【第五十二話】世界魚(中)

 事態は思っていたよりも早く動いた。


 虹の大陸の海岸線全域に防衛ラインを築き始めてから間もないうちに、海の魔物たちが一斉に攻撃を仕掛けてきたのである。もし、以前の大陸の体制であれば、きっと今頃は各地で侵入を許していただろう。だが、今は違う。


 精鋭と召喚獣からなる虹の国軍が、現地の州軍と連携をとって、海の魔物の大軍を迎え撃ったおかげで、全て撃退することに成功したのである。この快挙には、連絡役が戦況に応じて、転移門を介した素早い情報共有と、迅速な戦力分配が大きく関与した。


 また、不穏な動きが予想された火の州の防衛ラインには、水平線を完全に覆い隠すほどの魔物の大軍が押し寄せてきたが、駆けつけた七星部隊の総力を上げての防衛戦により、その一帯も敵の上陸を阻止できた。


 当たり前かもしれないが、海の魔物たちによる侵攻はこれで終わらない。



 撤退する魔物たちの姿が見なくなったのも束の間、各地域から見える水平線上に、大軍が再び集結し始めていたのである。先程の防衛は見事に成功したが、敵の総戦力が把握できない以上、油断はできない。


 虹の国側はすぐさま態勢を整え直しに取り掛かった。それと並行して、各地から状況を伝え聞いた本部は、長期戦の可能性を考慮して、随所に後援部隊を派遣することも即決する。



 その後、幾度かの交戦が行われたが、全て防衛側の勝利に終わった。その最後の交戦の後、海の魔物たちによる侵攻はぴたりと止んでしまい、うねりを上げていた海も、今や静まり返っている。それを、嵐が過ぎ去った後の静けさではなく、本当の嵐が来る前の静けさだと捉えたウェントゥスは、ルナとミオに偵察をお願いし、再度、大陸近海の様子を見て廻ってもらった。


 その結果、大陸を包囲していた海の魔物たちの殆どが、どうやら火の州の北部に位置する海域に集結し始めているようだということがわかった。

報告を受けたウェントゥスは、これまでの経緯を整理しながら考えてみた。


 以前、各地域で起きた漁師失踪事件は、海の魔物たちがそれぞれの地域に住む人々の属性を把握するために行なったものではないか。その理由は勿論、最も攻めやすい地域を把握するためだろう。


 その結果、火州の漁師たちは火属性が強いことがわかり、水属性と相性がいい海の魔物たちが侵攻ポイントとして選択したのも頷ける。つまり、先程の侵攻戦において、他の地域への侵攻は陽動を兼ねた副次的なものでしかなく、敵の真の侵攻地点は火州である。


 そして、先の戦いで侵攻を全て止めたものの、敵側はこちらの戦力をかなり把握できたはずだ。その上で、敢えてこちらの主戦力がいる火の州に敵が集結し始めている状況というのは、雌雄を決するつもりなのではないか。となれば、こちらも戦力を集中させなければならない。


 ウェントゥスは自身の考えとともに、ルナたちからの報告を作戦本部へ伝えた。言うまでもなく、その場の全員がウェントゥスの考えに賛同したため、各地域へ展開していた軍を最小限に留め、来たるべき最大規模の侵攻に備えて、虹の国軍の殆どを火州の海岸線へ移動させることが決定された。未だ敵の総戦力が掴めず厳しい戦いが予想されるが、ウェントゥスが提案した作戦に沿って戦うことにした。



 作戦会議があった晩、各地域へ展開していた軍が火の州へ集い終わらぬうちに、火の州側の海から、魔物たちによる夜襲が発生した。


 幸い、防衛ラインがずっと警戒を維持していたおかげで、意外が生じることはなかった。


 戦闘は断続的に朝方近くまで続いていたが、「三人衆」に鍛え抜かれた七星部隊の精鋭たちによって、魔物たちの夜襲は成果を生むことなく全て食い止められた。これまで虹の国側が海の魔物側を脅威として認識していたが、今やその立場が逆転したに違いない。


 やがて、辺りが明るくなり始めた頃。一向に防衛ラインを崩せないためか、魔物たちの夜襲部隊は退散して行った。しかし程なくして、火州から見える水平線を全て覆い尽くすだけでは飽き足らないほどの大軍勢が海から出現した。約20万の虹の国軍、対するは、優に1000万を超えるであろう海の魔物軍。いよいよ総力戦が始まろうとしていた。



