第2話

 待ち合わせ場所をどこにしようか考えて、普通に靴箱のある玄関から校門までの、記念樹の前にすることにした。

これを特別なことじゃなんかじゃなくて、何でもないことのようにしたかったから。


 夏が始まろうとする放課後、時間は決めていなかったけど、約束の場所には彼の方が先に来ていた。

少し暑くなってきた明るい午後の日が、彼の伸びすぎている黒髪を照らす。

つま先で立ったりかかとを落としたりしながら、リズムよく上下に揺れている姿は、ちょっとかっこいいなと思った。


「早いね。いつ教室抜け出したのか、気づかなかった」


 彼はいつものように、ニッとイタズラな笑みを浮かべる。


「なに? 美羽音の方から誘ってくるなんて、珍しいよな」

「そんなことないよ。いつもみたいに普通に、ちょっと話したいことがあっただけ」

「話って?」


 鞄にぶら下がったラッコ先生が、私に勇気をくれる。

嘘が嫌いだというのなら、私は誰よりも一番に、自分に嘘をついてはいけないと思う。

快斗のくれたぬいぐるみを外すと、彼の前に突き出した。


「あのね快斗。私、好きな人ができたの。だからこれは受け取れない。返すね」


 この気持ちはウソであっても、自分に嘘はつけない。

好きになったことは認められなくても、好きだという気持ちは変わらない。

ラッコ先生を握りしめる自分の手が震えている。

本気でぶつかってくる正直な気持ちを本人に返すのは、こんなにも勇気がいる。


「それって俺のこと?」

「坂下くんのこと」


 野球部の打ったヒットの音が、カキーンとこだまする。

吹奏楽部の演奏が、遠くで力強い音楽を奏でる。


「……。なんだ。知ってたよそんなこと」


 快斗は呆れたように息を吐くと、ぼりぼりと頭を掻いた。

私は彼を真っ直ぐに見ることが出来ない。


「美羽音は自分で、知らなかったってこと?」

「そう。快斗から好きって言われて、ようやく気づいた」

「俺、そんなこと言ったっけ」

「……。あ、言ってなかったっけ?」


 ヤバい。

どうしよう。

めっちゃ恥ずかしい。

なんでそんな思い込みした? 

バカだ。

正真正銘のバカだ。

自意識過剰過ぎる。

そんなことあるわけないのに、どうしてそんな風に思っちゃったんだろう。


「ゴメン。さっきの忘れて。私かえ……」

「嘘。好きだよ」


 快斗の手が、逃げようとした私の手を掴んだ。

バサバサと伸び放題の黒い髪が近づく。

私は息を止め、目を閉じた。

頬に柔らかな唇が触れた瞬間、心臓が止まる。

目を開けると、彼は掴まれた手首の先にあるラッコ先生を見ていた。


「美羽音が坂下のこと好きなんだって気づいてから、我慢出来なくなった。まだ付き合ってないんだったら、俺のこと好きになってくれたらいいのにって思ってた」


 ラッコ先生が、私の手から快斗へ移る。

彼は先生の頭をやさしくぽんぽんと撫でた。


「だけどまぁ、バレてたんなら作戦失敗だな。これは返してもらって、自分の鞄に付けるよ」

「あ……。ありがとう……」

「はは。坂下のことで何かあったら、いつでも相談のるから」

「う、うん」

「じゃあな」


 彼はぬいぐるみを持ったまま、バイバイと手を振った。

ラッコ先生の握る剣も、それに合わせて左右に振れる。

あぁ、ごめんなさい。

そしてありがとう。

私は彼に、迷惑をかけっぱなしだった。

最後の最後まで、全部助けてもらってばかりだ。

ちゃんと普通にしてくれた。

本当の強さと優しさの前に、自分の情けない姿が痛ましい。


 やっぱり彼と恋愛した方が、幸せになれたのかな。

自分の「好き」よりも、相手からの「好き」に乗っかってた方が、簡単で楽に違いない。

もうこの先一生自分には、好きって言ってくれる人なんて、いないかもしれなかったのに。

どれだけ後悔がぐるぐる頭を回っても、それでもなお自分が本当に好きな人の前で、他の誰かを「好き」なフリなんて出来ない。

例えきっかけがあんなウソであっても、もう私にとってはウソじゃない。


 気合いを入れ直すため、自分の頬を思いきり叩いた。

バチンという音と同時に、ヒリヒリとした痛みが顔全体に響く。

大丈夫。

私も快斗も、明日から普通にやっていける。

私がそれを望んだし、彼もそうしたいと思っているからこそ、間違いを許してくれたんだから。


 一人寂しい家路につく。

叩いた頬の痛みはすぐに消えたけど、彼に触れられた唇の感触は、いつまでもそこに残っていた。


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