【第四十九話】十年之約(中)
飛竜の姿のルナが拠点に現れたのは、その日の午後になってからだった。彼女はウェントゥスたちを見つけると、人の姿になって舞い降りてきた。
再会の挨拶もそこそこに、ルナがウェントゥスの表情を見ながら、
「その顔を見るに、もう準備は整っているようね。」
と言うと、彼は軽く笑って、
「まあ、ぼちぼちかな。それより、光族と闇族に何か動向はあった?」
と尋ねた。
ルナは、特に大きな動向はないが、闇族が住む大陸各地で小さな戦火が巻き起こっている的な話をしてくれた。ただ、ここ1年近く観察してきた身からすると、この程度は日常茶飯事らしい。
一方、光族の方は見かけ上、特に何も変化はなかったと話した。そして、虹の大陸からはここ数年(この)島以外へ開拓調査隊を全く送っていないので、目下どこかで鉢合わせすることはないだろうと締めくくった。それを聞いて、ウェントゥスはひとまず安心したものの、
「次の光族か闇族に遭う前に、我々はもっと力をつけないと…」
と呟いた。
「あら、そんな心配より、今宵、私に負ける心配をした方がいいのでは?」
ルナのこの発言に、ウェントゥスはただ軽く笑っただけだが、彼の眼光からは自信が窺えた。何はともあれ、約束の時間は夕方なので、それまで拠点内で寛ぐことにした。
日が暮れた頃、広大な対戦場の観客席を含め、周囲一帯、この「世紀の対戦」を観に来た人々で埋め尽くされていた。もともと夕闇の飛竜が戦うのに合わせて大きく囲ったのもあり、外縁部の一番外側の観客からは、ウェントゥスとルナの姿が米粒サイズにも満たない程度の大きさにしか見えないが、それでも一眼見ようと、これだけ多くの人が集まったようだ。
やがて、主役の二人が一緒に入場すると、大きな歓声が湧き上がった。
開始の合図はなく、どちらかが構えた瞬間から始まった。
ウェントゥスが構えたのと同時に、ルナは「スピリット・アイズ」を発動し、赤き眼光を滾らせた。どうやら人の姿のまま戦うらしい。他の観客を巻き込まないように気を遣っているのか、などとウェントゥスが考えていると、いつの間にかルナは目前まで迫っていた。
「そんなんじゃ、死ぬよ?」
彼女はそうと言わんばかりの冷たい笑みを浮かべている。
今の一瞬で、ウェントゥスは初めて夕闇の飛竜と戦った際に感じた殺気をルナから感じ取ったようで、彼は咄嗟にシャドウステップで距離をとる。しかし、ルナはウェントゥスの行動を先読みしてか、既に彼の移動先にシャドウステップで駆けつけていた。
(速い!)
ある程度予想はしていながらも、同じシャドウステップでこれだけの速度差を見せつけられては、動揺しない方が無理だというもの。どうやら、ウェントゥスが考えている以上にルナは強くなっている。
回避が間に合わず、ルナが繰り出した蹴りをウェントゥスは防壁で防ぐが、その衝撃で彼は十メートル程後退りした。そこへ、追撃の蹴りが迫る。飛竜の姿の時とは全く異なるベクトルの強さをルナに見せつけられたウェントゥスであった。
そんな息吐く暇も与えないルナの攻勢に、ウェントゥスは何とか距離をとりながら、彼女の攻撃と攻撃の間の、僅かながらの時間的猶予を少しずつ作り出していく。そして、その時間の積み重ねで、彼は1体の分身を作り出した。どうにかこれでルナの攻撃を分散させることができると考えたウェントゥスだったが、甘かった。
ルナは、片方のウェントゥスにテコンドーのような激しい足技を中心とした近接攻撃を仕掛けると同時に、もう片方に対して、両手からそれぞれ分散・追尾する紫白色の波動や光線攻撃を放ち、対処した。
この2つの全く異なる攻撃手法を、彼女はそれぞれの攻撃頻度を殆ど低下させることなくこなすため、1体の分身では全く状況を打破できないとわからせられたウェントゥスは、仕方なく分身と共に、同じ要領でもう1体ずつの分身を作り、ようやく、少しばかりの余裕が生まれた。だが、それも長くは続かなかった。
少々優位に立ったウェントゥス側であるが、彼の分身には忘れてはならない弱点がある。それは、分身は術者の力の半分を分け与えられて作られるので、「月影」や力を回復させる手段がなければ、自ずと分身の力は、その分身回数に応じて弱くなっていくものだ。
暫く4人のウェントゥスを相手していたルナだったが、そのうち、分身の一人の真正面に瞬間移動したのと同時に、片手でその首を掴んで持ち上げて、漆黒の炎で灰も残らないほどに、一瞬の内に燃やしてしまった。
これまでの演武のような二人のやりとりと異なり、この冷酷な行動は、多くの観客を恐怖に陥れ、黙らせた。しかし、ルナはそんな観客たちの様子など全く気にかけていないのか、そのまま次々と分身を燃やしていった。
