【第十一話】対決(後編)
約束の時刻。何食わぬ顔でウェントゥスが闘技場に入ると、既に多くの学生が見物をしようと集まっていた。そればかりか、教員の姿も少なくない。大層な賑わい様だな、などと考えながらウェントゥスは闘技場の中央で待っているイグニスに近づいた。
「てっきり怖気付いて、逃げたんじゃないかと思っていたところだよ。」
イグニスは少しバカにするような口調で挑発した。それに対してウェントゥスは爽やかな笑顔で、
「怖気付く?いやいや、逆に大勢の前で先輩に恥をかかせてしまっても良いのか、悩んでいたくらいですよ。」
と返した。その発言に会場中が騒つき始める。側から見れば格上の存在を揶揄ったのだから無理もない。
昼前の件もあり、案の定イグニスは激怒したようで、
「すぐにその生意気な口を聞けなくしてやる!」
彼は拳を強く握りしめ、激烈な火のオーラを纏いながらウェントゥスを睨んだ。しかし、ウェントゥスはそこで終わらず、更に揶揄った。
「火の属性が強いと、ここまで短気になるんですね、勉強になります。」
その発言によって、さっさと試合開始の合図を出せと言わんばかりにイグニスは審判員の方に目配せした。
闘技場の使用は実技試験以外に、使用申請を出すことで試合をすることが認められている。国間の戦争がなくなって以来、闘技場はしばしばその国を代表する学生同士の試合の場として用いられ、その勝敗に一喜一憂していたものである。
今回の試合はイグニスとウェントゥスの、もといイグニスの個人感情にウェントゥスが巻き込まれたものだが、事情を知らない多くの学生や教員はそれぞれ火の国と風の国を代表する名家同士の力比べだと考えていた。こうしてウェントゥスとイグニスが対峙している中、審判員と思われる教員が試合開始の合図を鳴らした。
開始後間も無く、イグニスは炎の爆発を引き起こし、その勢いを借りて一瞬でウェントゥスに詰め寄りながら、纏っていた火のオーラを凝集した拳を繰り出した。対するウェントゥスは何も構えていないままだったので、イグニスは自分の攻撃にウェントゥスが反応できていないと思いニヤリと笑ったが、次の瞬間、イグニスの拳はウェントゥスの手前で見えない何かに弾かれてしまった。
それから何回かイグニスは攻撃を仕掛けたものの、悉くウェントゥスの手前で弾かれてしまう。そして尚も余裕をかまして両手を後ろに組んだまま一歩も動かないウェントゥスに、イグニスは目に見えて益々苛立ちを募らせていくが、
「先輩、昼飯食ってないんですか?そんな力のないパンチじゃ、僕に触れることすらできないですよ。」
そんな彼に対して、ウェントゥスが追い打ちをかけるように更に挑発した。
イグニスは歯を食いしばった後、何かがプッツン切れたかのように不敵な笑みを溢した。それと同時に自身を深紅のオーラが纏ったかと思うと、
「これは貴様が強要した結果だ…ヘルファイア!」
と、低く不穏な声で唱えた。途端に生じたイグニスの体を包む渦めくような巨大な火のオーラを見て多くの学生が驚愕した。それは見ている側を背筋が凍るような感覚に陥れるほどのもので、おそらく、風雲の言っていた例の火の奥義を発動させたのだろう。尤も、ウェントゥスは涼しい顔をしたままだが。
「イグニスの奴、ウェントゥスを殺る気だぞ!」
どこからかそんな声が聞こえた。だが審判員が止める気配はない。流石にシルフィやリディアたちの顔にもやや不安が浮かぶ。
こうして会場が騒つく中、
「消し炭にしてやる!」
イグニスの声と同時に、彼が呼び出した大きな召炎陣(奥義級の火の術を召喚するための魔法陣)から巨大な深紅色のマグマでできた大蛇が顔を出した。その技は以前リディアが唱えた「ドーンハンマー」よりも威圧的な気迫を闘技場中に放っており、それをほんの短時間で唱えているところを見るに、イグニスの実力は確かなもののようだ。
マグマの大蛇は炎の波動を撒き散らしながらウェントゥスへと襲いかかっていき、対するウェントゥスは慌てず前後に足を開き、足腰に力を入れると、両手をかざし意識を集中させる。
そして、あれを受け止める気か?と誰もが思った次の瞬間、ウェントゥスは両手の掌から見えない何かを撃ち出した。多くの人はそれを周囲の凄まじい空気の振動を介して感じ取った。
ウェントゥスの撃ち出したそれは大蛇にぶつかった…ように見えた。それと同時に、接触面から大蛇を打ち消していき、瞬く間に召炎陣まで達してそれごと打ち消してしまった。つい先ほどまでマグマの大蛇がいたところには、今や静けさと無数の赤く輝く光の粒子が漂っているのみであった。
ウェントゥスのこの名も無き技は、彼がつい最近編み出したものである。少し前に、ウェントゥスは自身の力を何かに付与したいと考えながら鍛錬しており、それ自体はまだ上手くいってはいないが、力を撃ち出す事には成功していた。早い話、彼がイグニスとの試合を引き受けたのも、この技の試し撃ちをするためである。そして、今この場でウェントゥスは改めて自身の力の強さを再認識したのと同時に、やはり技を撃ち出す際にきちんと制御しないと、あっという間に力が枯渇してしまう問題点を認識できた。
会場にいるほぼ全員が今起こった現象に対して未だ理解が追いついておらず、イグニスに至っては、ウェントゥスを消し去るつもりで最強の一撃を繰り出したはずが、まさか目の前で呆気なく消し去られた事実を受け止められずに、目を見開いたまま棒立ちしていた。まるで彼の戦意までもが消し去られたかのように。
(ヘルファイアの威力は明らかに以前のレッサーキメラの全部の技を合わせたものよりも数段強いはずだ!それなのに、あれをものともせずに打ち消した…だと…)
イグニスは明らかに戦いを継続できるようには見えないが、どうやら審判員もまだ今の出来事に理解が追いついていないのか、試合終了の合図は出されていない。
(それならば!)
