第9話

 ぴり、と空気が凍った。何を馬鹿なと笑い飛ばしたいが、先ほどまでの非日常な体験を思うとそれも出来ない。俺たちの反応など見えていないかのように、さくらと名乗った少女が朗々と語り出す。


「君たちは私たちのことを知らないだろうが、私たちは君たちを、君たちの世界をよく知っている。私たちの世界は君たちの世界より上の概念にあるのだね。私たちからすれば君たちは後輩のようなものだ。君たちにはそういう言葉がある、うん、可愛いものだね」

「それで? センパイはなにしにきたの」


 さくらの煙に巻くような説明に日和子は少し苛立っているらしかった。そういえば、前に一緒にSF映画を見に行ったときも説明が長いと怒っていたな。そんなことを思い出して少しだけ気が緩む。日和子は日和子だ。大丈夫、ワケがわからないことだらけでも彼女のことだけはわかる。


「私は、君たちの世界を守りにきたんだよ。君たちの世界は私たちからするとあまりにも未開拓で、穢れなく美しい。それを守ることは私たちの使命だよ」

「守るって……一体何から」

「お恥ずかしい話だけど、私たちの同類からさ」


 ちっとも恥ずかしいなんて思ってなさそうな顔でさくらが肩をすくめた。


「私たちの世界には二つの勢力がいる。一つは私を含むこの美しい世界を守る勢力、そしてもう一つはきみたちの世界を侵略しようとする勢力だ。後者の存在は醜悪な影となって君たちの世界に忍び込む」


 先ほどの千川さんの姿を思い出す。彼女の身を這う入れ墨や内に潜む黒い靄、あれがさくらの言う『醜悪な影』なのだろう。


「君たち、何かこの世界の常識の境をぼやかすことをしていたんじゃないか?」

「どういうこと?」

「複数人が何かこの世界で有り得ないことを望むような、異常を信じるようなことだ。その瞬間、わずかにこの世界の常識は揺らぐ」

「七不思議だ」


 頭の上にはてなマークを飛ばしている日和子の代わりに俺が答えた。

 七不思議は千川さんの創作だ。水戸先輩は信じていたようだけど、俺やその話を作った千川さんももちろん、信じてなんかいなかった。だけどあの不気味な暗闇の中、足音が聞こえたとき、『もしかしたら』と心のどこかで思っていてもおかしくない。


「その揺らぎをついて、奴らはこちらの世界に忍び込むのさ。君たちの世界に伝えられる『都市伝説』などの一部はそれによるものだろうね」

「そうだったのか……」

「ただし、私たちはこの世界で実体を持つことが出来ない。だから君たちの世界を壊したいものは人間を乗っ取ってそれをするし、この世界を守りたいものはその近くにいる人間の身体を借りて退治する。私たちはずっとそうしてきたんだ」

「……えーっと? じゃあ、あたしに身体を貸すよう言ったのは……」

「私たちの同胞だね。便宜上私たちは人間を守るもののことをヒーロー、人間に害を為すもののことをヴィランと呼んでいる。これは君たちの世界の言葉に翻訳したものだけど。私たちの言語は君たちの身体では発音が不可だ」

「あんたもヒーローってこと?」

「一応ね、とはいえ私は戦うことは出来ない、裏方だよ。この身体もホログラムみたいなものだ。物理的な干渉は出来ない」


 さくらが壁に向かって腕を伸ばすと、彼女の言葉に違いなくすり抜けた。


「ヴィランは人間の背後にそっと忍び寄り、その身体に気付かれることなく寄生し、宿主の身体を乗っ取る時を静かに待っている。厄介なのは、奴らが息を潜めている間、ヒーローでさえその気配を嗅ぎつけることは出来ないことだ」


 話が段々と込み入ってきたぞ。俺はため息をついて説明を脳内でまとめる。

 異世界からよくわからない悪者と、それを倒すヒーローが来ていること。

 彼らは実体がないので人の身体を借りて活動すること。

 ヴィランに寄生されても、そいつがじっとしている限りは存在に気づきにくいこと。

 なんだよ、大事なのはこれくらいな気がする。煙に巻くように話が長いな。俺はまだわかっていないことを確認するため、質問を重ねた。まるで授業みたいだ。


「美術室で俺たちを襲ってきたのは? あれは人間を乗っ取ってなかったが実体があったぞ」

「それは多分ヴィランが生み出した怪異だね」

「怪異……確かにそう言う類いのものっぽかったけど……」

「私たちの存在は君たちの世界から見ると歪みだ。ヴィランが存在するだけで周囲の常識というものが上書きされていき、君たちの世界では有り得ないことが起こる。奴らの破壊活動の主な手段でもあるね。その変異は連鎖的に起こっていくため放置していると……」

「話が長い! まとめて!」


 あ、案の定日和子がキレた。

 さくらが話題を切り替えるように咳払いをした。


「異世界からこの世界を侵略しようとしている存在がいる。放っておくと怪異が発生して危険だ。退治するため君の力を貸してくれ」


 長い話が三文に収まった。これには日和子もご満悦らしく、腕を組んでふむふむと頷いている。

 それにしても、改めて聞くと荒唐無稽な話だし自分がその渦中にいるとは思えない。どうして俺が、の思いもある。そして、どうして日和子が、も。

 俺は不安になって日和子を見た。彼女はとりわけ小さな女の子というわけではないが、それでも俺からすれば華奢でか弱い。簡単なことで壊れてしまいそうに見える。


「日和子……」

「いーよ、戦ったげる」


 日和子の声はたいした覚悟も決めてないみたいに軽かった。毛先をいじる仕草もちょっとした頼まれごとを請け負っただけみたいに見える。俺はしばらく呆然としてから、我に返って日和子の肩を掴んだ。


