第10話 神社にて

 家に帰ってからも、しばらくは何も手につかなかった。

 マリアンナも何事もなく家にいるようで、さっきまでメッセージを交換していたが、夜になると眠ってしまったようだ。


 しばらく1人で悩んでいるうちに、いま自分には相談できる相手がいることに気づいた。魔道書や魔法といったことについて、少なくとも正人より多くを知っている人物が。

 超常現象研究会のクラブルームを訪れた際、聞いていた送信先へ、正人はメッセージを送った。


〈今日すごく変なことがあったんだ。話せるかな?〉


 返事まで少し間があった。日付が変わりかけた頃、応答があって、


〈わかった。明日、朝倉神社に来て。神社の裏に民家があるから、そっちに回って〉


☆★☆★☆★☆


 正人は、朝倉神社にやってきた。


 神社は低い丘の上にあった。周辺は木々に囲まれていたが、外からは自動車の音も聞こえた。

 ここは古代の伝統と現代の生活が出会う場所だ。海と河の境目みたいに未来と過去が混じり合っているようで、奇しくも彼が経験している〝いま〟という時に、どことなく似つかわしかった。


「はて。裏に回って、って言ってたけど……あ、ここか」

 パラパラと参拝客が来ている本殿の脇を過ぎると、平屋建てで古い造りの民家に出る。その庭に、知っている少女が立っていた。


 麗奈は無言のまま、小走りに寄ってくると、

「ゴメンね。ここから上がってくれる?」

 庭に靴を脱いで、縁側から上がった。

 襖を開けるとすぐそこが、麗奈の部屋だ。


「散らかってるけど、そこの座布団に座れるはず。邪魔な物は端にやっていいから」

 謙遜ではなく、確かにちょっと散らかっていた。あのクラブルームほどではないが、玩具と見分けのつかないようなヘンなな物が多いからだろう。


 中央には卓袱台ちゃぶだい――最近は日本でさえ珍しくなってきた足の短いテーブル――が置かれていた。

 麗奈は落ち着いた態度で座布団に腰を下ろし、正人もその向かい側に腰かける。


「何があったか、話して」

 挨拶もそこそこに、彼女の方から切り出した。


「うん。信じてもらえるか、判らないんだけど――…」


 正人は昨日あった出来事について話した。突然すぎるマリアンナへの襲撃と死、そこから時間が巻き戻ったとしか思えないこと、またその後の心境について。

 麗奈はそれを、とても真面目な面もちで聞いていた。疑うような素振りはなく、あんまり静かなので気になって呼びかけると「つづけて」と言われた。

 そして聞き終えると、伏せていた顔を上げ、


「たぶん……。正人くんの魔道書が、タイムループ魔法を引き起こしたんだと思う」

 そう推測を述べた。


「タイムループ? 何だいそれは?」

 聞き慣れない言葉に、正人は問い返した。


「今の時間を過去に繋いで、ループさせる魔法――。時の流れを輪っかみたいにするから、タイムループ魔法って呼ばれてる。昔から理論的にはできると言われてて、ずっと実現できなかったけど、秘かに研究してる人たちもいたらしい。

私も、本当に使える人がいるとは思わなかったけど……でも話を聞いてたら、そうとしか思えない」

 佐藤麗奈の澄んだ瞳が、確信に輝いた。


「ってことは、珍しい魔法なの?」

「うん、すごく珍しいよ。父の魔法に関する論文に、その理論がまとめられてる。私も全部を理解できてる訳じゃないんだけど。……これ」


 彼女は隅の机からタブレットPCを持ってくると、ロックを解除してその論文を表示させた。

「神社にハイテク機器……なかなか粋な組み合わせだね?」

 そこには、複雑な記号の羅列と、なんとか正人にも理解できそうな図とが描かれている。記号の列の方は数式に見えるが、マサチューセッツや東大の数学科でもこんな記号は見たことがないにちがいない。


「正人くんが持っている魔道書には、時間を操る力があるのかもしれない。でも、そんな魔法を発動させるには膨大な魔力と、強いトリガー、そしてアンカーポイントが必要よ」

 返されたタブレットを机に置いた麗奈は、図に描かれた点を指さした。そこから直線はループを描き、輪を作って別なところへ繋がっている。麗奈の細い指はその輪をなぞった。


「魔力はなんとなく分かるけど、トリガーとアンカーっていうのは?」

「タイムループ魔法には、時間を巻き戻すきっかけになる、深い感情や強い動機が必要になる。それがトリガー。正人くんの場合は、マリアンナさんを必死で救いたいという思いがそれだったかもしれないわ」

 川のように押し寄せる情報を、なんとか整理しながら、

「じゃあ、好きな時に使うことはできないのか?」

「うん、そう簡単じゃないと思う。特に時間を変えるような強力な魔法には、いろんな制約があるから」


 とはいえ、仮にそれを自由に使えたところで、あまり自分から使いたいとは思えなかった。時間を戻してまでやり直したい出来事なんて、そうそう無かったからだ。


「じゃあ、アンカーポイントの方は?」

「アンカーっていうのは、〈イカリ〉っていう意味よ」

「碇って、あの船に付いてる、重りみたいな?」

「そう。船は碇を下ろして、海の上で止まる場所…停泊するポイントを決める。だからアンカーポイントは、時間を移動した後の、着地点のこと」


 なるほど、この用語法に従えば、少々まぎらわしい時間の移動を分かりやすく説明できる。つまり、


「つまり、トリガーがマリアンナを救いたいと強く願ったことで……アンカーポイントは帰り際に廊下でマリアンナと話していた時か。へぇ、確かに起こったことと、ピッタリ一致するね」

「うん。うまく説明できたのは、たぶん、この理論が正しいから」 

 白い背景に小さな字が連なるスクリーンを、静かに見つめた。もしかすると、それを書いた父親に思いを馳せているのかもしれない。


 麗奈は画面の電源をオフにして真っ暗にすると、居住まいを正した。

「もし本当にタイムループ魔法が発動したのなら、気をつけて正人くん。この規模の魔法は何が起こるか予測不可能で、しばしば危険よ」

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