ウェントゥスは迅速に体勢を整えたのと同時にイグニスの懐に高速で潜り込み、
「先輩、無防備ですよ?」
と言いながら、右手の掌から力を撃ち出した。
今度は空気の振動が見えるほどの威力ではなかったものの、状況の理解に努めていたイグニスは反応が間に合わず腹部に直撃を受け、50メートルほど後方にある観客席前の壁にまで勢いよく吹き飛ばされてしまった。
闘技場中の誰もが目を見開いて見守る中、イグニスは腹部を抱えたまま膝をついた体勢で息を切らしていた。彼はゆっくりと立ちあがろうとするが、体が全く言うことを聞かない。それもそのはずで、ウェントゥスの力の性質上、彼の攻撃は対象にダメージを与えるだけでなく、対象が有する力も分解してしまうため、同じ威力の一般的な攻撃を受けた際よりもダメージが数倍大きくなってしまうからである。
ようやくここに来て、審判員も流石に現実に引き戻されたのか、
「しょ、勝負あり!」
という慌てふためいた声によって試合の終了が告げられた。次の瞬間、闘技場中に大きな歓声が湧き上がった。あのレッサーキメラと同等に強い相手をスマートに打ちのめしたこともあり、それは入試の実技試験の時以上のものとなった。
そんな歓声の中、シルフィとリディアが真っ先にウェントゥスに駆け寄って来て、その後ろに風雲、碧と翡翠、そしてフローガが続いた。因みに、ウェントゥスは平然を装っているが、力の8割近くを使い果たしていた。そんな彼を労いながら、
「もうウェントゥス君に追い越されちゃったかもね、私。」
シルフィが揶揄うと、続いてリディアが、
「やっぱり私がミホ、(咳払い)、見込んだだけはあるね。」
と、彼女なりに称賛してくれた。そして、やや遅れてきた風雲は、
「やっぱり君はどこまでも驚かせてくれるね!それにしてもさっきの技の威力はすごかった…!」
と、彼としては珍しく少し興奮した口調である。一方の碧と翡翠はこの状況下でも声を揃えて、
『あ、あのウェントゥス君、凄いです!ところで、お怪我はないですか?』
と言うのもだから、ウェントゥスは思わず笑みを溢しながら、
「ありがとうございます。僕は大丈夫ですよ。それよりイグニス先輩の様子を見てきてくれませんか。」
と言って、イグニスの方を見た。フローガも何かを言おうとしたようだが、ウェントゥスのその一言に一礼だけすると、兄の方へと駆けて行った。そこへ承諾した碧・翡翠姉妹が続く。
イグニスは力なく壁にもたれかかって座り込んでいた。ウェントゥスが入学してから半年も経たぬうちに、これほどまで成長していたとは夢にも思わなかっただろう。ふと左手の腕輪を見る。これは魔法や呪術等を唱える際に触媒の役割を果たしてくれている上級神器だが、その腕輪に少し亀裂が入っていた。おそらく、ヘルファイアを打ち消したウェントゥスの技の残渣が掠った際にできたものだろう。もしあの1発目の技を直に受けていたらどうなっていたことか…と彼は考えていた。
「…身の程知らずは俺だったか…」
そう独り言を呟いていると、弟と二人の女子生徒が駆け寄ってくるのが見えた。
「フッ、無様な兄を嘲笑いに来たのか?」
イグニスがそう問いかけるも、フローガは暗い表情のまま言葉が出なかった。一方、双子の方は声を揃えて、
『イグニス先輩の怪我の方を見て来てってウェントゥス君からお願いされました。』
と声かけた。
「なっ!」
イグニスは面食らったが、すぐさま溜め息を吐き、肩を落とした。
(俺の心配をする余裕すらあるとは…こりゃあ完敗だ…)
試合の一部始終は瞬く間に大陸全域へと伝わり、各国の人々を震撼させた。また、試合が国間ないし名家間の力比べという政治的側面もあったため、火の国、特にフレイムビート家の者たちは人一倍落ち込んだ。それと対照的に、風の国は多くの人々がウェントゥスを改めて天才だと讃えた。そして、シルフィという才女のみならず、ウェントゥスというダークホースをも有するストームウォーカー家は、ますます各国の名家の注目を集めることとなった。
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