【第二十五話】月下

 先程の夕闇の飛竜の攻撃に霊獣と魔獣たちが恐怖したのか、追いかける道中でウェントゥスは一体たりとも彼らと遭遇することがなかった。また、夕闇の飛竜もこれまでと違い、かなりよろめきながら飛んでいたのもあり、ウェントゥスは特に苦労することなく追跡することができた。


 やがて、夕闇の飛竜を攻撃範囲内に捉えたウェントゥスは道中で思いついた攻撃を試そうとも考えたが、飛竜はきっと巣に戻って休むに違いないと思い、より確実に仕留めるために、引き続き気付かれぬよう尾行することにした。


 夕闇の飛竜を追って山を登っていくと、やがて山頂付近の入り組んだ場所に大きな洞窟のようなものが現れた。飛竜は少し周りの様子を伺っていたが、そのまま洞窟の奥へと飛び入ってしまった。一方、後をつけていたウェントゥスは、急な登山でやや乱れた息を整えつつ、洞窟の中でどう行動すべきかを色々考え、少し間を置いてから入っていった。



 少し進むと、前方が明るくなっているのに気が付いた。勿論それは目の慣れではなく、その先に生えた大小様々な色とりどりの結晶様のものが優しく光っているからである。夕闇の飛竜の禍々しさとは正反対に、落ち着きを与えてくれる光である。


 このような幻想的な一本道を慎重に進んで行くと、やがて大きく開けた空間が目の前に現れた。


 ウェントゥスは身を潜めながら中の様子を伺ってみる。どうやらここが終着点のようで、天井にはいくつもの巨大な水晶のようなものがひしめき合うように生えており、地上にも空間を囲うようにやや小さめの色とりどりの結晶が生えているのが見えた。そして、その美しい結晶群に囲まれた空間の真ん中付近に、こちらに背を向けて座っている人らしき姿が見えたが、夕闇の飛竜の姿はどこにもない。


 ウェントゥスは気配をできる限り消したまま、その人らしきものへと近づいていくが、一瞬で察知されたようで、その人物はスッと立ち上がると、彼の方を振り向いた。思わずウェントゥスが息を呑む。


 長く艶やかな黒髪をやや靡かせながら振り向いたその人物は、遠くからでもわかるほどの真紅色の綺麗な瞳をしており、凛とした顔立ちをしている。そして、身につけている美しい流線型のドレスの所々には甲冑のようなものがついており、それは僅かながらも夕闇の飛竜を連想させるような形と色合いをしている。ふと、開けた胸元に垣間見える豊満な胸が目に映り、ウェントゥスは思わず視線を逸らした。まだ16歳の彼にとって刺激が強すぎるほどの妖艶さを漂わせた大人の女性である。


 女性はウェントゥスを見て一瞬驚いた表情を浮かべたが、無言のまま彼を睨んだ。ウェントゥスは彼女から敵意を感じたが、夕闇の飛竜で感じた圧迫するような気配と殺気は感じ取れなかった。

「貴女は…夕闇の飛竜の契約者か何かですか?」

ひとまずウェントゥスは近づきながら問いかけてみた。すると、

「契約者?」

女性はウェントゥスを睨んだまま聞き返してきた。どうやら言葉は通じるらしいと考えたウェントゥスが説明しようとしたところ、

「今、貴方の目の前にいるこの私が、貴方と戦いを繰り広げた飛竜ですよ、小さき者。」

女性は彼を見下ろしながら続けた。


 ウェントゥスは混乱して思わず立ち止まる。これまで人の姿に化ける霊獣や魔獣の類は聞いたことがなく、そして、よりによって目の前にいる妖艶な美女が、あの禍々しい夕闇の飛竜だとは連想できなかったからだ。


 彼は一旦自分を落ち着かせてから「月影」を女性に向けると、

「小さき者ね…。その小さき者相手に、ここまで追い詰められたのは、一体どこの大物なんでしょうね?」

と、いつもの調子で、売り言葉に買い言葉で返した。勿論、返された側は気持ち穏やかなはずもなく、

「いい気になるな、小さき者よ。あの…っ」

女性が続きを言いかけた時、思わず胸元を押さえて膝をついた。やはり、先程の爆発は彼女自身への負荷も半端ないものだったのだろう。ウェントゥスは一旦「月影」を下ろした。その間、女性は何とか息を整えるながら、

「あの…忌々しい…結界さえ…」

と呟いた。


 ウェントゥスはその様子を見て、本当に討伐すべきかどうか考え始めた。決してその女性の容姿に惑わされたのではなく、彼の中に一つ引っかかっている点があったからだ。



 暫く彼女が息を整えているのを眺めていると、ふと背後にいくつもの振動が伝わってきたとともに多くの気配を感じた。


 程なくして、空間からの出口を埋め尽くさんばかりの数多の霊獣や魔獣が姿を現した。もしや夕闇の飛竜に謀られたのかとウェントゥスは一瞬考えたが、何だか様子がおかしい。そんな中、そのうちの一体が口を開いた。

