【第三十一話】異変(前編)

 一行は注意深く霊獣や魔獣を観察しながら奥へと進んでいた。入り口付近に棲む集団は特に敵意を示すことはなく、どちらかというと一行を避けるような行動をとっていた。


 暫く進むと、まだ十分の一も潜っていないのに、急に暑くなってきたのを全員が感じた。

「何か変だ。」

へリオスが呟く。以前この地点でこのような暑さを感じたことがなかったからだ。そして、彼は生息する霊獣や魔獣の分布もおかしいことに気が付き、

「洞窟の入り口付近は以前、もっと土属性や風属性のものが多かったが、今周りを見渡すと殆どが火属性ばかりになっている。それに、そこそこランクも高いものばかりだ。」

と、付け加えた。

「最深部の溶岩が結構中盤付近まで噴き出ているからとかでしょうか?」

風雲の意見にヘリオスは肯定を示すが、ただ、もしそうだとすると、果たして最深部まで辿り着けるかどうかが問題となってくる。


『ひとまず、水のベールで暑さによる体力消耗を防ぎますね。』

碧と翡翠は声を揃えてそう言いながら、一人一人に補助魔法をかけると、皆して身の回りの温度が下がるのを感じた。とりあえず、このまま奥へ進み、「水のヴェール」の効果でどこまで行けるかを確かめてみることにした。



 一行はできるだけ霊獣や魔獣を刺激しないように奥へと進み続けたが、特に変異が見受けられる個体は見当たらなかった。一方で、時間的にはもう夜遅いので、程よい空間を見つけると、ひとまずそこで野営することにした。


 へリオスは皆に労いの言葉をかけながら、調査班秘伝レシピで作った保存食を配り、ディナーミーティングを始める。


「まだ洞窟の三分の一の地点だが、以前来た時と比べると、洞窟内の環境がかなり過酷になっている。最深部で何かが起こったのは間違いなさそうだ。」

へリオスが話を切り出すと、

『霊獣と魔獣たちは私たちに特に敵意を向けなかったのですが、彼らの中に何かを感じました…うまく表現できませんが…』

双子がそれに続いた。どうやら彼女たちは、霊獣や魔獣たちの内部を感じ取る力で、何らかの変化を捉えたのだろう。

「彼らの内部に何かが渦巻いているような感じですかね。」

風雲が双子をフォローする。彼も毒属性の力を通して対象の内に存在する何かを感じとったようだ。

「つまり、それが変異の前兆かもしれないってことかな…。」

それら話をまとめるかのようにリディアが考えを述べた。


 不思議なことに、ウェントゥスはその間、ただ黙々と夕食を食べているだけで、何も発言しなかった。彼にしては珍しいと皆は思っていたが、当の本人は識界でルナと会話をしていた。


 彼はルナに変異体が出現してから島の環境に何か変化はないかと聞いてみたが、彼女の話では特にないとのことだ。そもそも、島の環境は力脈の影響を大きく受けているから、洞窟内という限定された空間とは異なるだろうと説明してくれた。その一方で、霊獣や魔獣の類が棲む洞窟内の環境が大きく変化したのなら、十中八九、その主にも大きな変化が生じたと考えていいと言って、ウェントゥスに警戒を促した。


 ウェントゥスはその意見に賛同し、ルナに礼を言って意識の中から出たところ、皆が自分の顔を覗き込んでいるのに驚いて、思わず変な声を出してしまった。


「暑さで頭がやられたんじゃないかと思ったわよ。」

リディアがウェントゥスの背中を軽く叩きながら揶揄うと、咽せそうになるのを必死に堪えながら、

「ごめんごめん。皆の話を聞いていたら、どうもこの洞窟の主と関係するんじゃないかと考えてた。」

と彼は返した。そして続けて、

「師匠。確か以前、ここの洞窟の主は確認できなかったっておっしゃっていましたよね?こうは考えられませんか。」

と言うと、彼の考えを話した。


この洞窟には確実に主がいて、これまでは眠っていたために洞窟内は比較的安定した状態だった。ところが、何かの拍子にその主が目を覚まして、或いは覚醒してしまったために、洞窟内の環境が大きく変化してしまったのではないか。


 主の目覚めと変異は関係するかどうかはわからないが、広大な洞窟全体に影響を与えるほどのものだとすれば、用心に越した事はないのだろう。確かにウェントゥスの言うことに一理あると皆は考えた。

「もしそうだとすると、かなり厄介なことになりそうだな…。」

へリオスは深刻な表情を浮かべながら言った。寝起きの主はなかなか手がつけられないことは採取班の活動で何度かその身を以て経験してきたからである。


 とりあえず明日は一層注意して進むことにした。



 翌朝、碧と翡翠の「水のヴェール」のおかげで一行は気持ちよく目覚めることができた。洞窟の中では時間の感覚が狂いやすくなるが、今のところ、特に影響はなさそうだ。


 出発してから数刻。洞窟の中間部に差しかかる地点で、ある広い空間に出ようとした時、突如ただならぬ気配を感じて、全員が一斉に身を潜めた。


 岩の影から恐る恐る気配のする方を覗いてみると、そこには重厚で刺々しい暗赤色の鎧を纏った巨大な四足獣がこちらに背を向けているのが見えた。ふと、相手も何かを嗅ぎつけたのか、こちらに振り向く。その獣には3つの犬のような頭が付いていた。

