第11話 記憶の余波
2人で話しこむうちに、この神社の神主でもある祖父が部屋に入ってきて、お茶と和菓子の盆を持ってきた。彼はそれを卓袱台の上に置き、庭の静かな景色を楽しみながら一息つくように促した。
障子を開けると、午後の白い光が入りこんだ。
「なんていうか、風情があるね、この部屋」
「そう?」
中庭から流れる風が障子の間から吹きこんできて、そよそよと心地よい音を響かせた。
卓袱台に座っていると、目の前に広がる和風庭園が、山水画から写しとったかのように美しく眺められる。池には鯉が静かに泳ぎ、庭園の奥には青々とした松林が立ち並んでいる。
公ノ森市の都市計画は、昔ながらの日本家屋を保存する方針をとったが、それでもこういった風景が残っているのは神社や寺の周辺と、温泉街の方くらいだった。もっとも、そちらにはローマ風の大浴場が楽しめる最新スパもあったりするが。
「昔は珍しくもなかったんだけどねえ、こういう家も。まあ、ゆっくりして行きんしゃい」
どこか仙人のような麗奈の祖父は、表の神社のほうへ立っていく。
正人は湯飲み茶碗を手に取り、一口啜った。和菓子の甘みに合う、口当たりのいい苦さが美味しい。
茶碗の中で波だった水面を見ていると、埋もれた記憶が突然フラッシュバックした。あの不吉な人物、マラカイ・ダークソーンの姿が、そこに映ったかのように。
お茶が変なところに入ってむせてしまい、甦った記憶に打ちのめされた。
「…大丈夫?」
正人は呼吸を整えつつ、
「ああ、ちょっと思い出したんだ。僕らを襲ってきた男のこと」
「それって……マリアンナさんを、殺したっていう?」
麗奈は躊躇いがちに訊いた。
「うん。あいつは…あいつは暗く、恐ろしいオーラを放っていて、――マラカイ――そう、マラカイ・ダークソーンって名乗っていた」
忘れもしない、あの不吉な男が自ら称した、その名前。
麗奈はその名を聞くと、顔色を失った。
「マラカイ・ダークソーン? 本当に…? 本当にその男は、そう言ったの?」
「ああ、間違いないよ。自らそう名乗って、魔道書を渡せ、って」
「魔道書を? ……絶対に渡しちゃダメよ、正人くん!」
これまでにないほど慌てた様子だったので、正人はいささか困惑した。
「ああ、僕もあんなやつに渡したくないよ。でも、どうしてそんなに――?」
麗奈は平静を保とうとするように、いちど息を吸ってから、
「マラカイ・ダークソーン。この名前は、世界中の魔法使いの間で伝説のようになってるわ。彼は禁断の魔法を究めたとされる黒魔術師の1人なの。
彼が現実界に姿を現わす時は、こう呼ばれてる。〝人間の黄昏〟……と」
「人間の黄昏? それって一体……?」
そう尋ねると、麗奈の顔はにわかに引き締まった。
いや、勇み立ったと言った方がいいかもしれない。
「これを理解するには、世界史を動かす絶対精神、すなわち世界魂の発展プロセスを知っておく必要があるわ。
どんな錬金術の教科書にも書かれているように、人間の歴史は金の時代から、銀、銅へと移り変わっていく。だから、この流れを変えるには―――」
「う……うん…? 金から、銀で……?」
そこで麗奈は、正人が困惑しているのに気づき、説明を中断した。
事実、佐藤麗奈との対話は知らないことばかりで興味をそそるものであったが。その魔法に関する教えの多くが正人のような平凡な男子学生の理解を越えていて、彼が鼻白むのも無理はなかった。
ここへ来て、麗奈も思い知らされた。なぜ1人でいることを好む自分が、正人にこんなに多くの時間を割いているのか。それは、いつの間にか、己が魔法について心ゆくまで語れる友達ができていたからにほかならない。
それを自覚した麗奈はふっと赤くなると、さっきまで淀みなくレクチャーしていた口を噤んで、話をまとめた。
「えっと………コホン。…とにかく、黄昏っていうのは何かが終わる合図、終焉の始まりを意味してるの。
だから〝人間の黄昏〟マラカイ・ダークソーンが現れたってことは、人類に何か良くないことが降りかかる前触れだっていうこと。この悪い魔法使いが、何を企んでいるのかまでは解らないけど……」
正人は驚いて呟いた。
「じゃあ、そのマラカイってやつが、この事件の裏にいるのかもしれない。もしかしたら襲撃だけじゃなく、魔法の本も、タイムループも……」
もしもその魔法使いが企んだ計画の一部だとしたらと思うと、正人の背骨を寒気が走った。
「『どんなことがあっても、自分の選択を信じなさい』。これは、私が尊敬する魔法使いの言葉」
疑心暗鬼にかられそうになった時、麗奈が呟いた。正人と目が合うとわずかに微笑んで、
「でも気をつけて、正人くん。マラカイは確かに危険よ。そして、彼が関与しているなら、事態は私たちが思っていたよりも、深刻かもしれないわ」
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