「飛竜よ!いつかの仇、返してもらうぞ!」

と叫ぶと、別の個体が後に続いた。

「完全に弱っている今が絶好の機会!八つ裂きにしてくれる!」

状況から判断するに、魔獣や霊獣は逃げたのではなく、この女性を倒す機会をずっと窺っていたのだとウェントゥスは理解した。だが次の瞬間、いつの間にか彼らの言葉が理解できるようになっていることに困惑していまう。


 そんな彼をよそに、

「いつから霊獣と魔獣はそんなに仲が良くなったのかしら?」

ウェントゥスの背後から女性の声が聞こえた。いつの間にか立ち上がっていた彼女は、まだ少しおぼつかない足取りでウェントゥスの前に出ると、

「それに、元はと言えば、ここから力脈を奪おうと、そちら側が先に襲ってきたのだと記憶しているけど。逆恨みも甚だしいわね…。」

霊獣や魔獣を冷たく睨見ながら言葉を投げかけた。



 以前のへリオスの報告や今回の調査結果を踏まえると、ウェントゥスは、夕闇の飛竜は大規模な戦闘があった時だけ姿を現していたことを思い出した。そして、この女性の発言にある「力脈」とは何かまではわからないものの、彼女はそれを守っているらしいことを理解した。

(やはり、まずきちんと話をしてみるべきだな。判断はその後にでも…)

と、彼は考えたが、そのためには、まずこの超位三段級を超える霊獣や魔獣たちをどうにかしなければならない。というのも、出口を塞いでいるのを見るに、自分も無事では済まされないことが明白だからである。

(よし、ここは…)

ウェントゥスは勿体ぶった溜め息を吐きながら女性の前に出ると、

「やれやれ。弱っている女性を寄って集って虐めるとは、こんな奴らと召喚獣の契約をしなくて良かったとつくづく思うわ。」

と、ウェントゥス節を炸裂させた。


「召喚獣…契約?」

女性の呟きにウェントゥスは何かを確信した。

一方、霊獣や魔獣側はというと、

『人間よ、お前も大勢の仲間をその夕闇の飛竜に殺されただろ。何故そいつの肩を持つ?』

頭領クラスの霊獣の双頭が尤もらしく問いかけてきたが、

「彼女の次は俺なんだろ?」

ウェントゥスが逆に問い返した。すると、頭領クラスの魔獣が面倒だと言わんばかりに悪態をつきながら

「察しがいいな、小僧。お前は此奴と同じくらい危険な存在だ。そして、今のお前はもう我々全員を相手にする力がないだろう。ここでまとめて片付ければ、もう我々の邪魔をする者は居なくなる!」

と答えた。女性は言い返そうとしたが、ウェントゥスは手でそれを遮りながら、

「我々?ハッ。万一、俺らを始末できたとしても、その後はまたお互い殺し合うんだろ?むしろ、戦闘のどさくさに紛れて、互いに闇討ちを仕掛けるかもな!」

と、馬鹿にするように言い放った。


 この発言は図星だったようで、霊獣と魔獣の間に動揺が走るのが見えた。そんな中、

『黙れ小僧!二度とその減らず口を叩けないようにしてくれる!』

頭領クラスの霊獣と魔獣が口を揃えて怒鳴りながら、攻撃命令を下した。すかさず、ウェントゥスも上等だと言わんばかりに、

「できるものならな!」

と返しながら、「月影」を構える。だが、いまいち霊獣や魔獣側の反応が悪い。それもそのはずで、疑心暗鬼に陥った今、連合で戦うことなどできるはずもない。どのみち戦いが始まれば自ずと綻びが出るのは目に見えていたが、ウェントゥスはそれを早めたことで、予め敵の戦力を削いだのである。



 いつの間にか霊獣と魔獣同士で睨み合っていたが、頭領の霊獣と魔獣だけは怒りをウェントゥスに向けていたからか、雄叫びを上げながら彼へ向けて突撃して来た。だが、ウェントゥスに計画をぶち壊された怒りのあまりか、その動きは猪突猛進と言わんばかりで、かなり読みやい。それは、ウェントゥスが得意とする速戦即決に寄与することになる。


 頭領クラスの霊獣は、雷と風の力を纏った双頭の怪鳥で、頭領クラスの魔獣は火の爪と重厚な岩でできた鎧を纏った六本足の巨大な黒虎である。ウェントゥスは二体からの攻撃を躱しながら巧妙に位置調整し、同士討ちを誘った。