打開しかけた状況が逆戻りしたばかりか、自身の力の大半を失ってしまったことで覆しようのない劣勢に立たされるウェントゥス。ところが、そんな彼に容赦することなく、ルナはやや目を細めると、次の瞬間には紫白色のオーラを纏った右手でウェントゥスが張った防壁を軽々と破り、彼の首を掴んで持ち上げた。そして冷たく笑うと、分身たちと同様に、漆黒の炎でその肉体を滅却してしまった。
この光景に会場は完全に静まり返った。観客の殆どが恐怖のどん底に叩き落とされたようで、目と口を開いたまま固まっている。
暫しの静寂が続いた後、観客たちの中から、
『ウェントゥス先生っ!!』
という、複数の彼の名を叫ぶ声がする。
それらの声にルナは滾っていた眼光を収め、鋭い視線で周囲を見渡し始めた。だが、それは観客に向けたものではないように見える。そんな中、突如ルナを大きく囲うように8体のウェントゥスの分身が一斉に出現したのと同時に、彼らによって大きな結界が展開された。
観客の殆どは一体何が起こったのか、暫し理解が追いつかなかったが、少なくとも、まだ終わっていないということだけは徐々に理解していったようだ。そこへ、
「いやあ、流石の威力だ。本物の自分でも、あれは多分死ぬな。」
という声と共に、ウェントゥス本人が結界内に姿を現した。
ウェントゥスは分身をルナにぶつけて、その力量を測っていたようだ。彼は、十年前の結晶窟で、怪鳥と黒虎と戦った時のように、自分と分身を入れ替えていたのである。
では、本物のウェントゥスはどうしていたのかというと、彼は開始直後に構えたと同時に、分身と入れ替わり、陸珊瑚で戦った敵が使用した「空間歪曲迷彩」と、玄血族の祖と戦った時に会得した「無心」の2つから見出した技「
先ほどの戦いで、敢えて苦戦を演じたのは、見せ物として盛り上げるという目的もあったが、ルナの注意を本体から逸らすのと同時に、結界範囲内へと誘い込む作戦のためでもあった。
「相変わらず、欺くのはお上手なようね。」
ルナはこの状況に驚くことなく皮肉った。おそらく戦っているうちに勘づいていたのだろう。だからこそ、あのような容赦ない手段をとったのかもしれない。
「まぁ、まだ限られた条件でしか、この手法は使えないけどね。というより、月影も持たずに、最初から真っ向勝負仕掛けるなんて、自殺行為でしょ。」
ウェントゥスがそう返すも、ルナは鼻で笑い、
「如何にも、ここから展開が変わると言わんばかりの言い草ね。」
と、再び冷たい口調で投げかけるが、ウェントゥスは自信を含ませた笑顔で、
「戦ってみればわかるさ。」
とだけ答えた。
ルナは表情を引き締めると、今度は一振りの刀らしきものを召喚した。その刀の柄と鞘は夕闇の飛竜の装甲を連想させる形状をしており、その上、全体から禍々しく刺々しい紫白色のオーラが溢れ出ている。彼女はその名を「孤月」と呼んだ。
ウェントゥスがその刀を見たのはこれが初めてで、どうやら彼女も奥の手を隠していたようだ。
(こっからが本番だな!)
ルナは再び眼光を赤く滾らせてると、刀の柄に手を添えるともに、次の瞬間にはウェントゥスの面前まで迫っていた。対するウェントゥスは、このタイミングを待っていたとばかりに「スピリット・アイズ」を開眼して、蒼白い眼光を滾らせる。
抜刀しかけたルナが一瞬驚き、動きが僅かばかり遅れる。そこへ、ウェントゥスが瞬発的な波動を撃ち出した。
ルナは咄嗟に避けようと、シャドウステップを繰り出す。しかし、ウェントゥスは「スピリット・アイズ」でその動きを読み、すぐさま偏差撃ちに切り替えてルナの避けた先に当てた。
ルナは鞘でその攻撃防ぐも、凄まじい衝撃によって、彼女は吹き飛ばされてしまった。だが、流石ルナなだけあって、彼女は上手く体勢を整えながら着地するのと同時に反撃してきた。
二人は互いに一瞬を読み合う攻防を繰り広げている。一方、恐怖のどん底に突き落とされていた大勢の観客たちは、大きな結界空間内で頻繁に交差する二対の尾を引く光と、時折見える残像しか捉えられぬ程、この目にも留まらぬ速さの戦いを、瞬きもせずに固唾を呑んで見守っている。
ルナの「スピリット・アイズ」と「シャドウステップ」はウェントゥスのより劣らないはずである。それに、彼女の刀で戦うスタイルをウェントゥスが目にするのは初めてであり、それの対処も併せて考えると、ルナの方に分があるように思える。
ところが現状は、あたかも互いに拮抗しているように見える。先ほどの分身相手に戦った感覚がルナを惑わせたせいもあるのか、このことがルナ本人に、何とも言えない不気味さを感じさせた。
そして、もう一つ不思議なこととして、ウェントゥスはかなりの力を消耗しているはずなのに、全くそれを感じさせない点だ。それどころか、ウェントゥスの動きは益々洗練されていくようにすら感じられ、ルナは急に彼がわからなくなったような感覚に陥ってしまった。
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