【第二十七話】約束
翌日、ウェントゥスは何とか虹の大陸へ帰る手立てを考えていた。そして、一旦拠点があった場所まで戻ろうと結晶窟の入り口からその方面を眺めた彼は驚くべき光景を目にする。
巨大なクレーターとなっていた場所には湖ができていて、そして、夕闇の飛竜の攻撃によって荒廃としていたはずのクレーターの周りも木々が鬱蒼と生い茂っていたのである。
「力脈の力を借りて、できる限り再生したの。」
いつの間にかウェントゥスの後ろにいたルナが説明してくれた。昨日彼女が出かけたのは、このためだったのかとウェントゥスは把握したのと同時に、力脈が有する再生能力に驚きを隠せずにはいられなかった。
「はい、これ。」
光景に見惚れているウェントゥスにルナが「月影」を差し出した。しかし、彼は受け取らなかった。
「この剣は貴女が持っているべきかも知れません。」
まだ扱い慣れていない自分なんかより、既に意のままに「月影」の力を解放できるルナの方が所有者に相応しいと考えたからだ。それに、ルナの言っていた、「月影」が大勢の竜人族の失踪を解く鍵になるのであれば、尚更彼女が持っている方が良いのだろうとも思った。
そんなウェントゥスの内心を読んだのか、
「色々考えすぎじゃない?暫くはこの島から出られそうにないんでしょ?とりあえず、結晶窟で鍛錬してみては?」
ルナは彼にそう提案した。
ウェントゥスは、あれだけ他者が寄り付くのを拒んだ彼女が結晶窟の使用を自ら提案したことに驚いたのだが、そんな彼の心を再び読んだのか、
「この剣のおかげもあるけど、一応、貴方は私を打ち負かした初めての存在。それに、弱っていた私を霊獣や魔獣の襲撃から助けてもくれた。それらって、この結晶窟を使用できるのに十分値すると思うけど。」
ルナは丁寧に説明してくれた。ウェントゥスはそこまで言わせてしまったことに申し訳なさを感じつつ、この上ない謝意を述べて、彼女の言葉に甘えることにした。
ウェントゥスは早速練気を開始した。大小様々な水晶や結晶群を通して力脈から力が直接流れ込むのもあって、練気塔の第九層での練気とは比べ物にならないくらいに、自分の力が洗練されながら増大していくのを彼は実感した。やがてそれに伴い、ウェントゥスの脳裏に何かの属性文字が形成され始めた。
彼はすぐさまその文字を空間に描き出してみた。だが、なんだかぎこちない。恐らくそれがまだ完成形ではないからだろう。ウェントゥスは引き続き練気しながら時々識界に潜り、これまでに見出した属性文字と見比べて、足りないと思われる部分を書き足していった。
最後の一画を書き足してから、ようやくウェントゥスは休憩を取ったが、休憩中もずっと文字を眺めている。ルナはその文字が何を意味するのかを知っていたものの、文字の力を引き出すためには本人の力のみでそれを理解したほうが良いと考えて敢えて教えずにいた。代わりに、
「貴方のその直向きな姿勢には感心するけど、ずっと文字と睨めっこするより、気分転換したほうが案外閃くかもよ。」
と声かけた。それもそうだと考え、ウェントゥスは一旦文字を仕舞い込むと、ひとまずルナが用意してくれた食事を取ることにした。
食事の後、少し夜風に当ろうとウェントゥスは結晶窟の入り口で夜空を見上げていた。そこには夕闇の飛竜と戦った夜にも見えたように無数の星々が輝いており、月も満月ではないが、それでも現実を忘れさせるほど十分に美しく、彼は頭の中を一度空っぽにして、純粋にこの夜空を楽しむことにした。
暫くすると、一筋の流れ星が見えた。そしてすぐに、それに続くように数多の流れ星が次々と姿を現し始めた。
「流星群!」
思わずウェントゥスの口から感動の声が漏れる。ふと、彼は少し離れた場所でルナもそれを見ているのに気付いた。だが、彼女は感動しているというよりかは、どこか物悲しそうな雰囲気を醸し出している。
「また10年が経ったのね…」
ルナはかなりの小声で呟いたが、ウェントゥスの地獄耳はそれを逃さず聞き取っていた。
「この流星群は10年に一度見られるのですか?」
ウェントゥスの問いかけに、ルナはハッとして、何だか申し訳なさそうに頷く。そして少し笑うと、
「もう何度この10年を経験したか、数えるのも嫌になっちゃった…。」
と話した。
10年単位を数えるのも嫌になるくらいの年月を想像していたウェントゥスは、ルナは一体どれくらい生きてきたのかと不思議に思った。ただ、彼女が語ってくれた話から、少なくとも悠久とも言える時間をずっと一人で過ごして来たのは間違いないのだろう。そうと考えると、少し不憫に思えて来たのだが、そんなウェントゥスの心を読んだのか、
「もしかして同情してくれてるの?フフ、ありがとう。でも独り身が長年続いたから慣れたわよ、こういうの。」
と、本当のことか強がりかはわからなかったが、ルナは微笑んだ。
しかし、ウェントゥスはここで終わらず、思い切った質問をしてみた。
「召喚の契りの類を結ぶことってできますか?」
その一言にルナは思わず目を見開くが、彼の意図を理解して、
「私は霊獣や魔獣の類でもなければ、ただの竜でもないから、貴方が指す召喚の契りはできないと思うわよ。」
と答えた。ウェントゥスもやっぱりそうですよねという表情になったが、
「でも、方法がないわけでもないけどね。」
ルナはそう言うと説明してくれた。
*
竜人族の本名を知る者は心の中でその名を呼ぶことで、瞬時に対象を自分の側へ呼び寄せることができるのだそうだ。だが、竜人族は竜化して初めて自分の心に本名を授かるため、基本的に親族も含め他者はそれを知らない。
