第7話 クラブルームへの誘い

 超常現象研究会の部室に足を踏み入れた正人は、その神秘的な雰囲気に圧倒された。部屋には古代の遺物やオカルトの本がひしめいていて、まるで万国博覧会にでも来たような感覚になった。


「わぁ…。佐藤さん、この部室すごいな。まるで別世界に来たみたいだよ」

 正人は驚きの声を上げた。


 彼の目は、棚に並ぶアーティファクトの種々雑多な組み合わせを捉えた。色々な魔法道具マジック・アイテム――水晶玉、タロットカード、様々な色の蝋燭――の中には、ここが学校であることを忘れ去れるアイテムがあふれている。コインに図像を刻んだタリスマン(お守り)が、道教の錬金術を詳述した古びた巻物の山の隣に置かれていた。その下では、小さな仏像が静かなオーラを放ち、ヒンドゥー教の創造と破壊を象徴するシヴァ・リンガと対照をなしていた。


「普通の部屋とは少し違うでしょう? このアカデミーの創設者、聖エルドランは、魔道を究めるため世界中を旅して回ったと言われてるわ」

 麗奈は部屋の奥へ進みながら説明した。謎の図形が書かれた旗の下をくぐり、薄桃色のカーテンの横に座る。


 そのテーブルの近くに正人は、東洋と西洋の魔法が融合した魔道書を見つけた。

「これ、似てる……」

 そう呟いて、今日ここへ来た理由を思い出した。


 彼女の冷静な面ざしを見つめる。その眼差しに射すくめられていると、隠し事などできないような気がして、

「あの……。…ごめん」

「?」

 なんとなく、謝っていた。佐藤麗奈はキョトンとした顔をした。

 彼女に弁解するのは筋違いかもしれないが、他に適切な言葉も見当たらなかった。


「あの魔法の本のことなんだけど…ただ試してみただけなんだ。本当に……まさか、あんなに効果があるとは、思わなくて」


 ハッキリ考えがまとまっていた訳ではないが、事情を知る相手が目の前に現れると、うっすら感じていたことが、自ずと溢れてきた。


「そう……。じゃあやっぱり、キャヴェンデールさんの行動は、魔法で引き起こされたことなのね?」

「うん。だから、もし解く方法があるなら、教えてくれれば魔法を解くよ。あの本には、解く方法が書いてないみたいだから」


 これが、彼が決めたことだった。この前あったことは一炊の夢と思って諦め、魔法とは手を切って、忘れ去ること。

 下がりがちだった目を上げて、適切なガイドを与えてくれそうな人物の顔を見る。

 しかし。佐藤麗奈は。正人にとって思いがけない反応を示した。


「どうして? 上手くいかなかったの?」

「………え?」


 裏返りそうな声で、今度はこちらがキョトンとする番だった。

 顔を上げてみれば、佐藤麗奈の訝しむ顔があった。そこには咎める様子もなければ、正人が持っている本を欲しがるような含みもない。


「正人くんは、マリアンナさんに愛の魔法をかけた――その結果に、満足してないの?」

 言葉が通じていないと思ったのか、佐藤麗奈はさっきの質問を言い換えた。


「あ、いや。結果にはすごく、満足してるけど……。本当はこんなこと、やったらいけないんだろう? 魔法で人の心を変えてしまうなんて」


「いけないってことはないわ。だって魔法って、そういうものだから。普通には叶わない願いを、叶えるために存在するのが魔法――マジックと呼ばれるものなの。

特に恋愛関係のおまじないは、黒魔法でよく使われるものだし。昔話にもイッパイあるでしょう? どうしても叶わない恋を、魔法や惚れ薬を使って叶える話」


 それは聞きながら、正人は唖然としてしまった。


 魔法とは―――。

 叶わない願いを、叶えるために存在する。それを使って人の気持ちを変えさせるも、別に禁じられてはいない。そういうものだと、この人畜無害で、大人しそうな少女が言っているのだ。


「それに残念だけど……解く方法はないの。恋の魔法は一度かかったら、途中でイヤになったって解く術がない…。あの魔道書には、書いてなかった?」


 それが良いことか悪いことかは、まだ正人には判らなかった。ただ、これでハッキリしたことがある。


「じゃあ君は、僕に魔法をやめさせるために呼んだんじゃ……ない?」

「うん」


 拍子抜けするとは、こういうことを言うらしい。もっとも、魔法を使うことに勝手なイメージを作って想像たくましくしていたのは、他ならぬ己なのだが。

 でも、なら。佐藤麗奈は、どうして自分を呼んだのか?


 そこで麗奈の表情は真剣に変わり、不安がちらりと垣間見えた。


「…正人くん。これは大事なことなの、よく聞いて。

魔法自体は、別に禁じられてる訳じゃない。でも、興味本位に手を出していいものでもないの。本当に影響力のある重い実践だから。軽く考えてはダメ」


 彼女の口から発せられたのは、警告だった。

 その言葉の温度を計るように乾いた唇を舐めると、正人は改めて問い返した。


「佐藤さん――ってのは、知り合いにいて調子が狂うから――麗奈さんは、こういうものに詳しいの? 魔法とか、不思議な技とか」

「………それなりに」


 麗奈は、ちょっと間を置いて答えた。

 それが事実なのか、謙遜けんそんなのかは判断のしようがなかった。ただ、その手のことを全く知らないどころか、この間まで信じてさえいなかった正人より知識があるのは確実だろう。


