第2章
第10話
波乱にまみれた学校探索から一夜明けた、今日。
普通の平日である。
学校に着いたとたん職員室に呼び出され~、みたいな事があったらどうしようかとヒヤヒヤしていたが、どうやら俺たちのやったことはバレていないらしい。水戸先輩の侵入ルートに関しては信用に足るものだったのか。
一つ、普段と違うところを挙げるならばいつも元気な千川さんが学校を休んでいることくらいか。女子の話に聞き耳を立ててみると、昨日散歩中に川の土手で転んだらしい。
もちろん俺たちは真実を知っている。
迷惑はかけないよ、と千川さんは言った。迷惑なんて、そんなこと言わせたくなかったな。
「ドジだなぁ」「かわいそー」などの他人事みたいな言葉が飛び交う中、日和子は黙って笑っている。一瞬目が合ったがすぐにそらされた。しかたない、俺と日和子は学校では他人だ。
やがて先生が来ると皆は静かになった。放課後には、きっと親しい友達以外は千川さんの怪我の事なんて忘れてしまうのだろう。
なんとなく、身が入らないまま午前の授業が終わった。俺はぼんやりとしたまま教室を出た。日和子はクラスの女子たちと机を繋げている。今日の昼飯もきっとパンなのだろう。
俺はいつものように食堂へと向かった。けして大きくない食堂は昼休みになるとなかなかに混むので、複数人で来るとトレイを持ってうろうろすることになる。一人だとその心配がないので良い。
具の少ないラーメンをトレイにのせて空いた席に向かう。秩序のない喧噪は却って思考を研ぎ澄まさせた。
昨日の日和子の姿を思い出す。
かっこよかったと思う。美しかったと思う。
けれど日和子がへこんでいる姿の方が記憶に残る。誰かに怒られるんじゃないかと不安になる。別に誰も見てはいないんだけど、泣かせるなと誰かが拳をふり挙げて怒るのだ。
とはいえ日和子は一人で突っ走るタイプだし、俺に出来るのは裏でこそっと支えることくらいだ。裏方業には慣れている。今日はあいつの好きなもんでも作ってやるか……と考えながら麺をすする。
ふと、周囲が静まりかえっていることに気付いた。
完全な静寂というわけではない。ひそひそ声は周囲を走っている。何かに乗り遅れたかと妙な焦燥感に俺は周囲を見渡した。そしてすぐにその原因を見つける。
「お向かい、いいかしら」
静かな言葉で俺の向かいに座る男子生徒をどかした水戸先輩は優雅な動作で椅子に座った。小さなお弁当を広げてにこりと笑う。俺は麺を持ち上げた姿勢のまま会釈をした。
周囲の視線が痛い。けして責めるような視線ではないが落ち着かない。美人は普段から常にこんな視線にさらされているのか。弁当を広げ始めた水戸先輩に注意しようかと思ってやめた。この場の誰もそんなこと気にしちゃいないだろう。
「先輩、どうしてここに」
「二年生の子に聞いて回ったら、食堂にいるって言うから」
うわ、戻りたくない。これまでクラスで目立った事なんて一度もしたことがなかったのに。
だが『目立つ存在』であるところの水戸先輩はそんなこと気にしていないのか、涼しい顔で髪をはらった。
「昨日は災難だったわね」
一瞬ドキリとしたが、千川さんの怪我のことを言っているのだろう。
「……そうですね」
だから俺も彼女の怪我についてそう言った。ちょっとした災いだったのだ、あれは……。
「それに貴方にも謝らないといけないわ」
「なにがですか?」
「昨日貴方を神秘に立ち会わせてあげられなかったこと」
水戸先輩が水色の箸で冷凍食品のハンバーグを小さく割りながら言った。彼女はわずかに俯いているため、艶のある黒髪が目元にうっすらと影を作りミステリアスな雰囲気を色濃くしている。
「あの時私が動く人体模型に出会ったのは本当よ。多分私の意識だけ並行宇宙を覗いていたのでしょう」
尤もらしい表情で水戸先輩が首を振る。
「やっぱり、出逢える人と出逢えない人がいるのね……」
「水戸先輩は本当に幽霊とか、そういうのがいると思ってるんですか?」
「質問の意図がよくわからないわ」
我慢できずに思わず聞くと、先輩が軽く首を傾げた。
「いるのよ。それは事実として、私は何度も見たことがあるわ」
「はあ……」
俺はラーメンを食べるのもどこか億劫になって箸を置いた。このままでは麺が伸びてしまう、そんなどうでもいいことが気になった。
いったん昼飯のことは脳の端に追いやっておく。
「じゃあ、異世界人も?」
「いるわ。私たちが観測しているのは一つの世界、ここ以外にもたくさんの平行世界が存在しているの」
「見たような口ぶりですね」
「異世界の扉を開く儀式は基本的な物よ、その世界の住人と交信したこともあるわ」
水戸先輩が胸の前で手を組んだ。その時のことを思い出しているのかキラキラと目を輝かせている。
常識的に考えろ、なんてツッコミはまったく野暮なのだろう。彼女からしてみれば『ある』というのが常識で、それを見ていないから信じられない俺たちが残念ながら間違っているのだ。
水戸先輩の言う経験が錯覚なのか、あるいは本当に怪異を見たのかは俺にはわからない。中二病だと笑うことは出来るが、俺はそれを否定しきれないのだ。
常識の揺らぎをついて、奴らはこちらの世界に忍び込む――。
まさか、だ。たった一人の夢見る少女が怪異を引き寄せるというのなら、この世界はもっとめちゃくちゃになっている。
それでも俺は妙に不安になって水を飲んだ。
「俺はやっぱり、そういうの、信じられませんね」
「そう、信じた方が人生は豊かになるのに」
水戸先輩が目を伏せた。俺はそれに対する肯定の言葉を持たず、けれど否定するほどの力もなかったのでもう一度「やっぱり、信じられません」と自分でも笑ってしまうくらい小さな声で言った。
気まずくなってラーメンを啜った。伸びているというよりもぬるくて、妙に気分が落ちた。
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