第9章 第1話

 二年生初めての中間試験が終わって、季節は少しだけ進んだ。

高校生活3年間の中で、二年という学年が一番自由で何もない時だと思う。

新一年生の初々しい可愛らしさと、受験モードが色濃くなってくる三年生の間に挟まれて、ここでも存在が浮いてしまっているような気がする。

昼休みのスマホに、通知が入った。


 快斗からだ。

私が好きだと言った、もふかわのスタンプ。

ぐったりと溶けるように地面に突っ伏して、熊のようなハムスターのようなキャラが「ひま~」と伸びている。

可愛い体つきに似合わない、ムッと怒ったような表情に、ついカワイイと吹き出してしまう。


『暇じゃないでしょ。こっちは忙しい』


 本当は暇だけど。

絢奈とスマホで共有してる音楽を聴きながら、そんな返信を打つ。

快斗だって、わいわい騒ぐ男子の中にいて、がはがは笑ってるくせに。

返事を打ったら、すぐにまた変なスタンプを送ってきた。

こうなるともう切りがないから、既読だけつけて放置しておく。


「ファインプラスの髙畑くんがさ~」


 絢奈は昨日デビューしたばかりの新人アイドルグループに夢中で、すぐ側にいる男子には目もくれない。

少し前まで私もそうだったはずなのに、どうしてこうなったんだろ。


 絢奈の話を聞きながら、気づけば目は無意識に坂下くんを探していた。

教室の隅で彼は相変わらず優等生グループの中にいて、相変わらずかわいい館山さんと教科書片手に何かしゃべってる。

スタンプだってメッセージだって、送ろうと思えばすぐ送れるのに。既読はつけてくれるだろうし、何らかの反応を返してくれるのは分かってるけど、私にはそれすら難しい。

なんでこんなことも出来ない子になっちゃったんだろ。


『今からそっち行っていい?』


 快斗から送られてきたメッセージに、思わずスマホから顔を上げ振り返った。

ざわついた教室を飛び越え、彼の視線は真っ直ぐに私を貫いている。

どれだけこちらが負けないように見返しても、決して彼は目を離そうとはしなかった。

もう限界だ。

彼のことを、このままにはしておけない。


 私の方から目を反らしてしまったのは、彼の気持ちを受け止めきれなかったから。

快斗はすぐにやって来て、空いていた椅子をガタリと動かし、そこへ座った。


「さっきから何の動画見てんの?」

「え? 新人アイドルだよ」


 いきなり割り込んで来た快斗を、絢奈は当然のように受け入れる。


「またアイドルかよ。絢奈は誰推しなの?」


 私の小さなスマホ画面を、三人でぎゅっとのぞき込む。


「私は髙畑くん」

「この後ろの人?」

「そう」

「美羽音は?」


 快斗の指が、私のスマホの縁を撫でる。

彼の短く切った丸い爪は、私の知るどんな爪よりも丸っこかった。


「美羽音は誰が好きなの?」


 小さな画面の四角い枠の中で踊る彼らには、一人一人にメンバーカラーがありキャッチフレーズがあり、個性も果たすべき役割も決まっているのに、私には何一つ決まったことなんてない。


