#3 結奈さんの部屋

 さて、俺がユナのプロデュースをするにあたって、一つ問題がある。


 ユナの配信環境の把握が出来ていないという事だ。


 あの酷い絵のアバターやいい酷い音質はどの様にして生まれたのか、それを確かめる必要がある。


 と言うわけで、俺は今、結奈さんの家に向かっている。


 断じて、ただ女の子の家に行きたいという邪な気持ちからでは……いやそれも全くないかと言われると少しはあるかもしれないが、とにかく今はそんな気持ちで行くのではない。


 因みに、あのファミレスの後でそのまま向かおうと言ったのだが、今来るのはダメと、結奈さんには断固として断られた。


 部屋が汚いから見せられないとの事。


 そんな事は別に気にしないと言ったんだが、絶対だめ……掃除するから明日にして……と頑なに言われてしまったのだ。


 と言うわけで、こうして翌日も結奈さんの街にやってきた。


 昨日は日曜だった。


 だから、今日はもちろん月曜日だ。


 本来ならハロワに行きたい所だったが、結奈さんの方を優先する事にした。


 どうせハロワの求人はそれほど増えてないだろうから、一日くらい行かなくても平気だ。


 単にハロワにも行かないで仕事しないまま一日中家にいると罪悪感に苛まれる様な気がして、その埋め合わせにハロワ行ってるだけの様な気もしているのだが……まあ、それは今は置いておこう。


