第6話 「魔法、つかった?」

 週明け、大天正人は学校に意気揚々と足を運んだ。心の中では、マリアンナとのデートの思い出が何度も繰り返し再生されていた。


 彼女のおかげで、今日という日が来るのも楽しみになった。学校へ行く月曜がこんなに待ち遠しく感じられたこともない。やっと何もかもが、うまく行き始めたように感じられ、毎日が充実感で満たされるようだった。


「知ってる? マリアンナさんが、中庭で大天くんに一目惚れして、告白したんだって」

「ウソ! マリアンナさんって、あのキャヴェンデール家の娘さんでしょ? そんなことあるの…?」

「告白じゃないでしょ? でも、いきなり追いかけていったっていうのは本当みたい。……あ」


 教室に入ると、例の女子生徒たちが噂をしているのが耳に入った。

 そこに浜崎咲希子が加わっていなかったことに、正人は心ならずも安堵した。チラと目をやると、彼女は1人でカバーの掛かった本を読んでいた。


 どうやら例の手紙の件は、マリアンナの話題ですっかり掻き消されてしまったようだ。噂が移り変わる早さに、当人である正人も苦笑せざるを得なかった。


 マリアンナ・キャヴェンデールはこの学院の内外を問わず、人望も厚い。しかも、正人は彼女と差し向かいで話して初めて知ったのだが、彼女の両親が有名な慈善家で、この聖エルドラン学院はもちろん、芸術・医療・宗教といった様々な分野に多額の出資をしているらしい。

 この結果を図ったはずもなかったが、彼女に見そめられたということが事実上、危うかった正人の立場を回復することにつながっていた。本当に、何からなにまで順調だ。



 まるで違う人間にでもなったように感じながら、いつもと同じ席に着く。そこで。


「大天、正人くん」


 誰かが、呼びかける声がした。

 振り返るとそこには、今までほとんど話したことのないクラスメイトが立っている。


 佐藤麗奈。

 長い黒髪を穏やかになびかせる彼女は、クラス内でも、どこか神秘的な雰囲気を纏っていた。


「何?」

 と正人は短く聞いた。彼女が話しかけてくるなんて、きっと事務的な用件にちがいないと思ったから。


 ところが麗奈は小さな声で、驚くべき言葉を呟いた。


「魔法………つかった?」


 その言葉に、正人はピタッと動きを止めた。


「ど……どうしてそれを知ってるの?」

 正人は低い声で尋ねた。たとえカンニングが露見した生徒でも、こんな滂沱ぼうだたる冷や汗は出なかったことだろう。


 麗奈は周りをちらりと見回した後、続けた。


「図書館から出てくるのを見たの。あなたが、あの魔道書を持って……」


 魔道書という言葉に馴染みはなかったが、きっとあの〈トワイライト・マジック〉という本のことだろう。

 だけど、あれを使ったからといって、何も咎められるようなことはないはずだ。ましてや、あれがどんな本か彼女に解るはずもない。

 いったい自分に何を求めているのか。そう思っていると、


「昼休みに、特別棟の――ここに来て」

 佐藤麗奈が手わたしたのは、とある教室の位置を示したメモだった。この学院の校舎は造りが複雑なため、こうして場所を伝えることが時々ある。

 用事を済ませると、佐藤麗奈は自席へ戻っていった。


 授業中、ずっとそのことが頭から離れなかった。彼女は一体何を知っているんだろう? 黒魔法を使ったことに、どうして、又どんな関心があるのか?

 マリアンナとのデートのあいだは、必死で意識の外に追いやっていたけれど、彼女に魔法をかけたのは事実だった。そうでなければ彼女のような人が、なんの取り柄もない自分に急に興味をもつはずはない。


 駅や公園で見た明るい笑顔が、しきりと頭にちらついた。『あれは魔法と関係なく、ただ偶然が重なっただけだ』と己に思いこませようとしたが、所詮は無駄な抵抗だった。

 それらの笑顔が全部、本当に魔法のおかげだったとすると……。やっぱり、自分は良くないことをしたのかもしれない。


 昼休みのベルが鳴る頃には、正人の心は決まっていた。用を足して準備を整えると、特別棟へ向かった。


 聖エルドラン・アカデミーの特別棟は、まるで迷宮のように入り組んでいた。実験室や資料室など、特別教室のあるエリアはまだいい。問題はサークル棟として使われているエリアで、各種クラブや、何に使われるか判らない部屋が、所狭しとドアを並べていた。


 階段がどこへ繋がっているか解らず、迷うこと10分。やっとメモに記された部屋の前へ辿り着いた。

 入り口には〈超常現象研究会〉というフダが掛かっていた。周りにはポップな色あいで、UFOやオバケ、魔法の杖の絵などが描かれている。


 ノックをすると、「はぁい…」と小さく、内側から声がした。パタパタと足音が近づいて、

「……いらっしゃい」

 ドアが開き、佐藤麗奈が顔を覗かせた。


 いつもと変わらず、あまり表情を動かした様子はないが、若干くつろいでいるように見えた。

「いいよ、はいって」

 ドアをきしらせながらも大きく開けて、やって来た客人を向かい入れる。

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