C1-12 点が線だと気づくとき

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「どこだ、ここは?」  


 進は真っ暗闇の中にいた。もしかして死んだのだろうか。だとすれば今いるここは地獄なのか、天国なのか。それとも新たな異世界か。周囲をキョロキョロと見回す。  


「進、悪かったな」  


 光の無いの中で、突如背後から父親の声が聞こえる。声は大きくないが、不思議とよく響く。表情はどこか悲しげだ。  


「父さん、母さん、いままでどこに!?」  


 振り帰ると、進の父と母が並んで立っていた。母は父と同じように悲しく、辛そうな表情をしている。  


「勝手に期待して、勝手に落胆して。お前はありのままでいいのにな」  


「急になんだよ!?」  


 進の問いかけに答えず、父は淡々と話す。その目は暗かったが、ただ真っ直ぐに進を見つめていた。背筋もピンとしている。気づいているのだろう。これが最後の別れになるかもしれないと。  


「昔から誰かの言いなりになるような人間じゃなかったからな。元気でな、死ぬなよ」  


「いつでも帰ってきていいのよ、進」  


「ちょ、ちょっと待っ——」  


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「はっ!?」  


 目が覚めたのはどこかで見たことがあるベッド。思い出した、最初に尋問をされたときの簡素で殺風景なな木造の小屋の中だ。再び年季の入った木の香ばしい香りを感じる。周囲は静かで、小鳥の囀りだけが聞こえる。どうやら今は朝のようだ。また気づかず寝入ってしまったらしい。  


「起きた? 姉さんの渡した札はまだ持ってる?」  


 目の前には悪党を炭へと変えた、赤髪の少女が座っている。本を読んでいたようで、それを質素な机の上に置く。改めて見ると、本当に端正な顔立ちをしている。顔の形状は無駄のない流線型で、大きなつり目の赤い瞳、薄く赤い唇、高く細い鼻が目に映る。足腰は逞しく綺麗で、両性的な印象を受ける。女子校で後輩に告白されているようなタイプだろう。ただ、体中のところどころに傷やアザがある。それは彼女がくぐり抜けてきた修羅場の証明かもしれない。  「ここは!? 俺はまた拘束されるのか!?」  


「ふっ、出たければ出ればいいわ。誰もあんたを縛れなんかしない」  


 体のどこを見ても縛られていない。あちこちに出血の跡があるが、それも丁寧にガーゼや包帯が巻かれ、治療されているようだ。痛みは消えていないが、治療してくれた人たちの温かみを感じて安らぐことができる。  


「あの殺戮者たちは!? 村の人たちは!?」  


「悪党はもういないわよ。村の人たちは助けられる分は助けた」  


「なら、赤毛の小さい女の子と母親はどうなったんだ!?」  


「あの森にいた人たちでしょ? 無事よ」  


 どうやらあの親子は生きているようだ。よかったと心底ほっとする。その上、自由になれるようだ。いや、実際はまだまだ問題は山積みなのだが、今この場だけでも息をなで下ろすことはできる。


「盲点だったわ、村人たちに紛れるなんて。その上、私たちはただ釣り出されただけ。そんな巧妙な作戦が練れる連中だと思ってなかった。私たちの落ち度よ。ごめんなさい」  


「いや、君のせいじゃないよ。悪いのはあいつらだし」  


 とはいえ死んでしまった人たちはもう戻ってこない。責任感と罪悪感のせいか、少女は腕を組んだまま難しい顔をしており、完全に晴れやかな気分になることはできずにいる。それにつられて、進の顔も浮かない表情になる。 


「君じゃなくて、フォラン。私の名前よ」  


「え?」  


「一方的にそっちの名前だけ聞いておいて、失礼だと思ってね」  


 この言葉は少女と進の立場は対等だという意味だろう。理由はまだ分からないが、彼女の中で進の地位と権利は確かなものになっているらしい。  


「フォランはどうして、こっちに向かってきたんだ?」  


「そりゃ、あんだけ建物が燃えてれば行くでしょ」  


 そういえば、酒蔵を燃やそうと言い出したのは、進とは反発していた大柄の男の人だ。助かったのはある意味、彼のおかげなのだろう。もしも生きているのなら、会えるのなら礼を言わなければ。  


「あのさ、あいつらって結局なんだったの?」  


「元々ここらじゃ有名な野盗集団だったらしいけど、一人アークウィザードが混じったせいで戦争みたいなことを始めちゃったのよ。小さな町やら村やら襲ってね」  


 アークウィザードってなんだ? 知らない単語を尋ねようとしたその瞬間、彼女は冷たい笑みを浮かべ、続け様にこう言う。  


「全員殺したからもう大丈夫だけど」  


「!!」  


 その一瞬まるで世界が暗転したかのように光を感じなくなり、寒気がした。そうだ、目の前にいるのはただの少女ではなく、人間を一瞬で焼き殺す怪物なのだ。今のいままでなぜ意識しなかったのだろうか。進は全身が強張るのを感じる。  


