって、エヴァさんの名前を聞いてすぐにデレデレしたのはベリルくんでしょう」


「デ、デレデレだなんて……俺はただ……エヴァさんに恩返しができたらって……」


 そのとき、廊下の奥から見慣れた赤い髪の超絶美人が現れた。


 しかも、この世界の東方風という言い訳にディアナが考案してくれた着やすい浴衣を着てくれている。


 薄いピンク色の生地がまたエヴァネス様にとても似合っている。


「あら、ベリルくんにリサちゃん、奴隷ちゃん、友人ちゃんもおかえり~」


「ただいま~おばあちゃん~!」


 抱き合う二人。


 あぁ……眼福だ……。


「鼻の下が伸びているよ。ベリルくん」


「っ!?」


 いかんいかん。


 俺達はそのまま温泉に入り、狩りで掻いた汗を流した。


 最近まで寮で暮らしていたのだけれど、屋敷が完成したことと、お嬢様と婚約したのがいろんな人に知れ渡ったこともあって、寮ではなく、屋敷から学園に通うことにしている。


 毎日学園の寮まで戻るのも手間だったからね。


 温泉でさっぱりした俺はリサとディアナと一緒にエヴァネス様の屋敷に向かい、ディアナと二人っきりで彼女の屋敷まで歩く。


 最近はこれが毎日の日課になっている。


「エヴァさんって綺麗だもんね~」


「ううっ……否定はしないけどさ……」


「ベリルくんってああいう大人な美人さんが好きなの?」


「は!? す、好きじゃねぇし!」


「えっ? 違うの?」


「え? い、いや……好きじゃないことはないけど……好きとかそういうのじゃ……」


 ただ自分の心臓がはねる音と、顔が熱いのは感じる。


 ふと、お嬢様の顔が浮かんだ。


「エヴァさんにデレデレするのもいいけど、ちゃんとクロエさんにも婚約者らしいことはしてあげるのよ?」


「婚約者らしい……こと?」


「こう……手を握るとか?」


「手を握る!?」


「な、何よ……」


「い、いや……手を握るとかハードル高すぎじゃねぇ……? ディアナはそういうこと簡単にできるのか……?」


「わ、私!? わ、私は…………ちょっとハードル高いかも…………」


「だよな……」


 すると急にジト目で俺を見つめるディアナ。


「?」


「ハードル高いとか言いながら、私をぎゅっとしたのはどこの誰かしら……」


「あ、あれは……! し、仕方なく…………というか、あのときは急に悪かった……」


 彼女を落ち着かせようとして、思わずやってしまったけど、今思い返すと、とんでもないことをしでかしたと思ってる。


 前世ならセクハラ行為だって訴えられても文句言えないよな……あの状況じゃ。


「…………ょ」


「ん?」


「…………べ、別に嫌じゃ……なかったよ……だから、ちゃんとクロエさんにも向き合わないとダメよ? クロエさんが好きな人ができたらとか言ってるけど、今の婚約者は他でもないベリルくんだし、婚約者としてちゃんとしてあげないと…………形は違うけどあの人と同じことをしているんだから」


 あの人……きっと、お嬢様の元婚約者のクゼリア伯爵の元息子のことだな。今は勘当されて王国の外に追放されたんだっけ。


「そ、そうだな……婚約者なのに何もしてあげれてないよな……」


「そんなことはないと思うけど……ベリルくんはクロエさんが嫌い?」


「嫌いなわけないだろう。嫌いなら……テキトーに関わってたはずだし」


「ふふっ。なら彼女にも自分の気持ちを伝えないとね! あの日みたいに何も考えず、私を抱きしめたみたいに」


「っ!? お、おう……」


「ふふっ。じゃあ、またね~!」


 ディアナは一瞬たりともこっちを振り向くことなく、屋敷に走って入ってしまった。


「はあ……」


 狩りをするときは本当に楽しいんだけど……最近はパーティーメンバーで賑わってるし、クロイサ町も賑わってるし……一人の時間が欲しいなぁ。


 時間ももったいないので、技【影移動】を使ってエヴァネス様の屋敷に戻り、リサとエヴァネス様におやすみの挨拶をして屋敷に戻った。




「おかえり」


「うわっ!? お嬢様?」


「な、何よ」


 そういや、お嬢様ったら毎日こうして俺が帰ってくるとこ待ってくれてたんだっけ。


 何だか日課になってて気にしなかったけど……。


「え、えっと……お嬢様」


「何よ……急に改まって」


「いつも待っていてくれてありがとうございます」


 少しポカンとした表情をするお嬢様。


 何だかちょっとだけ……主の帰りを待つ子犬みたいな表情だなと思えた。


「そ、そんなこと大したことないわ!」


 急に離れようとするお嬢様に、思わず手を伸ばして、彼女の手を握ってしまった。


「ベリルッ……!?」


「うわっ!?」


 そのまま勢いで彼女の手を引っ張ってしまって――――お嬢様を抱きしめる格好になってしまった。


 ぬ、ぬわああああああ! あ、当たってる! お嬢様のデカいのが……あああああ!


 いつもならツンとするはずのお嬢様が、何故か何も言わず、じっと俺の腕の中から上目遣いで見つめてきた。


「あ、あ、こ、これは違うんです! え、あ、えっと」


「…………ベリルのバカ……」


 そう言い残したお嬢様は、小走りでその場から去っていった――――顔を赤くして。


 …………うわああああ! 俺は一体何をしているんだああああ!


 自分のヘタレさが嫌になってしまう。


 ディアナに言われて手を握ろうとしたのに、まさか引っ張って抱きしめるとか……どんなヘタレだよ……いや、こういうときはラッキースケベとか言うのか? 違うのか? よ、よくわからんぁあああああ!


 その日はねむるまでちょっと悶々とした。

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