「そっか。いや、良かった。いろいろ聞きたいことがあったんだ」

「え……?」


 正人はようやっと、椅子に深く腰を据える。

 この際だ。気になっていたことを、いろいろ聞いてみよう。


「実はあの本には、他にも魔法が書いてあってね。今回は、興味本位で使ってしまったけど……、きっと良いことに使えば、大丈夫なんだよね?」

「ううん、そうとも限らない……」

「そうなの?」

「ウン。良い意図であっても、危ない結果を招くこともあるし、悪い意図に思えても、上手くいって済むこともある。普通の、人間の理屈で考えただけでは、結果は見通せない」

「それは―――…」


 当たり前と言えば当たり前のことなのかもしれない。この世には、善行を重ねているのに恵まれないまま死ぬ人間もいれば、悪事を重ねたのに罰を受けずに生きている人間もいる。その判断は何によるのか、もし神様がいるなら聞いてみたいところだ。


 しかし、それが現実というのなら。僕が一冊の本と共に踏みこんだ、この現実はなんなのだろう?


「日本の神道の信仰では、自然界と霊的な世界のバランスを尊重するの。黒魔法はそのバランスを崩すかもしれないわ」

 向かいの椅子に座る麗奈は、どこか遠いところを見ながら言った。


「シントウ?」

「ええ、そう……。私、家が神社だから。西洋の魔術は、正式に習った訳じゃないの。でも、お父さんもそっちの方面に詳しかったから、勉強するのを許してくれて。独学でいろいろ学んだの」


 つまり佐藤麗奈は、実家が神社の巫女さんということか?

 カトリックの学院にカンナギの巫女がいるというのも妙なものだが、この学園、そういうところには懐が広いらしい。


「だからね。もしもこれから先、また魔法を使う時があったら、私に教えて欲しいの。何か、アドバイスできることがあるかもしれないから」

「これから先、魔法を使う時…?」


 このあたりで正人は、やっと佐藤麗奈が己を呼び出した理由を悟った。

 それは軽はずみに魔法を使ったことに対する警告というよりも、同志に対するアドバイスと言った方が近かった。甘く危険な果実を食べることを禁ずるのではなく、安全な実の見極め方や調理法を教え、できるだけ善い方へ導こうとしている。すでに同じ道に足を踏み入れていた者として。少なくとも、正人にはそう感じられた。


 彼は少し考えこんだ。


 魔法が持つ、とんでもない効力はすでに知った。それ一つで、これまで信じていた現実は重さを変え、ねじれ、歪んで、別な所と繋がっては、また平らになる。使い方次第で、人の心も、物事も、すべて思いのままだ。

 そんな魔法を麗奈は、使っても構わない、そういうものだと言う。

 しかし、あれに似たものを、今後も使うことがあるのかどうか?


 麗奈は正人の気持ちを探るように、

「やっぱり魔法……使いたい?」


 これに対する正人の答えは、

「――ありがとう。でも多分、もう使わないと思う」


「……? ………そう…?」

 麗奈は正人の心理を、推し量りかねているようだった。理解しがたいものに出会って、どうしてそういう結論になったんだろうと考えている感じ。


 その混乱を鎮めるため、言葉を継ぐ。

「もうこれで、充分だよ。恋の魔法だってメチャクチャ効いて、僕みたいなのには贅沢すぎたくらいさ。

そうだ、なんだったら、あの本も元あった場所に返して――…」

「それはやめて」

「…え?」


 彼女はこれまでになく、強い拒絶を示した。

 いきなり険しい声で言われて、正人は目を丸くした。どうして本を元の場所に返してはいけないんだろう?


 麗奈は急に大きな声を出したことを恥じるように、少し身を引きながら、

「あ……ぅん。あなたが魔道書を手放して、もし悪い人に渡ったら困るから。正人くんが持っててくれた方が、いいと思う………」

 ちょっと顔を赤らめて俯いた。


「そうか。君がそう言うなら」

 正人は頷いた。


 そう言われても、自分が悪いことに使う可能性だってあるじゃないかと思ったけど、確かに今のところ大それたことに使おうという気は湧いてこなかった。ま、自分がそういう発想に乏しいだけかもしれないけど。


「あの本、魔道書っていうんだっけ? あれ、今度麗奈にも見せるよ」

 正人は椅子から立ち上がりながら言った。そろそろ昼休みも終わってしまう。

「あんなもの手に入れて、正直もて余してたんだ。うちのクラスに、君みたいな人がいてくれてよかった」


「えっと、………どういたしまして」

 麗奈は少なからず、戸惑っているようだった。この一連の会話を通して、魔法も生かじりでズブの素人の少年に、翻弄されたような心地がする。


 だから正人がドアに手を掛けたところで、「待って」と呼び止めたのも道理だった。

「どうかした?」

「……どうして魔法を、もう使わなくていいって思ったの?」

 最後に気になっていたことを、訊いてみる。


 正人だって、そこまで深い理由があって言った訳じゃない。口許に手を当てて、いまの気持ちと合う言葉を探しながら答えた。


「…そうだな。はじめて魔法を使って……ものすごい効果があって、うれしかったけど、なんとなく感じたんだ。

これに頼らずに生きていけたら、本当はそれが、いちばん幸せなんだろうなって」


 麗奈の目は、なにか驚くべきものを見たかのように大きくなり、それから細められた。視線を彼の方から外しつつ、

「わかった。かけてしまった魔法のことでも、困ったことがあったら言って。何か教えられることが、あるかもしれないから」


 正人は感謝を表明し、扉を閉めた。あの本とは無関係でも、いつかまたここに来られるといいな、と思った。

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