微妙なところ

佐伯 安奈

本棚の、ななめの本

「本棚のななめの本が気に入らず」という俳句(のようなもの)をつくったことがある。しかし、本当は気に入らないのとは少し違う。それは、私の心をいろいろな角度にゆすぶると言った方がいい。

 本がたくさん立てかけてある本棚で、その本が、一冊でも複数冊でも、ななめっている。右にか左にか傾いて、隣の本や棚の壁部分に凭れかかっている。それを見る私はなんとも言えない気分にいつもさせられる。この気持に言葉を与えるとしたら、それは「ヤリキレナイ」とか「ヤルセナイ」とかいうものか。

 だってあの置き方のまま放置を続けたら、傾いたままの形がクセになって、本にそのまま刻み込まれてしまうではないか。正面を向けて机の上に置いた時、本来見えるはずのない後ろの方のページが、ひし餅のように下へ行くにつれて大きくはみ出てしまうではないか。そしてそれを直すには、恐らく今までとは逆向きにひっくり返してまたななめ置きしなければいけないのではないか。殊にじれったいのは書店においてあっけらかんとこの惨事が展開されていることだ。おぉい、書店、こんな歪みかけてる本なんか、好きこのんで買うやつ、いないぞ!

 こんなことを考えていくにつれ、私の心の中は、大量の水に溶かした青い絵の具が流し込まれていくような沈滞に見舞われる。だって、こういうこと(本のななめ置き)をして何とも思わない人は、本を大切に扱う人ではないではないか。それは、私だって茂木健一郎の本があまりにバカバカしくて腹が立って、思わずゴミ箱に捨ててしまったことくらい当たり前にあるが、本棚の本をななめにしたまま(時には数冊、十冊以上も!)部屋を後にしてしまえる人には、ちょっとなあと思ってしまう。

 しかしそれと同時に、私はどこかで羨ましさをも感じている。それは、そういうある種の無神経さを持っている、それらの人のその無神経さに対して、だ。そしてこんな細かく、はてしなくビミョオな事柄にいつまでも拘泥してしまう自分にも、いい加減ため息が出る。がおー。

 そこで最近の私は、自分でもやってみることにしている。そう、本棚に本をななめに置いたまま、そのまま放っておくのだ。そうすると、なんだか自分の本棚が「生きた空間」に見えてきたから不思議だ。全ての本がきっちりと地軸に垂直に置かれた本棚には「動きがない」のに対して、少し傾斜した本が一冊あるだけで、そこには「本棚の主の痕跡」のようなものが感じ取れる。そして一冊の本の傾斜が必然的にもたらすななめ上とななめ下の「ゆとり空間」が、またも私の心の別の部分をかきむしる。その状態を直すことなく、ななめの本がななめの状態のままであることを認容することができている私に対する、「今までの私という生き物とは違う生き物になりつつある感」が、ちょっとたまらないのだ。

 しかし、今の私は、まだ「本棚にななめに本を置けてしまう蛮行」を無意識に行えてしまう心理状態からはほど遠い。富士山で言うなば、まだ麓で登山靴の紐を結び終えたくらいのところで(完全に無意識になれた時、私は3776メートル地点にいるわけだ)、無意識どころか有意識過剰だと思う。何の気もなしに本棚の本をななめにしたまま、即そんなことを忘れてしまえる、いや、それ以前に本棚にどう本を置いているかなんてことに微塵も意識を労さず生きていける私になれる日は来るのか。それが生きているうちに果たされるのかどうか、私にはおよそ自信はない。

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微妙なところ 佐伯 安奈 @saekian-na

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