 怪鳥と黒虎はその図体と攻撃の規模が大きいのが災いして、ウェントゥスが狙った通りの効果が出てしまい、それは確実に彼らを苛立たせた。一方、その様子を見ていた例の女性は、自分も先の戦いで彼にうまく誘い込まれたことを思い出しながら、どこか感心している様子である。



 まんまと策に嵌まった怪鳥と黒虎は短い間にかなりの力を消耗してしまっていた。対するウェントゥスは先の夕闇の飛竜との戦いの中で、攻撃を受け止めるだけでなく、如何にして受け流すかを会得していたので、彼は力の消耗を抑えることができただけでなく、思考する余裕すらあった。その結果、ある決着法を思い付く。


 タイミングを見定めたウェントゥスは、怪鳥が爪に雷を纏わせてこちらへ向けて急降下してきたところを敢えて受け止めに入った。そこへ、火で形成した大きな爪の装甲を纏わせた黒虎が彼を背後から襲う。


 黒虎の大きな爪はウェントゥスの体を下から上へ切り裂き、勢いを維持したまま怪鳥の体へと深く突き刺さり、怪鳥の双頭が仰け反り交差する、まさにこの時。引き裂かれたウェントゥスが光の粒子になったかと思うと、土煙とその光の粒子の中から、「月影」の剣身を模した大きな蒼白い光が黒虎の胸部から頭を貫通し、更に交差していた怪鳥の双頭をも貫いた。


 黒虎が引き裂いたのはウェントゥスの分身だった。彼は乱戦の中で上手く自分の分身を作り出し、入れ替わっていたのである。その間、本人はというと、彼は黒虎の動きに合わせながら、その下腹部に隠れて「月影」に属性文字を纏わせていた。そして、黒虎の攻撃が分身に当たったタイミングで土煙に紛れて2匹の真下に出ると、片手で「月影」をかざしながら、もう片手で属性文字を整列させるように力を送り、光の剣身を生じさせて両成敗したという流れである。



 小競り合いをしていた霊獣と魔獣たちがハッとした頃には、黒虎と怪鳥は絶命していた。やがて、「月影」の剣身を模した光が消えたのと同時に、黒虎と怪鳥は一様にその場に崩れ落ち、その場にいた霊獣と魔獣たちは一目散に退散して行ってしまった。


 その最中、黒虎と怪鳥の屍は光の粒子となって消え去り、代わりに2つの眩い大きな魂晶石がそこに残った。その様子にウェントゥスは一息を吐くと、その場に座り込んだ。同じタイミングで、「月影」のその神秘的な剣身も光の粒子を散らしながら消え去り、再び従来の漆黒の剣身へと戻る。


 ウェントゥスが女性の方へと目を向けると、彼女はちょうど2つの大きな魂晶石を手繰り寄せているところで、やがてそれら自身に取り込むと、軽やかな足取りでウェントゥスの方へと向かってきた。

「先ほどの戦闘を利用すれば、私にトドメを刺せたかもしれないのに…、勿体ないことしたわねっ。」

ウェントゥスの前に立った女性は意味ありげに話した。ここに来て漁夫の利を狙っているのかとウェントゥスは考えたが、彼女の悪意なき微笑みと口調からして、どうやら揶揄われたのだと理解した。


 ウェントゥスは未だに目の前で微笑んでいる美女があの禍々しい夕闇の飛竜とどうしても結びつけることができずにいる。その影響で、頭の整理が追いつかず、可笑しな表情をしているウェントゥスに、女性は微笑みを浮かべたまま、

「私は誤解をしていたようね。それに、貴方も色々と私に聞きたいことがあるんでしょ?」

と、当初とは違う優しい口調で問いかけた。しかし、ウェントゥスが疲労困憊のあまり、声ではなくジェスチャーで肯定したのを見て、

「そうね。まず回復に専念だね。私はその間少し出かけるから。」

女性はそう言って、ウェントゥスに空間内にある少し盛り上がった場所で休むよう促した。そこはウェントゥスが来たときに彼女が座っていた場所である。


 女性はウェントゥスの返事を待つことなく出かけて行ってしまったので、一人残されたウェントゥスはひとまず彼女の言葉に甘えて、言われた場所へ向かいそこで座禅を組むと、力を回復させるとともに心身を整えるために瞑想することにした。


 不思議なことに、空間内の水晶らしきものや様々な結晶から力が流れ込んで来るのをウェントゥスは感じた。その力は、消耗した彼の力を補充していってくれるだけでなく、受けた体内外全ての傷の治癒もしてくれているようであった。心地よさに包まれたウェントゥスはそのまま身を任せた。

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