四章
第52話 敵意、迷い、覚悟
競技場の事件から四日後。
三日間の休みを経て、通常授業に戻ることになった。
寮を出ようとしたら珍しい人が待っていた。
「ベ、ベリルくん!」
「お久しぶりです。ディアナさん。体は大丈夫みたいですね」
「おかげさまで……あ、あの……」
「どうかしましたか?」
俺の前にやってきた彼女は、深々と頭を下げた。
「助けてくれて本当にありがとう」
「いいえ。お嬢様を守るためですし、気にしないでください」
「それでも……助けてもらったのは事実だから。えっと、私に何かできることがあるなら何でも……」
「なんでも……?」
「えっ! へ、変な意味じゃないよ! できる範囲で……」
そんな彼女の後ろから鬼の形相で睨み付けるお嬢様が怖い。
「わかりました。何か思いついたらお願いしますから」
「うん!」
あ……お嬢様の後ろに般若の顔が見える……。
お嬢様とリンとディアナ令嬢と共に登校する。
ちょうど教室の前に着いたとき、貴族組が険しい表情を浮かべていた。
その中からクゼリア伯爵子息がやってくる。
いつものように涎を――――ではなく、珍しく冷たい表情のままだ。
「エンブラム令嬢。何のつもりだ」
「ゲイラ様。どうかなさいましたか?」
「どうか……ではない。そこにいるのは我らと
「…………」
困っているお嬢様に代わり、俺が前に立つ。
だが、いつも浮かれている表情から打って変わり、貴族らしい冷たい目を俺に向ける。
「農夫風情が僕の前に立つな! 無礼罪で処刑にするぞ!」
「俺はクロエお嬢様の姫騎士です。貴方が勝手に俺を処分することはできないでしょう」
「はん! 僕様の婚約者の物なら僕様の物と同じだ!」
こいつ…………どういう頭の構造をしてたらそんなことになるんだ?
ディアナ令嬢が一歩前に出る。
「クゼリア令息。いくら婚約者とはいえ、彼女の意志を汲まないのは男が廃れるものではなくて?」
「何だと……?」
そんな彼の後ろに貴族組の武術授業の生徒達が腕を組んで立つ。
「僕様の所有物をどうしようとも貴様には関係あるまい!」
「婚約者は所有物ではありません」
「黙れ!」
「いえ。私は何度でも言いましょう」
そのとき、俺の裾を引っ張るリンが小さい声で耳打ちした。
「ベリルくん。あまり彼を刺激しない方がお嬢様のためだと思う」
「…………」
「彼が話した婚約者……それは思ったよりもずっと深い意味を持つよ。領主様が決められた婚姻は絶対。ベリルくんは納得いかないかもしれないけど……お嬢様は領主様の所有物なの。婚約者の……彼の所有物になるのも確定してる話なの」
リンが言っていることは知っている。そもそも俺があの家で二年間マナー講習を受けている間、領主の娘として婚約の道具であることを散々教えられた。それはある意味……洗脳にも近いものだった。
だから基本的にお嬢様の判断に任せている。それは俺が変えるべきではないと思うから。
俺が正しいと思ってもそれが本当に正しいとは限らない。
だが…………お嬢様は毅然とした態度を取っているが、内心……辛そうにしている。
ならば、姫騎士として守るのが道理ではないのか?
