【第五十三話】世界魚(下)

 津波の堰き止めで力を出し切った虹の国軍が一息つく中、命からがら遠洋へと逃げていく海の魔物たちと対照的に、ルナとミオが慌ただしくウェントゥスのところへと戻って来た。


 彼女たちは引き続き偵察をしていたので、何かを見つけたのかとウェントゥスが考えていると、ルナは青ざめた顔で、ただ一言だけ発した。

「伝説が…来る。」

そばで怯えているミオの様子からしても、ただならぬ何かということは察したが、ウェントゥスはひとまず彼女たちを落ち着かせてから、

「一体何が来るんだい?」

と、冷静な口調でルナに尋ねた。


 ルナは深呼吸をすると、

世界魚バハムート…。」

とだけ答えた。ルナからその単語を聞くのは初めてであるが、今し方、押し寄せてきた津波のことを踏まえると、少なくとも強さの次元が違う存在であることをウェントゥスは把握した。


 そんな中、遠方の海の方から地響きのような音が聞こえてきた。そちらへ目をやると、何やら大きな島のようなものが、ちょうど海中から浮かび上がって来ようとしていた。そして、それは止まることなく浮かび上がり続け、次第にその姿が顕になってくると、それは島ではないということがわかった。


 それは、漆黒の巨大な甲殻らしきものをまとった魚のようなものの顔で、遠く離れたここからでも、それが鋭く蒼白い双眼を有していることを認識できる。


 その魚のような何かは、左右の巨大な胸鰭と思わしきものを上下に動かしており、その度に直下の海に大きな波を生じさせていた。先ほどの巨大津波も、かの存在が引き起こしたに違いないと、その場にいた全員が察した。

「なんて大きさだ…」

思わずウェントゥスが呟く。その存在の周囲にいる頭領クラスの魔物の大きさから察するに、その顔らしき部位の大きさだけでも幅2キロメートルくらいは優にありそうである。


 流石の虹の国軍も、こればかりには動揺を隠せない。今まで、これほど巨大な存在は見たことがなかったのだから無理もない。

「竜人族の伝説に登場する世界魚。私たちの祖と言われているわ…。」

少し落ち着いたルナが再び口を開いた。


 ウェントゥスは、竜人族の祖が「魚」だということに驚きつつも、その祖が何故今頃姿を現し、虹の大陸へ攻撃を仕掛けてきたのか全くわからず、頭の中が混乱した。


 一方、ルナは何か思い当たる節があるのか、何かを言おうとして迷っているのが窺えた。

「ルナ、何か思い当たる節があるのであれば、遠慮なく言って欲しい。」

いつになく真剣な表情のウェントゥスに、ルナは決心したのか、話してくれた。


 確信はできないが、世界魚が姿を現したのは、ウェントゥスが「月影」の力を更に解放したからではないかということらしい。


 というのも、初めて「月影」の第三段階が開放された時、彼女は何か別の力が解き放たれたような感覚に襲われたのだという。


 以前、「月影」が竜人族の消失の謎を解く鍵になるかもしれないという話を踏まえると、その祖に当たる世界魚が解放された「月影」に応答して目を覚したのかもしれない、とのことだ。


 ルナの話が正しければ、世界魚はウェントゥスが第三段階解放した「月影」を察知して攻めてきたということを意味する。それはつまり、自分のせいで虹の大陸を危険に晒してしまったことを意味しており、ウェントゥスはただならぬ罪悪感を感じた。おそらくルナも、その点を気にして話すかどうかを迷ったのだろう。


 少し沈んだ雰囲気の中、

「じゃあ、世界魚に直接聞いてみるか!って、以前の貴方ならきっとそう言ってただろうね。」

空気を打破したのはリディアだ。


 ウェントゥスは責任を負う立場が増えて以来、次第に慎重になっていった。それは決して悪いことではないが、リディアは昔の自信に満ち溢れ、畏れ知らずの彼を呼び覚まそうとしたのだろう。


 そんな彼女の思いを察したウェントゥスは、

「確かにそうだな。意思疎通できるかどうかわからないけど、ちょっくら、世界魚様とやらに会ってくるか!」

と言って、気持ちを切り替えた。


 それに合わせ、ルナもなんだか忘れていた大切なことを思い出させてくれたかのような気持ちになる。一方、ミオはというと、ウェントゥスが元気になったのを見て、怯えていた気持ちもどこかへ吹き飛んだのか、嬉しそうに鳴いた。そして、ウェントゥスが現場を風雲に任せたのを見終えるや否や、彼女は尻尾でウェントゥスとリディアとルナを自分の背中に乗せると、天翔けるように世界魚のもとへと向かっていった。



 道中、海の魔物たちは勢いよく向かってくる九尾の狐を見ると、一斉に襲いかかってきたが、ミオは瞬間移動で翻弄しながら突破していった。また、進路を塞ぐように覆い被さってきた魔物の大群は、第三段階まで解放された「月影」の剣意によって薙ぎ払われ、もはやウェントゥス一行は何人たりとも止められぬ勢いである。


 世界魚に近づくにつれて、改めてその巨大さに息を呑むも、ミオは勢いを弱めることなく接近していった。そして、一定距離まで近づいた頃、海の魔物からの攻撃がぴたりと止み、代わりに、ひどく重々しい気迫がウェントゥスたちを襲った。だが、ウェントゥスたちは怯まなかった。


 ウェントゥスはミオの頭を撫でながら彼女を労うと、「月影」を自分の近くに漂わせたまま一歩前へ浮き出た。すると、全員の脳内に直接語りかけるように声が聞こえてきた。

「自ら我が面前に来るとは、大胆なのか、愚かなのか。」

どうやら世界魚が語りかけてきたのだと理解したウェントゥスは、

「大胆さは取り柄の一つなんでね、世界魚様。とでも呼びましょうか。」

と、余裕ある口ぶりで返した。


 ルナとリディアは思わずクスッとしてしまった。二人ともいつか見た「畏れ知らずのウェントゥス」を思い出したのだろう。すると、

「なるほど。十三夜の月影を扱えるだけの力はあるな…。」

世界魚はウェントゥスの態度に腹を立てるわけでもなく、むしろ彼の携えている「月影」を見て、どこか感心しているような口調だったが、

「同時に、事態は尚更深刻だ…。」

と続けた。


 ウェントゥスは、果たして世界魚が「月影」のことをよく知っているのだとわかると、態度を改めて、

「世界魚様、貴方はこの剣をよくご存知なのですか?今し方、十三夜や、事態が深刻などとおっしゃったのですが、どういうことなのでしょうか。」

と、質問してみた。世界魚にとって、その質問が意外だったようで、

「まさか、お前は何も知らずにその剣の力を解放させていたのか?その鍵…」

とまで言うと黙り込んでしまった。


 先程から世界魚の発言の随所に引っかかるものを感じていたウェントゥスは、少し考えを巡らせてから、

「世界魚様、重要な秘密を守るために、全てを隠すことが決して最善とは言えないと思います。」

と言うと、「月影」の解放状態を解いて背中に背負い、彼なりの戦うつもりはないという意思表示をした。


 世界魚は暫し沈黙した後、決心がついたのか、再び語りかけてきた。

「ルナもいることだし、お前たちに話すとしよう。」

他の皆は勿論のこと、ルナ本人でさえ、何故世界魚が彼女の名前を知っているのかを不思議に思いながらも、話に耳を傾けることにした。そして、その内容に、全員が耳を疑うこととなる。

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