#4 俺がやるべき事。

 結奈さんは、お茶を一口飲んだ。


 そして、一息吐くと、ゆっくりと話し始めた。


 明るい口調ではなかったかもしれない。


 でも、暗いトーンでも無かったように思う。


 もしかしたら結奈さんにとっては、あまり思い出したくない事だったかもしれない。


 それでも、話してくれたんだ……俺に。


 その事を、俺はこの先、忘れてはいけないと思う。


「私ね、引っ越してからしばらく、この街に住んでたんだ」


 俺は勝手に、結奈さんが今までずっとここに住んでいたと思い込んでいた。


 だけど、実際は……


「高校卒業までだったけど、この街は好きだったんだ。あ、今のこのマンションじやなくて、あの頃に住んでたのは、もっと古い団地みたいな所だったよ」


 結奈さんは、その頃を思い出していたのか、懐かしむように言った。


「高校卒業して、私はこの街を出たの。一人暮らしを始めたんだ」


 そう言って、絵留は本棚から一冊の本を取り出した。


 演技の参考書だった。


「演技の勉強ができる専門学校に行く事にしたんだ。それで、学校の近くで一人暮らしする事にしたの」


「結奈さん……」


「でもね、学校が忙しくてなかなかアルバイトに入れないから、家賃が払えなくてどうしようって悩んでいたんだ。そして、同じ学校の女の子に誘われて、アパートをシェアする事になったの」


「そっか。大変だったんだ」


「うーん、大変と言えば大変だけど……でも、楽しかったよ。家でもずっと、その子と一緒に演技の練習したりしてたんだ」


 お金はないけど夢と情熱だけは有り余っている。


 結奈さんにそんな過去があったなんて……思いもしなかった。


「私も一緒に住んでた子も、学校を卒業してもなかなか事務所に入れなくて、それからも二人でアルバイトしながら、色々とオーディション受けたりしてたんだ」


 結奈さんは小学校の頃は、目立つタイプの子じゃなかった。


 自己主張するタイプでもなく、強いて言うなら地味目な感じ。


 だけどちゃんと可愛くて、気さくで話しやすい。


 だけど、パッと見て人気ありそうな派手な子の方がどうしても目立ってしまう。


「でもね、一応、私と同居の女の子も、それぞれ別の小さい事務所に所属する事ができたんだよ」


 そうなのか。


 結奈さんの良さを分かってくれる大人は、いた。


 でも、それなら……今は、なぜ……


「だけどね、事務所に所属出来たんだけど、そこからは、なかなか仕事が見つからなくて……結局は、レッスンしながらアルバイトして、オーディションを受ける日々が続いていたんだ」


 現実は甘くない。


 事務所に所属したからと言って、それはまだスタート地点に立ったに過ぎないのだろう。


「そうやって、二人で一緒に頑張ってたんだけど……同居してた子の方、先にデビューが決まったんだ。でね、その子が決まったのは、韓国の芸能事務所なの。その子、韓国に渡って、デビューするまで向こうの宿舎でメンバーと一緒に生活する事になったの」


 最近流行りの日韓アイドルグループ……か。


 俺も、いくつかのK-POPグループの名前を聞いた事がある。


 人気グループは、日本デビュー前からTVのCMに出たり、海外で公演したりと、凄い人気だ。


 今や、韓国アイドルグループに日本人メンバーが居るのは珍しくない。


 日本人メンバーが韓国アイドルのグループでセンターやリーダーを務めることも、普通にある。


 きっと結奈さんと同居してた子は、かなりの倍率の競争を勝ち抜いて、韓国アイドルデビューの道を切り拓いたのだろう。


 なら、行かないと言う選択肢は無いだろう。


 結奈さんだって、その子の応援をしたいに決まっている。


 だけど……残された結奈さんにとっては……


「で、結局、シェアしてたアパートから、その子がいなくなって、私一人で住む事になったんだ。だけど、一人だと家賃は高いし、なんか心細くなって……結局、こっちに戻って来ちゃった」


「そう……だったのか……」


「うん。お母さんとお父さんは今のマンションに引っ越してて、いつでも私が帰って来れるように部屋を開けててくれて……」


「……それが、ここなんだ」


「うん。帰って来たのは、ちょうど3ヶ月前……本当はね、こっちに戻って来たら、普通に働くつもりだったの。普通に仕事探して、遊んで、恋愛でもしようかなって」


「普通に……か」


「でも、実際に帰って来たら……なぜか……そんな気になれなくて」


「結奈さん……」


「私……自分で思ってたより、疲れてたみたい。なんか、仕事を探す気になれなくて、て言うか、何もする気になれなくて……家でぼーっとしてた」


 結奈さんは、家を出てからずっと、自分の思いを胸に溜め込んでいたんだ。


 それを吐き出せないまま、夢を追いかけていた。


 でも、吐き出せない思いはずっと結奈さんの中に溜まり続けていた。


 そうして、気がつかない間に自分でも抱えきれないくらいの思いを溜め込んで……


 この家に帰って来た時に、一気に吐き出したんだ。


「お父さんと、お母さんはね、それでも良いよって言ってくれた。いつもの私だったら、そんなのダメ。ちゃんと仕事を探すからって言う筈だったんだけど……言えなかった。結局、お父さんとお母さんに甘えて、この家に引きこもっていた」


 何か言おうと思った。


 でも、結奈さんにかける言葉が、見つからなかった。


 俺もまた、今は仕事を探している最中だから。


 いや、探しているふりをしているだけだ。


 ハロワに行く事で、仕事を探すという行為をする事で、何もしていない現実から目を背けているだけだ。


 そうでもしないと、自分が何をしているのか、分からなくなってしまうから。


「でね、ずっと何もしないでいたんだけど、そろそろ何かしなきゃって思ったの。でもまだ、仕事探したいって思えないんだ」


 結奈さんは、偉い。


 結奈さんは結奈さんで、現実と向き合うのが怖いのかも知れない。


 仕事を探す事で、今まで夢見ていた世界を諦めた事に、気がついてしまう。


 自分はもう、あの世界に行く事は一生叶わない。


 その現実と向き合う勇気が、まだ持てないのかも知れない。


 それでも、前を向こうとしている。


「だから、家にいながら出来る事は無いかなって、思ったんだ。そしたらね、たまたまインターネットで配信してるVTuberさんを見たんだ。これなら、今の私にも出来るかなって……」


「そうだったのか」


「でも、最初のお客さんが万汰くんだったんだもん。驚いちゃった」


「ああ、俺も驚いたよ」


 結奈さんは結奈さんで、何かを掴もうと必死に踠いていたんだ。


 そして、たどり着いたのがVTuberだった。


 そして、その最初の配信を俺が見た。


 それは、ただの偶然。


 結奈さんが夢を諦めてこの街に帰って来たのも、俺が仕事を辞めて引きこもっていたのも、結奈さんがあの日VTubefを始めたのも、俺がたまたまそれを見たのも、全ては偶然だ。


 だけど、それは、何かの運命なのかもしれない。


 だって、そうじゃなきゃ、この世の中、辛すぎる。


 きっとこれは、どこかの神様が俺と結奈さんを引き合わせてくれたんだ。


 そして俺は、結奈さんのプロデューサーになる事を決めた。


 VTuberユナを、有名にしてみせる。


 それが、俺が今やるべき事なんだ。

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