第83話 説得

「落ち着いたか?」


 ディアナは組んだ足に頭をうずめたまま、弱く首を横に振った。


 こういう返事ができるくらいには落ち着いてくれてよかった。


「その……腹、まだ痛むか?」


「うん……」


 それには答えるんかい!


「ポージョン飲む?」


「飲まない……」


 強制的に掛けてもいいんだけど、そういう雰囲気じゃないしな。


 はあ……どうしてこうなった。


 良かれと思ってやったんだけどな…………まさかエヴァネス様の存在が“ワールドオブリバティー”に大きく関わってるとは想像だにしなかった。


 いや……あれだけの実力があるんだ。少しくらい考えるべきだったな。


「ベリルくんが殴った……」


「わ、悪かったって! てか……俺が本気で殴らないと、エヴァさんに殺されてたかもしれないからさ」


「……どうして私を助けたの?」


「どうしてって……さっき言った通りだよ」


 同じ日本人で転生者。たぶん彼女以外で出会えるとは思えないし、仮に出会ったとして仲良くなれる気もしない。そもそも俺が誰かと仲良くなるのは想像できないし、日本のことを言いふらされたくもないからな。


 ふと見たディアナは、今でも全身を震わせていた。


 ふと、数年前にお嬢様が攫われたときのことを思い出した。あのときのお嬢様も恐怖で体を震わせていた。


「それに目の前で人が殺されるのって……あまり好きじゃないんだ。それで後悔したことだってあるし」


 お嬢様は未だ……彼が生きていると信じているしな。


 俺もこの手で……命を奪ったこともある。お嬢様を守りたかったし、相手を許したいとも思わなかったけど、それは決していいものでも楽しいものでもなかった。


「だからできればディアナには死んでほしくないし、戦いたいとも思わない。またいつもみたいにみんなで笑顔で……でも難しいよな。人って……」


 前世の父の会社。


 俺は後輩を庇って二人でプロジェクトを終わらせた。あのときだって、体を壊す寸前までやってて、周りは「頑張れ」と口にしてたけど、俺達が体を壊すと労いの言葉一つ送られてこなかった。むしろ…………あいつら無理したせいで俺達まで大変になったなんて言われる始末。


 人と人の関係というのは不思議と脆いもので、思い通りにはいかない。


 ディアナとだってさっきまで楽しそうにこの先こうしようああしようと言い合った仲なのに、あの一瞬で俺は本気で彼女を斬り捨てると覚悟を決めたくらいだ。


 エヴァネス様とディアナ。どちらも俺にとっては大事な存在なはずなのに……こんなにも簡単に片方を斬り捨てる覚悟ができるなんて、我ながら……あのときの先輩達のようだなと、ちょっと心が苦しくなる。いや、自業自得か。


「ディアナ。これだけは誓わせてくれ。俺はエヴァさんの味方であるし、世界が敵になってもエヴァさんの味方だ。でも……エヴァさんが曲がったことをすれば止めるような人になりたい。“ワールドオブリバティー”での彼女はどうだったのか俺にはわからないけど、もし彼女が罪のない人々を襲うというなら、俺は彼女のためにも全力で止めるよ」


 曲がったことは人によって解釈が違うものではあるけど……それでも自分にできることを、自分の正義を出来る限り貫きたい。それがお嬢様のためにも、リサのためにもなると思うから。


「エヴァさんが怖いかもしれないけど……何があったら俺が全力で守るからさ。今までとはいかないかもしれないけど……また俺達と仲良くしてくれたら嬉しい」


「……仲悪くなった覚えはないんだけど…………」


「あっ……そ、そうだった……すまん」


「…………ベリルくんって……本当に……ずるい」


「悪いな……」


「信じて……いいよね?」


「もちろんだ。今までだってそうだっただろう?」


「そうね……」


 ようやくゆっくり顔を上げたディアナは、相変わらず酷い顔だった。


「立てるか?」


 首を横に振る。


 仕方なく彼女に肩を貸す。


 全身土まみれだからか少しだけ土の匂いがする。


 立ち上がった彼女はふらふらでとてもそのままにはできず、そのまま腰に手を回して支える。


 ディアナの小さな息の音が聞こえてきて、ふと顔が熱くなるのを感じる。


「あはは……やっぱりまだちょっと怖いかな……これから会いにいかないといけないんでしょう?」


「そうだな。あんなことがあったし、ちゃんと誤解は……誤解じゃないかもしれないけど、しっかり弁明はしておかないとな。ディアナの命が危ないからな」


「そう……よね……どうしよう……」


 まだ体が震えているのが伝わる。


 そこまでエヴァさんが怖いんだな。


 仕方がない……ここは自分ができることを……!


