第12話

 準備をしようがしまいが、日曜日はやってくる。

 いや、たいした準備はしていないんだけれど。せいぜいネットで『呪い 防ぎ方』で調べた程度だ。多分それは意味がないし。

 待ち合わせの時刻は十時半。隣に住んでいるのに別々に行くというのも変な話なので、日和子と一緒に行くことになっていた。

 約束していた十時、俺は蘭家のチャイムを鳴らした。ドタバタ音のあと扉が開く。


「おはよ」

「お前もう出れるのか?」

「余裕余裕、あ、まって、家の鍵」


 一回部屋の奥に引っ込んだ日和子は、駆け足で玄関まで戻ってくると急いでスニーカーを履いた。少し呆れてそれを見守る俺に腕を広げてみせる。


「じゃん、準備完了。ほれ、褒めれ褒めれ」


 今日の日和子はボーイッシュがテーマらしい。

 少しだぼっとしたオーバーオールは割と新鮮だ。視力なんて悪くない癖に黒縁の大きな眼鏡をかけている。きゅっとキャップを被った姿は普段と比べてギャップがある。


「珍しい格好してんな」

「んー? あたしがあんまり可愛いとよーくんが緊張するかもしれないので、ちょっと親しみやすくしてみました」


 日和子が軽く俺の袖を引き、耳元に唇を寄せる。吐息がくすぐったい。


「変じゃないかな……?」


 穿たずに言うならば、よく似合っている。


「まあ……可愛いんじゃないか? 服は」

「はあ? 服だけじゃないでしょ。大きな声でひよこ可愛いですと言え」

「ひよこ可愛いです」


 流石に大きな声では言えないので中くらいの声で褒めると、満足したのか日和子は腕組みをして頷いた。


「そっかそっかー、何着ても可愛いもんなぁ、あたしは。罪な女ー」

「はいはい」


 俺は軽く流して、視線で鍵を閉めるように促した。日和子が鍵を閉めたので、俺たちは待ち合わせ場所であるモールへと出発した。空は綺麗に晴れている。


  §


 それから二十分ほどで俺たちはモールに到着した。ここを訪れるのはなかなか久しぶりだ。休日ということもあり、親子連れや学生たちで賑わっている。日和子がさっきから俺に近づいたり、距離をとったりしているのは周囲の目を気にしているのだろうか。

 モールの四階に併設されている映画館の前につくと、その場にいる男性たちの視線がちらちらと一カ所に向いていたので、直感的に水戸先輩がいるのだとわかった。

 白のブラウスに綺麗なレースがついた黒のロングスカート。お上品な鞄を持ってちょこんと立っている。

 俺たちに気付いた水戸先輩がそっと片手を挙げた。日和子も似たような動作をするのに、随分と様相が違って面白い。


「まさか来てくれると思っていなかったから、嬉しいわ。私、貴方たちのことを随分と気に入っているのね」

「そ、そうですか」


 面と向かって気に入っていると言われるのは流石に気まずく、俺は頬を掻いた。日和子が見えない角度で脇腹をつついてくる。

 俺が思わず背筋を伸ばすと、それに気付いたのか否か水戸先輩が笑いながら俺たちにチケットを差し出した。


「十一時からの回よ。いい席が取れたと思うのだけど」

「あ、はい、いくらですか?」


 財布を取り出そうとすると、水戸先輩が手で制した。


「いいのよ、私が誘ったのだから」

「出しますけど」


 日和子もピンク色の可愛らしい財布を鞄から取り出した。綺麗なツリ目がじぃっと水戸先輩の顔を見る。


「あたし、べつに先輩と契約してるわけじゃなくて、誘われて映画見に来ただけなんで」


 水戸先輩は目を少し丸くした。日和子の言い方に気を悪くしたのかと少しハラハラしたが、そうではないらしく次の瞬間には彼女の頬に微笑みが浮かんでいた。


「だったら千二百円ね」


 先輩の言葉に日和子も歯を見せて笑った。


「はーい。あ、細かいのない! よーくん貸して!」

「はいはい」


 映画代を払い中に入る。今話題のアクション大作に並んで俺たちの目的のホラー映画のポスターが貼られていた。どろどろした緑の粘液を垂らすモンスターが大写しにされた悪趣味なポスターは、B級の威厳を感じさせた。