「よ、よくないだろ、またあんなのと戦うかもしれないんだぞ」

「大丈夫でしょ、楽勝だったし」

「そういう問題じゃない」

「それに…………りたいの」

「なんて?」

「なんでもない!」


 ただ聞き取れなかったので聞き返したら、なぜか腰のあたりを蹴られた。加減してくれたのか痛くはないが、俺はため息をつく。

 さくらは大きく頷いた。だが相変わらず表情はわずかな微笑のままで、はじめから日和子がそう答えるのを知っていたみたいだった。


「ありがとう。君の協力に感謝するよ。ただ、気をつけて、君もまたこの世界にとっては歪み。君という自我がその身体を動かしている限り怪異が生まれることはないとは思うけど、ヴィランが引き寄せられるかもしれない」

「わかった」

「そうだ、ヴィランを倒したことで歪みは修整されていく。闘いの時に壊れたものや、ヴィランを記録した映像などは全てなかったことになるよ。けれど生命に関してはその限りではない、怪我や記憶はあとに残るからそっちで誤魔化しておいてね」


 言いたいことだけを言って、さくらは闇の中へと消えていった。追いかけようとして彼女には実体がないことに思い至る。質疑応答の時間はないと言うことだろう。

 さくらが消えるのと千川さんが目を覚ますのはほぼ同時だった。ぼんやりと起き上がった彼女は、腕の負傷のせいか顔をしかめて呻いた。


「ちーちゃん、大丈夫!?」

「うん……私……あれ? 美術室から逃げて……」

「ちーちゃん、あのね……えっと……」


 安堵もあってか言葉がうまく出てこない日和子の代わりに俺は千川さんの側にかがみ込む。


「千川さん、階段を降りたところで倒れてたんだ。足を踏み外して落ちたのかも……」


 嘘をつくのは心が痛むが、目覚めてすぐで記憶が混濁しているらしい今が誤魔化しきるチャンスだ。千川さんは俺の話に首を捻りながらも、自分の記憶より俺を信じてくれることにしてくれたらしい。そっか、と少し不思議そうに呟いた。


「あの怪物は……?」

「わからない……あのあと静かになったから美術室を開けてみたらいなくなってたんだ。幻覚だったのかも」


 少し無茶のある筋書きだが、場の雰囲気がある程度の信ぴょう性を与えてくれた。千川さんがそれに疑問を呈するより早く、日和子が彼女の顔を心配そうにのぞきこんだ。


「腕は大丈夫……?」

「大丈夫……じゃないかも、折れてるかなぁ、あはは」


 千川さんが苦笑する。さぁと日和子の顔が青くなった。泣きそうになりながら千川さんに頭を下げる。


「ごめん……、あたし……」

「なんでぴよちゃんが謝るの。私が勝手に転んだだけなんだから」

「あ、あたしが、ちーちゃんを一人にしたから」

「仕方ないよ、つつみんのことが心配だったんでしょ。いやぁ、愛だねぇ」


 千川さんは日和子が気落ちしないよう気を遣ってくれているらしいが、一度落ち込んだ日和子はなかなか復活しない。俺だって、そんなの心配だ。どんよりしてしまった俺たちに向かって千川さんが無事な方の手を上げて指を立てた。


「ほーら、怪我人に気を遣わせない。ヤンチャして怪我すること昔からよくあったから、ほんと大丈夫だって」


 そこまで言われてしまうとこちらも何も言えない。日和子が眉の端を下げて力ない笑みを作った。


「なんか困ったことがあったら言ってね、なんでも手伝うから……」

「うん、ありがとう」


 これでいいのだ、これで……。この嘘は誰も不幸にはしていないはずだから。

 全部は俺と日和子の秘密。巻き込まれるのは、背負うのは俺だけでいい。

 さて、あとはもう一人だ。俺はあの騒ぎの中でも変わらず気を失っていた水戸先輩の元へ近寄った。心配する気持ちも当然あったが、むにゃむにゃと「人体模型が一体……人体模型が二体……」などと呟いているのを聞いて脱力した。というか、『そういったモノ』の対処に慣れてるんじゃないのかよ。すやすやと気持ちよさそうに眠っているが。

 そっと肩を揺すると、水戸先輩は跳ね起きた。キョロキョロと辺りを見回してから、一番近くにいた俺の肩を掴んだ。近い近い。


「堤くん! やったわ!」

「は、はい?」

「七不思議は実在したのよ! 動く人体模型が本当にいるなんて!」

「……なんの話ですか?」


 自分にアカデミー主演男優賞をあげたかった。きっと目はきょとんとしていたし、軽く傾げた首の角度だって完璧だった。人体模型と幼馴染みが戦っているのを目撃した男の反応じゃないぞ。だって全神経を使った。

 俺の反応に水戸先輩は目を丸くした。それから頬に手を当てて怪訝そうに首を傾げる。


「堤くんは見てないの?」

「なんの話だか……夢でも見てたんじゃないですか?」

「そんなはず……ないと思うけど……」


 少しずつ水戸先輩の語気がトーンダウンしていく。俺はだめ押しに「きっとそうですよ」と自信満々の声で言った。

 首を捻る水戸先輩はいまいち納得できていないようだったが、そういうことにしてくれたらしい。水戸先輩は立ち上がって軽くスカートをはらった。


「それじゃあ……」

「ええ、帰りま」

「一号館へ行きましょうか!」


 水戸先輩が力強く拳を握ったので、俺も日和子もはぶんぶんと首を振った。


「絶対に嫌です」


 俺はもう疲れた。

 今日はそろそろ、おうちに帰ろう。

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