 俺はゆっくりと優しく――――






 ――――ディアナを抱きしめた。






「ベリル……くん?」


「わ、わりぃ! どうすればディアナが落ち着くかわからなくてよ。以前……お嬢様が怖がってたとき、こうすると落ち着いていたから……」


 最初は驚いたディアナも、次第に俺の方に体重を預けてきた。


 土の匂いとともに彼女の甘い体臭が伝わってくる。


 静まった森。静かに聞こえる息の音。そして――――激しく動き始める俺の心臓の音。


 う、うわああああああ! し、沈まれえええええ!


「ベ、ベリルくん……」


「す、すまん……」


 ディアナってどちらかというと日本人の印象が強くて、前世でこういうことはしたこともなかったから、そう思うと自然と恥ずかしさが増してくる。


「ふふっ」


「ディアナ?」


「そうか。ベリルくんもやっぱり男の子なんだね」


「そ、それは……言わないでくれ……」


「……信じて……みる。ベリルくんが彼女を良い人だと言うなら……信じてみるよ」


「ありがとう」


 しばらくディアナを抱きしめたまま、俺は自分の心臓の音との激戦を繰り広げた。



 ◆



「おかえり~」


 リビングに上がると、ソファには優雅に足を組んで茶を飲んでいるエヴァネス様が出迎えてくれた。


 リサとリンは隣で同じく茶を飲んでいる。


 俺はすぐにディアナと一緒に彼女の前で土下座をした。


「エヴァさん! この度の俺とリサの友人が大変失礼しました!」


「ご、ごめんなさい……」


 エヴァネス様の視線が俺とディアナを交互に見つめる。


「それで? 事情は聞かせてもらえるわよね?」


「もちろんです。えっと、まだ彼女はエヴァさんが怖いということで俺が話してもいいですか?」


「かまわないわ」


「はい。実は彼女――――ディアナは、世界で唯一の“勇者”なんです」


 そう話すとエヴァネス様の表情が緩いものから強張るものへと変わる。


 やはり“勇者”という言葉を聞くと、エヴァネス様でも反応するんだな。


「彼女には魔族を見抜く力がございまして、どうやらリサはまだ見抜けなかったみたいですが、エヴァさんの強大すぎる魔力を見抜いてしまったようです」


 ディアナも口裏を合わせるために頷く。


 エヴァネス様は未だ警戒を解かない。むしろ、森にいたときよりもずっと警戒している。今すぐにでもリサに向かって飛んでいきそうな気配だ。


「お、驚いて……魔族だと勘違いしてしまいました……で、でもよく見ると……魔族ではないと理解できました…………でも……たぶん魔女様……ですよね?」


 ちらっと見たリンは、それを聞いても涼しい顔をして茶を飲みながらこちらを見ている。


 魔女って聞いたら普通は驚くって……。


「それを聞いても……正直に、私は……貴方が怖いです…………でも……」


「でも?」


「ベリルくんから……リサちゃんの実祖母と聞いて……リサちゃんも魔女だったって知って…………でも私は彼女と仲良くなって……お友達だと思ってます……ですから……まだすごく怖いですけど……貴方を敵だと思わないように頑張ります……それと……急に剣を向けてしまって本当にごめんなさい……」


「…………」


 そのとき、リサがゆっくりこちらに歩いてきて、ディアナの隣に正座をし、彼女の手を握った。


「ディアナ。お友達」


「リ……サッ…………彼女は勇者なのよ?」


「うん」


「勇者がどういう存在なのかはたくさん勉強したでしょう?」


「うん。魔女族の一番の仇」


 え!? そ、そうだったのか!?


「それでも彼女と友達だと言うつもりなの?」


「うん。ディアナはお友達。一緒にいて全然嫌じゃなかった。最初はぐいぐい来るからすごく嫌な奴だと思ったけど、ディアナのおかげでベリルくんとももっと仲良くなれたし、一緒にいて楽しい」


「…………はあ……」


 エヴァネス様は大きな溜息を吐いた。


「ベリルくん」


「はいっ」


「もし彼女がうちのリサちゃんに何かしたら……わかるよね?」


「もちろんです。さっきもそうでしたけど、ディアナが本気で二人に危害を加えるようなら――――俺の手で始末してみせます」


「……わかった。ならそこの勇者ちゃんの出入りとリサちゃんの友達の件は許してあげるわ」


「エヴァさん……! ありがとうございます!」


「はあ……まさか学友に勇者がいるだなんて……ベリルくんと一緒にいると、本当に退屈しないわ。たった数年で何度も驚いたのは魔女生で初めてよ」


「あはは…………褒められてる?」


「褒めてません!」


「そんなぁ~」


 ようやくみんなの顔に笑顔が戻り、リビングが笑いの声に包まれた。

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