 わざわざこれを見る人がどれだけいるのか……と考えながらシアターに向かおうとしたところで、水戸先輩がふと足を止めた。じっと売店の方を見ている。

 それに合わせて立ち止まった俺たちの視線を感じたのか、先輩が小さく咳払いをして歩き出す。俺の腕をぐいっと日和子が引いた。思わずバランスを崩すくらいの勢いに俺は「なんだよ」と声を漏らす。


「ひよこポップコーン食べる」

「ん、ああ、好きにしろよ」

「塩とキャラメルどっちも食べたいから、片方よーくんが買って? わけわけしよ?」

「別にいいけど……先輩も何か買います?」


 さっきじっと見ていたということは興味があるのだろう。声をかけると先輩ははっとした様子で、胸の前で手を振った。


「いえ、私は……」

「さっきから、何に遠慮してるんです?」


 日和子が俺の腕を引っ張って無理やり挙手させながら首を傾げた。なになに。


「別にポップコーン買うくらい誰でもするし、よーくんは日和子のワガママに慣れてるから、なーんも思わないですよ」

「慣れさすな」

「女の好みは人それぞれだけどあたしはワガママ言う女がすき」

「それはお前だろ」

「かわいい女の子のワガママは長所なの」


 日和子が胸を張る。顔関係なくワガママが長所になることは滅多にないと思うが、遠慮されてばかりも気にかかる。俺も視線で先輩の要求を促す。

 水戸先輩は少し恥ずかしそうに頷くと、売店の上に掲げられているメニューを指さした。


「その……ポップコーンっていうのはいくつか味があるのね? どれにしたらいいのかしら」

「あ、じゃあ水戸先輩はチーズにしてくださいよ、全味制覇~」


 日和子が水戸先輩の背中を押して列に並んだ。女子二人の間に入るのも気まずいので俺はそっとその背後に並ぶ。二人は「キャラメルのポップコーンってぱりぱりしてて美味しいですよね」「食べたことがないの」「なるほど……」といまいち盛り上がらない会話をしていた。

 しかし……日和子はてっきり水戸先輩のことを好いていないものだと思っていた。というよりどう転んでも合わないんじゃないかと。だが、どうしたことだろう、今は噛みあわなさはともかく、日和子が積極的に先輩に話しかけている。日和子はコミュ力がある方だとはいえ、少し不思議。

 やがてレジにつくと、注文に戸惑う水戸先輩をサポートするように日和子がゆっくり注文をした。出てきたポップコーンを持つのは俺の仕事だ。ひょいっと一つつまんだ日和子を「こら」と叱る。

 ポップコーンを丸で初めて見たかのように水戸先輩はきらきらと目を輝かせていた。先輩ははっとしたように咳払いをして、「行きましょうか」とシアターの方を指差す。

 シアターは映画館の規模と比べると小さなものだった。にもかかわらず席はガラガラだ。その段階で不安で胸がいっぱいになる。


「あたし、ここ」


 三つ並んだ席のうち真ん中の席に日和子が座った。必然的にその左右を俺と水戸先輩で埋めるかたちとなる。

 スクリーンには既に予告編が映し出されていた。最新の技術をフル活用したハリウッド大作に、予告の段階から胸が躍る。いや、ここであまり期待を上げるのはよくないな。俺はゆったりと座席に腰掛け、いつでも寝られるくらいの心構えになる。


「あたし、映画って久しぶりかもー」


 日和子が楽しそうに言った。俺もそれで心をリラックスさせる。

 やがて、上映直前の注意アニメが流れた。俺はそっと隣に並ぶ二人の横顔を見た。こわがりの日和子はちょっと緊張しているらしい、その向こうの水戸先輩の表情はよく見えなかった。ただ、その目がキラキラと輝いているのだけがわかった。

 俺は画面に向き直る。制作会社のロゴが、恐怖の時間の始まりを告げた。

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