第11話
それから放課後。
掃除当番でもない俺は、一人でさっさと学校を出た。あまり教室に長居していると、クラスメイトに水戸先輩のことをあれこれ聞かれるかもしれないというのもあった。
スーパーに立ち寄って買い物。この時間が一番落ち着くと日和子に言ったら「主婦?」と言われた。いいだろ主婦、大変なんだぞ。
安い野菜を選んで籠に入れる。今日の晩飯のメニューを考える。そうしていると思考が紛れる。少し余計な物を購入するのも許容した。
買い物を終え、店の自動ドアをくぐったところで、俺の目の前に人影が現れた。
「よっ」
軽く手を挙げる幼馴染みの姿に俺は少し驚いた。こんな中途半端な時間に出会うとは。直で学校から来るには遅く、どこかで遊んでいたとしたら早い。
疑問が表情に出ていたのか、日和子は軽い足取りで俺の隣に並ぶと下から俺の顔をのぞき込んだ。
「ちーちゃんのお見舞いに行ってたの」
ひひ、と得意げな、あるいは少し照れた笑顔。俺は素直に感心したので「えらいな」と言うと日和子は鼻白んだように目を丸くした。それから視線をそらして頬を掻く。
「別に、普通だし」
その表情から感じるあからさまな照れに俺は苦笑した。普段は褒めて褒めてがスタンスのくせに、想定外のところで褒められると妙に遠慮する。思春期か。思春期だな。俺もだけど。
日和子が話題を誤魔化すように咳払いをした。
「それが終わってよーくんちに電話したらまだ帰ってなかったから、ここかなって」
「スマホに連絡しろよ……」
「それだとあたしがよーくんに会いたがってるみたいじゃん」
その通りじゃないか、と言いたかったがもしかしたら俺の自意識過剰かもしれないので黙った。日和子が一歩前に出る。斜め後ろから見た横顔は西陽に照らされ、逆光が表情を読み取りづらくした。
「ちーちゃん元気そうだったよ。来週には学校来るって」
「そうか、よかった」
「うん……」
彼女がわずかに俯いて、後ろ髪がゆらりと揺れた。橙の陽が影を長く伸ばす。
「やっぱり、やめとけよ」
「なにが」
日和子は小学生みたいに足下の小石を蹴飛ばした。ころころと転がっていったそれは、歩道の柵の脚にぶつかって跳ね返された。俺は頭の中のぐるぐるとした思考をなんとか言葉をまとめる。
「戦い? とかさ、お前めっちゃヘコんでるだろ。これからもこういう……罪のない人と戦うがことあるんだぞ」
「心配してくれてんの?」
「……するだろ、そんなの」
直接口にするのにためらいもあったが、言わなきゃもっと邪推されるだけだし。そもそも多分バレている。
日和子は「ふーん」と呟いたけれど、俺をからかうようなそぶりはなかった。しばらく黙っていたかと思うと、タイツに包まれた脚で軽やかなステップを踏み、こちらを振り返る。後ろ向きで歩くと危ないぞ、と言おうとした台詞は彼女の表情に掻き消された。
子供みたいに、全てをなげうった無邪気な笑顔。
「いーの」
何がだよ、とは聞かなかった。日和子が「いい」と言ったら「いい」のだ。日和子が嫌だと言ったとき初めて俺は彼女を叱ることが出来る。そういう風に出来ている。
「あたしはね、好きな人のことは好きだけど、どうでもいい人のことはどうでもいいから」
トートロジーではあるが、それは事実だった。ワガママで好みのうるさいこいつは、お気に入りの物のためなら他はどうなってもいい。多分褒められたことではないんだけど。俺は日和子のそういうところが嫌いじゃなかった。
「よーくんは違うよねぇ、誰にでも等しく優しいの」
「そんなこと……あるかもなぁ、お前みたいなワガママとは違うから」
「は? 褒めて損した」
「褒めるならもっとじょうずに褒めろ」
「えー、ひよこは褒めるより褒められる専門なの」
日和子が唇を尖らせて前を向いた。どこかふわふわとした足取りで歩く。
俺は茶化しながらも、どこかもやもやとした物を抱えていた。だってそういう生き方が正しいとは思えなかった。八方美人だ。他の物に気をとられて大切な物を守れない生き方の、なんとみっともないことか。
しばらく沈黙が続き、それは二人の間には珍しく気まずかった。日和子が沈黙を埋めるように呟く。