「フォランは一体何をしてるんだ? 今までどう生きてきたんだ?・・・・・・村の人からレジスタンスって聞いたけど」 


「内緒よ」 


 この世には決して触れてはいけないものがある。もしかすると、彼女もそのうちの一つなのかもしれない。 


「あんたに一つ聞きたいことがあるんだけど」  


「えっ・・・・・・あ、うん。聞きたいこと?」  


「どうしてあの親子を助けたのよ?」  


「え? なんで知ってるんだ?」  


「聞いたからね。直接」  


 進は気恥ずかしくなり、うなじをポリポリと指でかいた。もしかして親子は色んな人に言いふらしていたりするのだろうか。それは正直やめてほしい。  


「何の縁も無いのに、どうして助けたのよ? ご立派だけど、明らかに損得は合わない。正直意味が分からないわ。そこまで馬鹿でもないでしょうに。妄想癖はありそうだけど」  


 この少女は、人助けをまるでビジネスのように考えているのだろうか。一瞬腑に落ちなかったが、彼女が生き抜いてきたこの世界では、当たり前の疑問なのかもしれない 。


「別に褒められたもんじゃないよ。ここであの人たちを見捨てたら、俺はこの先、一生何にもなれない。そう思ったんだ」  


「どういうこと?」  


「元々いた場所で俺は特別な何かになりたかったんだ。お前じゃなきゃ駄目だって言われる何かに」  


 進は深く呼吸をした後に、窓を見ながら続けて話す。まるで外の世界に憧れる重病人のように


「この世界で魔法とやらが使えない俺は役立たず。そんな俺が何か特別になれるとしたら、あのときあの場面だけだと思ったんだよ」  


 自信なく、弱気に話す。本人はこの世界の大半が進には興味がないと思っている。だが、フォランはまっすぐに進を見続けている


「でも、結局大したことはできなかったよ。考えれば誰にでもできることだし」  


「そんなことはない」  


「え?」  


「例え才能が並以下でも、それが行動を評価されない理由にはならない。十分な偉業よ」  


 今までの冷静な彼女からは想像できないほど、熱く感情のこもった言葉。口調こそ淡々としているが、進はまるで両手を握られたかのような熱を感じる


「ありがとう。意外といい人なんだな」  


「意外とは心外ね」  


 ふふっ、と彼女は笑う。ようやく彼女の本当の笑顔、姿を見れたような気がする 


「でも、フォランみたいに英雄になれた方がずっといいよ」  


 謙遜と自己否定。今まで自信を何度も打ち砕かれてきた進は、自傷気味に話す。右手は掛け布団の端を握ったままだ


「あんたの言う英雄って何?」  


「それは・・・・・・敵を倒して皆を救える人間だよ。逃げ回るよりもそれができた方がいいさ」  


「そんなの役割の1つよ。殺すだけが能じゃない。仮に私が英雄だとして、私を産んで育てたのは大した魔法も使えない人たち。その人たちが成してきたことは、すべて私以上の偉業よ」  「え・・・・・・」 


 異なる価値観をぶつけられて進は少々困惑するが、それでもフォランは饒舌に話す。彼女は本当はいつも、こんなに口数が多いのだろうか。  


「頑張ってきたのは私だけじゃない。父さん、母さん。私が育つ場所を作ってくれた街のみんな。そして、その全員を守ってきた過去の人たち。多くの人たちの想いと努力が私という存在を作り上げたのよ」  


 腕を組んだまま、数秒間目を閉じ、過去の思い出を振り返る。今までの彼女の軌跡の全てが、言葉を紡ぎ出す。


「私の存在を点だと思う人が多いけど、本当はいくつもの点が連なった線なのよ。小さくとも、誰かが成したことは重なりあって繋がっていく。そのどれかが欠けていては、私は存在しなかった。優劣をつける必要なんてない。全て等しく大切なもの」  


 フォランの目に光が灯り、表情は柔らかくなっていく。まるで慈愛にみちた母親のように。


「あんたしか出来ないことはなくとも、あんただけが行ったことは確実にある。それは誰も奪うことも、穢すこともできない特別なもの。それは未来、希望へと繋がる尊いもの。他の誰が忘れても、この村の人間と私は絶対に覚えてる。あんたが皆を助けたこと。だから胸を張りなさい、進」


 窓から日の強い光が差し、進の顔と体を明るく照らす。他の誰でもないと言わんばかりに。そして今、切れ落ちる。祖母からもらったミサンガが。


「あんたは英雄よ」  


 その言葉を聞き終えた進の目から、涙が零れ落ちた。大きく透き通る、汚れのない雫。ただの一滴から始まったそれが、豪雨のように量を増し、頬も布団も何もかもを濡らしていく。


「まぁ全部父さんの受け売りだけどねって・・・・・・一体どうしたのよ?」  


「うぅ、ふぐっ・・・・・・うぅ」  


「ちょ、ちょっと! 泣くほどのことじゃないでしょ」  


 今まで冷酷な行動を幾度も行なってきたフォランだが、それが信じられないくらいに可愛らしく慌てている。今の彼女はどこにでもいる、いじらしい少女だ。進はなんだか悪いので、止めようとは思う。しかし、いくら手で拭えど拭えど、涙は収まってはくれない 。


「その言葉を、ずっと、誰かに言って・・・・・・欲しくて」  


 訳の分からない異世界。まさか、こんなところで今まで渇望してやまなかった言葉をかけてもらえるとは、露とも思っていなかった進。そんな彼の心にフォランの言葉は飛矢のように突き刺さってしまった。


「・・・・・・分かったわよ。好きなだけ泣きなさい」  


 窓の近くに座ったフォランは、ただ目を閉じ、微笑みを浮かべ、進が泣き止むのを待ち続けた。ここは絶望まみれの世界かもしれないが、今この瞬間、この場所は確かに光で満ちていた。

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