 急に生じた凄まじい勢いの引き潮とは対照的に、敵の大軍が一斉に火の州の海岸の一地点へ向けて雪崩れ込んできた。


 防衛に当たっていた軍は、敵の進路上に一旦集結したものの、すぐさま巨大な「鶴翼の陣」を形成するように両翼に分散して各々が防壁を展開し、それらが合わさって巨大な障壁を形成した。魔物たちは勢いを保ったまま両翼の防壁とぶつかりながら、自ずと防御の薄いⅤ字の中心へと誘導されていった。


 上陸まであとわずかというところで、Ⅴ字の収束地点に12体のウェントゥスの分身とともにそれぞれ巨大な魔法陣が出現したかと思うと、分身たちの力が全て魔法陣へ注ぎ込まれ、そこから金属音様の轟音とともに極太の蒼白い光柱が打ち出された。


 光柱は視野を覆い尽くさんばかりの魔物の大軍を縦断し、ぽっかりと巨大な穴を開けた。


 一瞬のうちに、少なからずの味方を消し去られた魔物たちが動揺したのは言うまでもない。そんな敵の動揺に乗じて、両翼に展開していた軍は防壁を解除すると挟撃を仕掛けた。先程のウェントゥスの攻撃とそれに続く挟撃によって錯乱状態に陥った魔物たちは、同士討ちしたり、逃げ惑ったりし始めた。


 やがて、その影響が両翼側から中心に伝播する頃、敵の攻勢は完全に崩れ去っていた。ただの烏合の衆と化した魔物たちは今の虹の国の相手ではなく、防衛側の攻撃が止んだ頃、戦闘地点一帯には海の魔物たちが死屍累々と転がっていた。



 ウェントゥスの作戦により、数十倍にも上る敵の大軍を撃退できただけでなく、味方の士気を大いに上げることに成功した。


 その表れとも言えるような声が広域にわたって上がる中、魔物たちの死骸が数多の光の粒子と化して散っていったかと思うと、タイミングを合わせたかのように、先程引いていった潮は果たして巨大な津波となって、凄まじい轟音とともに、遠方より幅を縮めながら押し寄せてきた。


 津波は勢いを増しながら陸地へと迫り、もう少しで上陸する時点で、その高さは優に100メートルを超えていた。勿論、これは明らかに自然による津波ではないと察したウェントゥスは、焦らず軍に向けて合図を上空に描き出した。


 合図を受け取った沿岸部に展開していた軍は、津波に怯むことなく、素早く津波と向き合うように段を組みながら整列と準備に取り掛かかる。


 まず、数万の土属性に長けた兵たちが力を合わせて、岩石でできた巨大な窪んだ形の防波堤様の構造物を彼らの前に展開すると、次に、数万の木属性に長けた兵たちがその構造物を補強するかのように地中から何本もの極太の蔓を生え出させ包み込んだ。そして、残りの兵全員が毒属性の術をもとに、各々の属性の力を転換・均一化し、合同で一枚の巨大な防壁を展開して「堤防」を形成した。物理と力の二重の堤防である。


 補強された岩石の堤防は津波の威力と高さを幾ばくか緩和したものの決壊してしまった。尤も、ウェントゥスはその程度で津波を止められるとも思っておらず、二重の堤防の間にいた彼はそれを見越した上で、「月影」に溜め込んでいた力を全て解き放って、巨大な光波を打ち出した。


 巨大な光波は津波の勢いにも勝る衝撃を放ちながら減衰することなく地を這うようにかなり遠くまで津波と海諸共真っ二つに斬り裂いていく。それによって海水の流れに変化が生じ、津波の高さと威力が瞬く間に激減した。


 味方の軍勢はその光景に一瞬固まるも、すぐさま気を引き締め直し、

『不撓不屈!押せーっ!!』

という掛け声とともに、防壁を展開していた十万以上の兵全員が怯むことなく全力で防壁を押し出すと、津波を完全に堰き止めてしまった。その光景に、遠方で待機していた海の魔物たち全員が怖気付いたのか、一斉に撤退していく。

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