「あたし、よーくんのそういうところ好きだけど好きくない」
「……なんだそれ、矛盾してるぞ」
「してなーい!」
日和子は両腕を挙げて誤魔化すように叫ぶと、たっと俺の隣に並んだ。ぐいぐいと俺の腕を引いてくる。誤魔化すための動作が今は幾分ありがたい。
「それより今日の晩ご飯何?」
「あ、ああ、うちで食うのね。カレーだよ」
「やたっ、あたしカレー大好き」
「存じ上げてるよ」
右手のエコバッグの重さを感じながら答えた。日和子はそれだけでご機嫌になってしまったのか、ふんふんとオリジナルの鼻歌を歌っている。この様子をクラスのみんなにも見せてあげたい。嘘、見せたくない。こっちが恥ずかしい。
「よーくんは将来カレー職人になったらいいと思うなぁ」
「おそらくだが、そんな職業はない」
「じゃあインド人になっちゃえ」
「人種は変えられないなぁ」
馬鹿みたいな会話をしている。馬鹿みたいな会話をしながら隣り合った家まで帰っている。平和だと、ただそう思う。
ふいに日和子の鞄から聞き慣れた通知音が聞こえた。それと同時、尻ポケットに入れていたスマホが震える。一体何かと思っていると、それは水戸先輩からの連絡だった。
そういえば、昨日グループを作ったな。色々ありすぎて忘れていた。
『今度の日曜日に映画を見に行きませんか?』
何事かと思っていると、同時に映画のタイトル画像が貼られた。どす黒い背景に赤の描き文字。タイトルからも一目でそれがホラー映画だとわかる。それも、とびっきりB級の。
俺はちらっと日和子の顔を見た。てっきり嫌そうな顔をしているかと思ったが、意外と平穏な顔でスマホを見ている。日和子も軽く顔を上げ、目が合った。
「行くの?」
シンプルな言葉にはたくさんの意味が詰まっているようにも聞こえた。俺は即答できずに逡巡する。
「俺は……」
「行けば?」
日和子が手で髪を梳りながら言った。
「いいのか?」
「なんであたしに聞くの?」
「それは……」
確かに日和子の許可を取る必要なんてどこにもない。これはまた機嫌を悪くされるかもな、と思った。質問に質問で返してきた時点で、ちょっと苛立っているのを感じる。
「水戸先輩のこと、ほっとけないんじゃない?」
「そういうわけじゃない」
「嘘つくならバレないようについてよ」
「ぐ、うう……」
チャレンジ失敗。
水戸先輩を放っておけない、これは事実だ。昼休みから考えたけれども、やっぱり先輩は普通のオカルト好きの女の子には到底見えない。
……もしかしたら日和子の敵になり得るのかもしれない。こんなことなんてもちろんちっとも考えたくないのだけど。自分でもわかっている、多分昨日の今日でナーバスになっているだけで、水戸先輩に対する疑惑もすぐに解ける。
そのための、映画鑑賞だ。
休日を一緒に過ごしてみれば、先輩の素の部分ももっと見えてくるだろう。この間はシチュエーションが悪かった。
「俺、行こうと思う」
「どうぞ。よーくんは優しいね」
「だから、お前も一緒に来てくれないか?」
もし、もしも。俺の危惧しているようなことがあれば日和子が側にいてくれた方がいい。結局日和子を引っ張り出すようなことになっているのは心苦しいが、嫌なことは先に片付けた方がいい。
提案を受けた日和子はぱちりと瞬きをして、それから「どーしよっかなー」と頬を掻いた。後ろで手を組んだ彼女は唇を舐めると意味深に俺を上目遣いで見上げた。
「日曜はりっぴたちと遊ぼうかと思ってたんだけどな」
「予定があるなら、別にいいぞ」
「ウソウソ。いや、嘘じゃないんだけど、よーくんが来てほしいなら行ったげる」
「なんだ、その言い方。……来てください」
ここで小競り合いをしても仕方がないので素直に頼むと、日和子が俺の背を叩いた。
「おっ、物の頼み方がわかってきたじゃん」
「こらっ、調子に乗るなっ」
怒ったふりで拳を振り上げると、きゃらきゃら笑いながら日和子が駆けだした。
「あたしとデートできるなんてよーくん幸せ者~」
その言い方やめろ。
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