そして、本当の名前を明かす状況は基本的に2つしかなく、一つは伴侶の契りを結んだ時、もう一つは相手に誠心誠意の服従を誓った時のどちらかだ。
*
「竜人族同士以外で伴侶の契りを結ぶなんて聞いたことないし、そもそも貴方はまだ子供だし?一方で今の貴方が私に服従を誓わせるほどの存在かどうかって言われれば…ね?」
と締めくくった。
一瞬希望を抱いたウェントゥスだったが、その説明を聞いて再び落ち込んでしまった。同時に、彼女が本名を教えてくれなかった本当の理由を理解した。
だが、やはりウェントゥスはウェントゥスなだけあって、落ち込んだ気持ちを瞬く間に吹き飛ばすと、
「では、次の流星群が来た時に、貴女に再戦を申し込みましょう。その時は月影のおかげ、なんて言われないように、必ず貴女を心服させて見せますよ!」
と意気込んだ。ルナはそれを聞いて思わず笑いながら、
「楽しみにしているわ。けど、私も強くなり続けていることをお忘れなく。」
と、表向きは釘を刺したが、心の中では何故かきっと10年とかからないうちに、違う形で彼に心服しそうな予感がしていた。
流星群が過ぎ去った後、二人は再び結晶窟の方へと戻っていった。
ウェントゥスは気分一新できたことと、新たに目標ができたおかげか、これまでになく気合が入っている。そして引き続き、先ほど描き出した文字を解読しようとしたところ、その文字から何かを解き放つような力を感じ取った。
もしやと思い、彼はルナから「月影」を借りて、左手でその文字を保持しながら、昨日彼女がやったのと同じように剣身を撫でてみた。すると、撫でた後から「月影」はその力を解放し、再び神秘的な剣身へと変化したのである。
「おめでとう!」
ルナは嬉しそうに祝ってくれた。だが、ウェントゥスは礼を述べつつも満足はしなかった。この文字のおかげで、「月影」の力を自由自在に解放できるようになったことは大変喜ばしいことではあるが、「月影」の力に頼ってしまいそうな自分の姿が脳裏を掠めて素直に喜べなかったのである。さっきの今、「月影」に頼らずに強くなると豪語したばかりなので無理もない。
ウェントゥスは是非を問いかけるかのように、解放した「月影」を見つめていると、「月影」が自らの意思での如く、元の漆黒の剣身に戻ってしまった。それによって、ウェントゥスの意思も固まった。
「ひとまず貴女に預けることにします。」
ルナは彼の目を少し見つめてから、軽く微笑んで「月影」を受け取った。
このやりとりを終えたウェントゥスは早速、寸暇を惜しむかの如く再び鍛錬に打ち込み始めた。
ウェントゥスの力と力脈との共鳴の強さは驚くべきものだった。ルナが築き上げた結晶空間のおかげも大いにあるが、練気を始めて三日経った頃、彼は力脈の力を自身に完全同化させるまでに至っていた。そのおかげで自身の力の器を従来の3倍ほどまで拡張し、力の源を更に蓄えながらも、その大きさを肥大させることなく凝縮し、維持していた。
ルナは、見違えるほど強くなったウェントゥスに「シャドウステップ」を伝授することを決めた。
シャドウステップはルナが見出した技の一つで、動作をする上で受ける様々な制限や抵抗を打ち消し、それによってトリッキーな動きを可能にするものである。
以前、飛竜の姿の彼女が見せた残像飛行はこの技を応用したもので、ルナはこの技と、相手の動きを先読みする「スピリット・アイズ」を併せ持つことで、殆どの攻撃を躱すことができるのだと教えてくれた。因みに、スピリット・アイズを開眼した者は瞳が光るようになり、それが動く際に残光のように見えるということも教えてくれた。残念ながら、ウェントゥスの力量はスピリット・アイズの開眼には程遠かったので、それはまたいつかの機会にということになった。
シャドウステップは脚に意識を集中させるだけでなく、体全体を行きたい先へと意識させることが重要であるとルナは教えてくれた。つまり、体の各部位の動きを意識して素早く移動することが、シャドウステップ習得への第一歩というわけである。
早速、ウェントゥスはオーラを纏うと、それを全身の各部位・関節に分散させて、それを調整しながら動こうと試みた。しかし、頭では分かっていても、いざそれを実践しようとすると難しい。
猛練習を開始してから半日。ルナの丁寧な指導のおかげもあって、彼は何とか前方向に数歩分程度のシャドウステップらしい動きができるようになっていた。
「短時間にしては上出来ね!」
ルナは素直にウェントゥスを褒めたが、当然、彼の性格からして満足することはない。まだシャドウステップの制御がおぼつかないウェントゥスは多大な力を消費するため、随時練気で力を回復させながら、その後一晩中練習を続けた。
一夜明けて。ウェントゥスは前方向へのシャドウステップを完全に習得していた。結局徹夜で彼の練習に付き合っていたルナも、これほど早く習得できるとは思っていなかったため、
(徹夜に付き合った甲斐があったかな。)
などと満足そうな笑みを浮かべていた。一方、ウェントゥスにとって、一旦コツを掴めれば、他方向へのシャドウステップの習得も容易なものである。
結果的に、更に二日間の猛練習を経て、力の消耗という点ではまだ至らぬところがあるものの、彼はシャドウステップの動きをマスターすることができた。その習得速度はルナの予想を遥かに超えていたこともあり、
(10年とかからないうちに、本当に彼は自分を超えるかもしれない)
彼女は確信に近い予感がした。
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