「ディアナさん。そこまでしてください」
「ベリルくん……?」
「ぎゃははは! 農夫風情に呼び捨てまでするとは……姫騎士ならまだしもルデラガン家という大家にも関わらず、自分の立場を理解してない愚者らしい振る舞いだな!」
そのとき、廊下の奥からアルがこちらに来ようとして、俺と目が合った。
俺は小さく首を横に振る。
「ゲイラ様。いっそのこと、そこの姫騎士と決闘をしてわからせてやったらどうですか?」
「ん? 姫騎士?」
大男がゲイラに耳打ちをする。
「はい。そもそもあの姫騎士は生意気です。あいつがいなければ、婚約者様もきっとゲイラ様の偉大さを知ることでしょう。我々が痛めつけますから、泣いて謝罪させればゲイラ様に忠誠を誓うでしょう。あいつ、レベルがたった18でこの前の俺に一発でぶっ飛ばされましたから」
「それはいい案だ。そこに姫騎士! 僕様の手下と決闘をしろ!」
「どうしてベリルくんを――――」
「俺は構わないですけど――――お嬢様。俺は貴方を守る騎士です。貴方の命令がなければ、貴方の命を狙う者以外を斬り捨てることはできません」
「ベリルくん……」
「おい! エンブラム令嬢! さっさと許諾しろ!」
こいつ……どこまでお嬢様を自分の人形のように……。
「いや、許諾すら必要ない。そこの姫騎士。今日の昼食後、競技場に来い! 決闘だ!」
そう言い残したゲイラ達は俺達をあざけるような笑みを浮かべて教室の中に入っていった。
「ベリルくん。クロエさん。あんな無法な言葉は聞かなくていいわよ! 私が何とか――」
「ディアナさん。心配してくださりありがとうございます。ですが、これはエンブラム家のお嬢様の問題です」
「で、でも! 元を言えば私が……」
「もしそうだとしても……そう判断したのはお嬢様です。貴方はこれ以上関わらない方がいい」
「そんな……どうして……」
「――――他人だからです」
「っ……」
ディアナ令嬢は目に小さな涙を浮かべて、教室の中に走っていった。
「ベリル……よくやったわ」
「いえ」
「彼女はこれ以上巻き込まない方がいいわ……」
ディアナ令嬢が優しいことくらい、ここにいる誰もが知っている。天真爛漫に笑い、周りの人を引き付ける不思議な力がある彼女は、まるで太陽のような存在だ。
権力争いなどせず、ただ彼女自身が誰よりも輝いていて欲しいと思うのは、異性とかそういうものじゃなく、ここに集まった人としての心を持つ者ならみんなそう思っているはずだ。
「私のせいで彼女まで……傷つくのは……」
「何が起きてもお嬢様は俺が守ります」
「…………」
朝から酷い一日が幕を開けた。
昼食前。
俺とお嬢様はリンに呼び止められ、三人で話すことになった。
「お嬢様。ベリルくん。私は……領主様から二人のことを見張るように言われているの。それは……ベリルくんなら理解しているわよね?」
「ああ」
「……領主様からもし今回のようなことが起きた場合、お嬢様へ言伝を預かっているの。それを伝えさせてもらうね」
「…………」
「クロエ。お前の本分を果たせ。お前の一人の意志によってお前の周りの全ての者が不幸になる。お前の本分は――――クゼリア伯爵令息の飾り妻だ。それを忘れるな」
リンはお嬢様に深く頭を下げた。
知ってはいたつもりだが……実際にこうなると自分では何一つできないんだなと……自分の力の無さを痛感する。
「リン。ありがとう。お父様の言伝はしっかりと受け取ったわ」
「はい。お嬢様」
「さあ、食事にしましょう」
お嬢様は、酷く辛そうな顔をしていた。
お嬢様とリンが食堂に入った同じタイミングで、扉から出て来たアルが俺を止めた。
「よう。親友」
「…………」
「彼女を守るんだろ?」
「当然だ」
「なら言うまでもない。ただ、一つだけ言っておくよ。ベリル、お前は強い。彼女を――――姫騎士としてちゃんと導いてあげるといい。守るだけじゃなくて」
「…………」
ああ……またアルには心を見透かされた気がする。
ふと思い出すのは、ムースさんのときの出来事だ。
俺は正直……最初こそはお嬢様がどうなってもいいと思ってたし、あの日までだって、どうでもいいと思ってた。早く期間が終わり、彼女から解放されたいとも思ったけど……でも少なくとも今は違う。
お嬢様についてちゃんと向き合おうとしたし、彼女を仕事以上に守ろうと決めた。
俺の意志で彼女の意志を強制させたくはない。だが、もし彼女自身が辛いなら、導くことくらいはできるはずだ。
「なあ。
「おう。どうした。親友」
「困ったら……巻き込ませてもらうぞ?」
「ははは、何をいまさら。もう――――俺から先にベリルを巻き込んでいる。それが親友ってもんだろ?」
「ったく……王子様が親友とか農夫上がりの俺には荷が重すぎだっつうの」
「くくくっ。天下のベリルもまだまだだってことだ」
拳を突き出したアルと、拳を合わせた。
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