第6話

 当初の予定通り、階段を上ったところで水戸先輩とは別れた。暗い廊下の奥へと向かっていく後ろ姿を見ていると、縁起の悪いモノローグが脳内に浮かんでしまう。これが彼女を見た最後の……いや、やめておこう。

 三人が二人になると、急に心細さが増すようだった。二人で壁や床を無秩序に照らしながら一段ずつ階段を上る。リーダーシップをとっていた水戸先輩がいなくなったせいか、どちらともなく歩みがゆっくりになる。


「日和子」

「……なに」

「無理すんなよ」

「何が」

「お前、怖がりじゃん」


 指摘すると、む、と日和子が唇をとがらせるのがわかった。知らいでか。小学生のとき行ったお化け屋敷でお前が号泣したのを俺はまだ覚えている。


「……昔の話だし」


 日和子がふてくされたように言い捨てた。こういうとき、自分より怖がっている人間がいると怖くなくなるのが人間というものだ。俺は何もない踊り場へ明かりを向けると、「うわっ」とわざとらしい声を上げた。


「きゃっ? なに、なに?」


 驚かされた猫のようにびくりと日和子が身を跳ねさせ俺の腕にしがみついた。キョロキョロと警戒するように周囲を見回している。直後、からかわれたということに気付いたのか、ギリギリと腕に日和子の指と爪が食い込む。

 俺を見上げる顔は怒りからか恥ずかしさからか、この暗がりの中でもわかるほどに赤くなっていた。


「よーくん、次やったらひよこマジのマジで怒るからね」

「わかった、わかった、悪かったよ」


 もう一回くらいやってやろ。いつもワガママを言われている仕返しだ。

 日和子は「もー」と不機嫌そうな声を上げ、だがさっきのやりとりで恐怖心が芽生えたのか、俺にくっついたまま歩き始めた。歩きにくいことこのうえないので離れてほしいが、弱みを現在進行形で握っていると考えれば、まあいいか。

 踊り場をすぎ、階段を折り返したところで日和子が足を止めた。


「待って」


 くすぐったい囁き声。


「どうした、ビビっちゃったっか?」

「そうじゃなくて……なんか聞こえない?」

「えっ?」


 一瞬さっきの意趣返しかと思った。だが日和子の表情は真剣そのもの、ぎゅっと俺の袖を握り混む力にも嘘はない。

 俺たちは息を潜めて、耳をそばだてた。

 ――かつん、かつん。

 俺は思わず声を上げそうになった。確かに聞こえる。規則的な音は足音だろうか。逸れもこっちに近づいてきている。日和子を見ると、泣きそうな顔で頷いている。


「な、なにぃ……?」

「わ、わからん、警備員かも」

「それはそれでまずくない? どーしよ……」


 逃げだそうにも、足がすくんで動けない。日和子と身を寄せたまま、音のする階上を睨んだ。見上げた廊下、月明かりを背にして人影が浮かび上がる。

 俺はほとんど反射的に、手に持っていた懐中電灯を向けた。


「わあああああ!?」

「うおっ」

「きゃあああああああ!」


 声が三つ重なった。そのうち二つは俺と日和子のものだ。もう一つは……、


「ごめんなさーい! ……ってつつみん、ぴよちゃん?」


 ぺこぺこと頭を下げる小柄な陰は、俺たちの顔を見るとあんぐりと口を開けた。それからほっと肩をなで下ろす。きっと俺たちも同じ顔をしているのだろう。


「千川さん、なんでここに……?」


 吹っ飛びかけた言葉のしっぽをなんとか捕まえ、かろうじて問いかけた。たんたん、と跳ねるように階段を降りて俺の目の前まで来た千川さんは、てへへと無垢に笑う。


「えっとー……怒らない?」

「うん……うん?」

「今朝、水戸先輩について話したでしょ? そのときつつみんの様子がおかしかったから、昼休みにこっそりあとつけてたんだよ」

「ぜ、全然気付かなかった……」

「当然! 新聞部仕込みの技だからね」


 得意げに胸を張った千川さんは、それから苦笑して肩を落とした。


「って、誇ることじゃないけどね。そこで二人が学校に忍び込むって聞いて、私も夜の学校に興味あったから、今晩だったらもし見つかりそうになってもオカ研の陰に隠れられるかなー、みたいな……」


 そこまで言ったところで、千川さんが勢いよく頭を下げた。


「ごめん!」

「え、いやっ、なんで謝るの」

「なんていうか……つつみんたちを利用? おとり? みたいにするつもりだったから……」

「いいって、いいって」


 というか謝られてもいまいちピンときていない。俺自身が水戸先輩に連れてこられた、という立場だからだろうか。

 俺がひらひらと手を振ると、千川さんの表情に笑顔が戻った。そっちの方がよく似合っている。


「ありがとう。つつみん、優しいっ!」


 と、千川さんが俺にくっついたまま未だにぽかんとしている日和子を見た。俺が軽く揺すると日和子ははっと我に返ったらしい。


「し、心臓止まるかと思った……」


 じぃっと、千川さんの視線は鋭い。そこでようやっと日和子は自分が醜態をさらしていることに気付いたようだった。勢いよく飛び退くようにして、俺から離れる。


「あれ、堤くん、奇遇だね」

「無理があるだろ……」


 ツッコミを入れると日和子がぐぅっと唸った。千川さんは俺たちのことをニヤニヤと笑いながら見ている。


「二人がそういう関係だったとは……」

「違うから! あたしとよーくんはただの幼なじみだから、今日も頼まれたからついてきてあげただけで」

「よーくん?」

「それは、ちがくて」


 日和子がその場にしゃがみ込んだ。千川さんが慌てて日和子に駆け寄り、背中を優しく叩く。


「大丈夫大丈夫、内緒にするから」

「絶対?」

「絶対だよ! 私嘘つかないから!」


 千川さんのはきはきとした声に絆されたのか、日和子がよろよろと立ち上がった。そのまま俺の方に足早に近づいてきたかと思うと、なぜか尻を軽く蹴られた。絶対に八つ当たりだ。

 一度混乱しきったことで逆に落ち着いたのか、日和子が千川さんの手を引いて階段を上りだした。俺も慌ててその一歩後ろをついていく。


「ちーちゃん、どこ行くつもりだったん?」

「三階回って、次は美術室かな?」

「奇遇~、あたしたちも美術室行くつもりだったんだよ。ねっ、よーくん」

「ああ、そうだな」


 日和子は吹っ切れることにしたらしい。

 それにしても、女子二人いると急に空気が華やぐなぁ。いや、水戸先輩も女子のはずなんだけど。怖いねー、などと当然のことを話しながらきゃっきゃしているのを見ていると、自分が何をしにここに来ているのかわからなくなる。

 ……さっさと美術室の写真だけ撮って帰ろう。


「そういえばつつみん。私が教えた七不思議、ちゃんと覚えてる?」

「ああ……そういえば、美術室の話だったな」

「え、なに? どんな話?」


 日和子が不安そうな顔で俺を見た。俺はにやりと笑って声を低くする。


「美術室には殺人鬼が潜んでて、うっかり入るとばらばらにされちゃうらしいぞ」

「はあ!? そんなわけないじゃん!」


 元気いっぱいの否定が返ってきた。そうだね、俺もそう思う。

 そんなことを話しているうちに、美術室の前に着いた。俺たちのやりとりをくすくす笑いながら聞いていた千川さんが扉に手をかける。


「さーて、何が出るかな」


 がらりと勢いよく扉が開かれた。千川さんが懐中電灯の明かりを室内に向ける。


 部屋の中央に、その影はいた。

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