「箱押しだから」

「はは。便利だよな、その言葉」


 彼は自分のスマホを取り出すと、同じ動画投稿サイトを開き、検索をかけた。

私たちが聴いていたのと同じ曲を探し出すと、それを再生し始める。


「俺も聴く」


 彼の閉じられた目を縁取るまつげはバサバサで、その乱れ具合は髪と同じだなと思った。

爪と同じように丸っこい鼻も、柔らかな顎のラインも、全て彼の言動そのままの、やんちゃな感じに見えた。


「なんだよ。こっちばっか見んな」

「見てないし」


 快斗は机に乗せた腕に顎を置き、下から見上げてくる。


「見てたよ。えっち」

「は?」

「俺も見ちゃお」


 彼の人差し指が私の小指の爪の上に乗り、それをぎゅっと下に押しつけたかと思うと、すぐに離れた。


「美羽音は、なに照れてんだよ」

「照れてないし!」

「なー絢奈ぁ。美羽音がウザいんだけど。また今度みんなでゲーセン行こうぜ」

「いいよー」


 絢奈が勝手に返事をして、つい先日やったばかりのUFOキャッチャーの話で盛り上がっている。


「俺、今度はウサギが欲しい。ピンクのやつ」

「アレもかわいいよね」

「欲しいよな」

「分かるー」


 絢奈はどうして、こんなに簡単に誰とでも仲良くなれるんだろう。

なんで普通に話が出来るんだろう。

あぁ、そうか。

分かった。

絢奈みたいにコミュ力高いいい子じゃないと、私みたいな拗らせたのと友達でなんかいられないからか。

だから絢奈は、私と一緒に居てくれるんだ。

ふと快斗の手が、机の横にぶら下げていた私の鞄に触れた。


「ねぇ。なんでラッコ先生のぬいぐるみ外したの? なくした?」

「なくしてない。ちょっと外れちゃったから、家に置いてある」


 館山さんにあんなことを言われた後で、そのままぶら下げておけるわけがない。

いま大人気の萌えキャラだ。

クラスで何人もが同じシリーズのキャラを持ってるとはいえ、快斗と全く同じものを、そのままになんてしておけない。


「なんで外すんだよ。せっかくお揃いだったのに。なくしたんならさ、また取りにいこうぜ」

「だから、なくしてないって」

「じゃあ付けてきてよ」


 私のサブバックにつけられた、キラキラビーズの星をジャラリと撫でる。


「ここに居たのに」


 昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。

いつもは短すぎる昼休みを、こんなに長く感じたことはない。


「覚えてたらね」


 てか、覚えておく気ないけど。

快斗はそれを見透かしたかのように、フッと笑った。


「はいはい。覚えてたら……ね」


 移動教室で廊下を歩く時も、体育の授業の空き時間にも、気づけば彼は私と絢奈の近くにいて、どうでもいいことで絡んできては、冗談ばかりを口にしていた。

男の子にしては少し痩せた細く華奢な体は、どれだけ食べても太らないんだって。

生意気な妹が中学生にいて、ゲームが好きで、甘い白く濁った桃のジュースが好き。

考え込むとシャーペンの頭をガジガジ噛んで、ペンを持つ右手の小指が若干浮かぶ。

チョコよりもバニラ派だけど、チョコミントは平気とか、くだらない知識ばかりが増えてゆく。


「なぁ、コレ見て!」


 ある日の昼休み。

彼は右手の人差し指にチェーンの輪っかを引っかけ、額に傷のある、うす茶色のいかつくてかわいいラッコ先生のぬいぐるみキーホルダーを、ブンブン振り回しながらやって来た。

快斗の口からは、キャンディの棒まではみ出している。


「ようやくついに、ラッコ先生ゲットした」


 当たり前のように私のサブバックの前にしゃがみ込むと、数珠つなぎになっている細かなつぶつぶのチェーンを外し、私の鞄につける。


「やるよ。美羽音のために取ってきたし」

「え。これ快斗が自分で取ってきたやつでしょ? 自分のにつけときなよ」

「俺は持ってるでしょ。だって、いつまでたっても美羽音のラッコ先生、帰ってこないんだもん。やっぱどっかでなくしたんでしょ?」


 いつの話をしてるんだろう。

もう2週間は前だ。

そんなこと、本気ですっかり忘れていた。


「いや、家にいるから」

「ここに戻すために、俺がどんだけ苦労したのか知ってんの?」


 そういう快斗の口からは、彼が話す度に上下に揺れるキャンディの棒がはみ出している。

彼の手の平サイズには満たないけれど、私の手の平とならほぼ変わらない大きさのラッコ先生が、再び凜々しい顔でそこにぶら下がった。


「わざわざ取り直してきたの?」


 キャンディの棒をくわえたまま、彼は機嫌良くニッと笑った。


「いいでしょ?」


 いいけど、よくない。


「困るから」

「なんで? 気にせずもらっときなよ」


 ラッコ先生を付け直して満足したらしい彼は、ヒラヒラと手を振ってすぐに友達のところへ戻って行く。

絢奈と二人、わずかに左の肩が下がった彼の白いシャツを見送る。


「……。美羽音はさ、快斗のことどう思ってんの?」

「どうって?」

「いや……」


 絢奈は自分のスマホを取り出すと、ゆっくりときれいなかたちをした耳にイヤホンを差し直した。


「私もそのラッコ先生、好きだから」


 絢奈のうっすらと紅くリップを塗られた綺麗な唇が、そんな形に動くのが見えた。

手の平サイズの頼もしいラッコ先生は、剣を片手にマントを翻し、まさにこれから戦いに挑もうとしている。


「私も好きだよ。かっこいいし」

「そうだよね。私も今度、ゲーセンに取りに行ってこようかな」


 かき上げられた絢奈の柔らかな髪からは、とてもいいシャンプーの匂いがした。

私も自分の耳にイヤホンを差す。

絢奈って、もふかわ好きだったっけ? 

微かに鼻歌を刻みながら、彼女は私からの、これ以上の余計な推測を拒むように目を閉じる。

絢奈が? 

まさか。

ラッコ先生は何も言わず、ただ鞄の縁で揺れている。

私も強くならなきゃ。

戦い続ける彼らのように。


 スマホを立ち上げ、コミュニケーションアプリを開く。

快斗のアイコンを探し出すと、メッセージを打った。


『今日の放課後、時間ある?』


 それには予想通りすぐに既読がつき、返事が来る。


『あるよ』

『じゃあちょっと話そ』


 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。

私は彼の示してくれた勇気に、憧れと尊敬と誠意を持って、返そうと決めた。


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