 結奈さんの家は、俺の家からは電車に乗って、そこから更にバスに乗って、降りてから更に少し歩いた先にあった。


 結奈さんの家は、そこそこ新しいマンションの一室だ。


 マンション入り口のドアはオートロックで締められていて、パネルに部屋番号を入力して部屋の人を呼び出して、オートロックを解除してもらう仕組みだ。


 俺は教えてもらった結奈さんの部屋番号を押した。


 パネルから、大人の女の人の声が聞こえた。


 結奈さんのお母さんだろうか。


「はーい、もしかして、南洋なんようくん?。あらー、久しぶりねー」


 結奈さんのお母さんにも、もちろん子供の頃以来会ってはいない。記憶の中では、お母さんはかなり美人だった覚えがある。


「どうも、お久しぶりです」


「南洋くんは変わらないわねー。あ、そうそう、ちょっと待って今ドア開けるわ。結奈が行くと思うから、少しエントランスで待っていてね」


「あ、はい」


 がちゃ……という音がして、マンションのドアのロックが解除された。


 俺はドアを開けてマンションのエントランスに入った。


 コンシェルジュがいる様な高級なマンションではないが、それなりに広い空間があって、おしゃれな雰囲気のマンションのエントランスだ。


 まだ新しくて、若い世代がたくさん住んでいるんだろう。入り口横には子供用の自転車がたくさん停めてあった。


 掃除の行き届いた、塗装の新しい綺麗なエントランスの壁を眺めながら、結奈さんが来るのを待った。


 結奈さんは引っ越してからずっと、この家に住んでいたんだろうな……と、俺は呑気に考えていた。


「万汰くん、ごめーん。まったー?」


 聞いた事のある声が聞こえて振り向いた。


 そこには、結奈さんの姿があった。


 今日の結奈さんは、化粧は控えめ、服は地味なチェック柄のシャツと長めのスカートと言う、ラフな感じである。


 髪も下ろしており、左右の髪で顔の輪郭が隠れている。


 今日の結奈さんの方が本来の姿なのだろう。


 昨日俺と会った時は、気を使ってそれなりにおしゃれにしてくれていたんだろう。


 ラフな結奈さんも可愛らしく、これはこれで悪くない。


「いや、待ってないよ。じゃあ、行こうか」


「あ、あのさ……万汰くん」


「ん?」


「本当に私の部屋……来る……んだよね」


「そのために、ここまで来たんだけど」


「そうだよねー」


 そう、俺は何としても、あのユナの配信の問題点の理由を突き止めて、改善しなければならない。


 それが、ユナのプロデューサーとしての俺の役割なのだ。


「一応、昨日、大急ぎで部屋片付けてたんだよ」


「いや、散らかってるとかは、別に気にしなくて良いんだけど」


「そう言うわけにはいかないの。だけど、見苦しいはあるかも……部屋の中、あまり見ないでね」


「ああ、分かった」


 俺は別に、結奈さんの部屋のチェックをしに来た訳じゃあないんだ。


「じゃあ、案内するね。ついて来て」


 結奈さんは、すたすたと歩き出した。


 俺は結奈さんの後ろについて行く。


 エレベーターで上の階まで登り、結奈さんの一家が住むマンションの部屋に来た。


「ただいまー」


 結奈さんは、鍵を開けて中に入る。


「お邪魔します」


 俺も、結奈さんに続いて玄関の中に入った。


 マンションの中は、新しかった。


 ずっとここに住んでいたと言うより、まだ住み始めてそれほど経ってはいない感じがする。


「あら、万汰くん、暫く見ないうちに、すっかり大きくなったわねー」


 結奈さんのお母さんが玄関で出迎えていた。


「あ、はい。どうも」


 結奈さんのお母さん、子供の頃の記憶通りに、今もやはり美人だった。


「もー、お母さんは、あっち行ってて」


「はいはい、じゃあ万汰くん、ゆっくりして行ってね」


 そう言い残して、結奈さんのお母さんは、奥の部屋に去った。


「万汰くん、私の部屋こっち」


 結奈さんが廊下から手招きしている。


「あ、ああ」


 俺は結奈さんに促され、結奈さんの部屋に向かう。


「さ、どーぞ入って」


 結奈さんが扉を開ける。


「おじゃまします」


 俺は結奈さんの部屋に足を踏み入れた。


「ごめんねー。部屋汚くて」


 結奈さんはそう言うが、実際入って見ると、全然そんなことはない。


 確かに、散らかってる物はあった。


 主にぬいぐるみだ。


 結奈さんは昔から、ゲームやアニメのキャラクターが大好きだった。


 部屋にはさまざまなゲームやアニメキャラのぬいぐるみが大量に置かれている。


 大半はおそらく、昨日に無理矢理片付けたのだろう。


 ぬい達は、棚やカラーボックスに無理矢理詰め込まれている。


 だが、まだ片付けきれなかったであろうぬい達が、部屋の隅っこやベッドの上などに散見されるのだ。


 他にも、ファッション雑誌や、化粧品や、俺の知らない謎の小物類が、机の上や床の隅っこに置かれていたりした。


 だが、俺は、この部屋が汚いとは思えない。


「いや、全然女の子らしくて良いと思うぞ」


 生活感があって、女の子らしくて、全然気にならない。


 俺の部屋に比べたら、物が少なすぎるくらいだ。


「俺は、部屋に何もない方が落ち着かないから……むしろ、もっと散らかっててくれた方が落ち着くんだ」

 

「それ、フォローなのかな……」


「いや、事実を行っただけだよ」


「そ、そう?……あ、適当に座って。私、お茶淹れてくるね」


「そんな気を使わなくていいんだけど」


「ううん、私も飲みたいから。ちょっと待ってて」


 そう言うと、結奈さんは部屋を出て行った。


 俺は、何となく結奈さんの部屋を見回してみた。


 結奈さんの部屋。


 棚には、幾つか本が並べてある。


 それらは、漫画やラノベ、雑誌など。


 あと、参考書や……なにかわからない本。


 結奈さんは、中学の時に俺の隣の家から引っ越して行った。


 その後、結奈さんが何をしていたか、今の今まで、深く考えた事は無かった。


 何となく、ずっとこの家、俺の隣県のこの街でずっと平和に暮らしていたんだろうな……と思っていた。


 結奈さんが何を考えて、今までどうやって過ごして来たのか……


 俺は、今、初めてそれを知らない。


「お待たせ、お茶淹れて来たよ。それと、お母さんからお菓子ももらって来たよ。万汰くん、きのこ派、たけのこ派?」


 お茶とお菓子の乗ったお盆を手に、結奈さんは部屋に戻って来た。


「ありがとう。たけのこかな」


 結奈さんが部屋の中央に置かれたテーブルにお茶とお菓子を置く。


「そっか、じゃあ戦争だね……」


「なぜ⁈」


 俺は、さっきから、結奈さんの部屋の本棚が妙に気になっていた。


 思い切って、俺は立ち上がって本棚の前まで歩いて行く。


 結奈さんは、きのこのチョコが入った箱を開けようとしていた手を止めて、俺の方を見た。


 俺は、本棚の本をじっくりと観察した。


 持っている本には、その人の考えが現れると思う。


 俺は、結奈さんの本棚に、その本はあった。


 その本に視線を向けたまま、結奈さんに話しかけた。


「ところで、結奈さん……」


「ん?どうしたの……」


 俺は今、本の方に視線を向けている。


 結奈さんの方を見ていないから、結奈さんの表情はわからない。


 でも、俺がこの本棚を見ている事で、結奈さんは察したのかも知れない。


 返事をする結奈さんの声色が、さっきまでとは少しトーンが変わった……ような気がした。


「結奈さん。俺は結奈さんが今まで、どこで何をしていたのか、全然知らないんだ」


「万汰……くん……?」


「今、引きこもっている……ってのは昨日聞いた。だけど、俺は漠然と、結奈さんはずっと、この場所過ごしていたんだろうな……て思っていた」


「万汰くん、その本の事……なんだけど……」


「だけど、違うんだね。結奈さんは、今までずっと、こことは違う場所にいたんだ……俺は、結奈さんが何をしていたのか、今初めて、知りたいと思った。今まで興味がなかったのに自分勝手だとは思っている、でも、よかったら、教えてくれないかな」


「そう……だね。気づいちゃったんだね」


「結奈さん……」


「別に、隠していた訳じゃないんだけどね……万汰くん、私ね……」


「ああ」


 俺が、見た本は、歌唱指導や、演技指導の参考書。


 結奈さんは、ずっと、今まで、アイドルになるために、頑張っていたんだ。


「ちょっと、長い話になっても良いかな……」


「もちろんだよ。俺たちには、時間はいくらでもある」


「そう……そうだよね……じゃあ言うね」


 結奈さんは、話してくれた。


 結奈さんが引っ越してから、今まで何をしていたのかを。

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