『ケルベロス!?』

全員からその言葉が出た。伝説でしか伝え聞いたことがない魔獣ケルベロス。その気迫は超位三段級を軽く超え、下手するとヘリオスの不死鳥にも勝る程のものだ。

「ここに伝説の魔獣がいたなんて…」

へリオスは独り言のように言いつつ、全員に万一に備えて戦闘準備をするように合図を送った。


 ところが、戦闘態勢に入る周りをよそに、ウェントゥスだけは身構えることもなく、ケルベロスの前へと進み出ていった。皆は、彼がどうするつもりなのかと不安がる中、ウェントゥスはケルベロスに話しかけ始めた。そういえばウェントゥスは霊獣や魔獣と話せるのだと皆は思い出した。


「ケルベロス三兄弟、とでもお呼びすればよろしいのでしょうか。」

ウェントゥスはケルベロスに声をかけると、ケルベロスは目の前で余裕をかました様子の小さき者を眺めながら、

「小僧、俺様の言葉がわかるのか?」

と、真ん中の頭が尋ね返してきた。ウェントゥスは肯定しつつ、

「貴方様はここの主でいらっしゃいますよね?」

と、単刀直入に聞いた。伝説によれば、ケルベロスには溶岩を操る能力があるとのことなので、確かに主であってもおかしくないと皆は思った。

「その通りだ。これまで最深部で気持ち良く寝ていたのだが、最近現れた見慣れない奴に負けて、ここまで追いやられてしまったのさ。」

再び真ん中の頭がそう答えると、

『情けない話さ。』

両側の頭がつぶやいたと同時に3つの頭が一斉にがっくりと垂れた。見た目に反して可愛いところがあるようだ。


 この一連の流れを見ていた他のメンバーは、ケルベロスの言った内容は聞き取れなかったものの、どうやら戦闘に発展する心配はなさそうだということは察した。ひとまず、ウェントゥスは皆に出てくるように促すと、ケルベロスに事情を説明し、例の見慣れない奴に関する情報を求めてみた。


 ケルベロスの説明によれば、奴は鳥のような姿をしていたということ、全力で立ち向かったが全く歯が立たなかったこと、能力については少なくとも雷と水の力を有しているようだとのことだ。


 ウェントゥスはケルベロスからの説明を聴きながら他のメンバーに通訳し、その内容を聞いたメンバー全員が、この洞窟の奥に伝説級の魔獣を簡単に打ち負かすほどの存在がいることに驚愕した。

「雷と水か。雷はともかく、水の力がこの環境の影響を受けることなく働くなんて、もともとどれくらい強力なのか、想像がつかない。」

へリオスがそう言うと、

「もしかすると、元は水属性ではなく、変異によるものかもしれないですね。」

リディアが続いた。ウェントゥスも確かにその通りだと考えて、

「その鳥のような何かは、もともとここに生息していたものですか?或いは似た存在はいましたか?」

と、ケルベロスに尋ねてみたが、ケルベロスの真ん中の頭が、

「居たといえば居たような、居なかったといえば居なかったような…」

と、曖昧な返事をする。そこへすかさず、

『なにせずっと寝ていたからな…』

両側の2つの頭が補足してくれた。


 この調子を狂わせる発言に、ウェントゥスは思わず笑いが噴き出てしまった。他のメンバーも彼の翻訳を聞いて思わず笑ってしまったのと同時に、ケルベロスとこれほど愛嬌あるやりとりをするとは思いもしなかった。


 ひとまずウェントゥスは気を取り直して、

「では、入り口近くがかなり暑かったのはケルベロス三兄弟がここまで出てきたからなのですか?」

と尋ねた。ケルベロスは頷くと、最深部にいる奴が氷の結界を展開してこちらの力を奪ってきたからだと話した。そして、それのせいで、最深部にいた火属性のものたちの多くは追いやられてしまい、力関係で下に属するものたちは、この洞窟を去ったのだと教えてくれた。


 なるほど、これで洞窟内の環境や霊獣と魔獣の分布がかなり変化した理由がはっきりした。その上、何よりも、洞窟の最新部にいる例の存在はこの環境を作り変えるほどの力の持ち主だということも把握できた。

「ってことは、今最深部付近は、その鳥のような姿をした何かの独壇場ということですかね。」

ウェントゥスの通訳を通して、その内容を聞いていた風雲が口を開く。それに対し、ケルベロスは肯定しつつ、

「それだけではない。強制的に順応させれられたかのように、おかしくなった奴らも多い。」

と付け加えた。やはり変異を起こしている霊獣や魔獣がいるらしい。だがその場合、変異の原因はその鳥のような何かということになる。

「環境を変えるだけでなく、霊獣や魔獣をも変異させる力…もし虹の大陸各地で同じような現象が起きていたら、決していい兆候ではないでしょうね。」

ウェントゥスのこの発言に、皆が深刻な表情を浮かべた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る