第5話

 活動決行は二十一時となった。集合場所は校門近く。内容は七不思議の調査。「そんな活動許されるんですね」と少し驚いて聞くと「忍び込むのよ、当然じゃない」と言われた。当然じゃない。

 正直かなり憂鬱だったが(停学なんてくらったらたまったもんじゃない)約束した以上ばっくれることもできない。それに俺がばっくれたらあの人は多分一人で決行する。どこか人外めいているとはいえ水戸先輩はか弱い女の人だ。一人で暗闇を探索している姿を想像するとそわそわして家で落ち着いてなんていられない。

 集合時間の三十分前に律儀に家を出たところで、俺は足を止めた。ちょうど日和子が家に入ろうとしているところだった。

 まだ制服姿ということは、放課後遊びに行って今帰ってきたのだろうか。日和子も俺を見て鍵を捻る手を止めた。


「……おかえり」

「ん」


 無視するのもどうかと思って声をかけると日和子も小さく頷いた。それでリセットだ。いちいち些細なやりとりを引きずるほどの関係性ではない。気にしていたらキリがないから。


「どこ行くの」

「……ちょっとコンビニ」


 いくらリセットされたからと言って流石に水戸先輩の名をここで出すほど馬鹿ではない。適当に誤魔化すと、日和子は、ふぅん、と鼻を鳴らした。

 それから、開けたはずの鍵を再度閉めてしまう。くるりと踵で身を翻した日和子は一歩こちらに踏み出した。にっと猫みたいな笑み。


「あたしも行く」

「え?」


 予想外、というわけでもない申し出に俺は思わず狼狽した。そんなこと気にせず日和子はぐいぐいと俺の腕を引く。体重差があるので流石に引きずられはしないが、ちょっと待ってくれ。


「アイスが食べたい気分なんだよね」

「だ、だったら俺が代わりに買ってくるぞ」

「それに雑誌も見たいの」

「俺が代わりに見てこよう」

「意味ねー」

「いいから待ってろよ。ほら、もう遅いし」

「水戸先輩?」


 俺はぎくりとした。日和子が腕を放し、逆側に体重をかけていた俺はうっかりバランスを崩す。よろめいた俺を日和子は冷ややかな目で見ている。

 日和子の無表情は怖い。癇癪を起こしているときは子供を相手にしているような気分でいなせるが、静かにキレられると今でも少しぞくりとする。


「いや、それは」

「よーくん、今更あたしに隠し事出来ると思ってんの」


 思ってない。できるものかよ。女の勘だかなんだか知らないが、日和子は昔っから妙に目敏い。俺は特に自分を隠し事の出来ないたちだなんて思ってはいないが、ことこいつに対しては隠し事が出来たためしがない。

 日和子は俺の頭の先から爪先までを睨め付けると、鍵を鍵穴に挿した。開けて閉めた鍵を、彼女が再度開ける。久々にマジギレさせたかなぁと頬を掻いていると「そこで待ってて」と強めに言いつけられた。

 仕方なく、スーパーの前に繋がれた犬みたいにぼーっと待っていると、ほどなくして日和子が再度現れた。先ほどと違うのはその服装だ。制服から私服へ。Tシャツにデニムのショーパン、上からライダースを羽織ったラフな姿だ。脚が寒そう。

 私服を見せつけたいわけでもあるまいし、なんだなんだと思っていると日和子が不服そうに眉をつり上げた。


「あたしも行く」

「ええ?」


 さっきと同じ言葉だ。そして俺の狼狽も同じ。日和子は苛立たしそうに爪先で床を叩く。


「よーくん一人じゃ体よくパシられそうだし。あたしが見守ってあげる」

「余計なお世話だっつの……」


 俺はぼやきながらも、これ以上時間を食っていられないと歩き出した。当然のような顔をして日和子も隣をついてくる。俺はもう、何も言わなかった。


§


 日和子とのごたごたもあり、待ち合わせ場所に着くと既に水戸先輩が待っていた。夜道にぼんやりと立つ彼女は白のワンピースを着ていて、良い意味で幽霊みたいだ。はかなく透き通るこの世ならざるもの。日和子も似たようなことを感じたのか、二人並んで立ち止まった。

 だがずっとこうしているわけにもいかない。俺はすぅと息を吸って先輩に呼びかけた。


「すみません、お待たせしました」


 振り返り、俺の隣に立つ日和子の姿を見た先輩は、一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに包容力にあふれた微笑みに変わる。


「貴女も来たのね、えぇと……」

「蘭、蘭日和子です」


 日和子がぶっきらぼうに言う。水戸先輩は彼女の不機嫌などちっとも見えていないかのように、日和子の手をそっと握った。


「来てくれて嬉しいわ。堤くんが連れてきた人だもの、歓迎します」

「はぁ……」


 うお、人間関係のジャンケンを見ているような気分だ。そのたとえだと水戸先輩は最強の一手なので、ジャンケンに於いてはズルになってしまうか。

 「行きましょうか」とふわふわ歩き始めた水戸先輩のうしろを二人で着いていく。ワンピースに可愛らしい鞄を提げた水戸先輩はピクニックにでも行く様相だが、そんなに平和なものではない。どこ行くの、と日和子が視線で問いかけてくるが俺にもわからない。一睨みでせっつかれたので、俺は咳払いをした。


「ええと、どこへ向かってるんですか?」

「校内は監視カメラがあるでしょう、ちょうど死角になる場所を見つけてあるの」


 ふふ、と水戸先輩は上品に笑っているが、言っている内容はスニーキングアクションみたいだ。わくわくしないと言えば嘘になる。夜の学校に忍び込む、なんて普通に生きていたら経験することなさそうだし。


「なんでわざわざ、リスクもあるのにこんなことするんですか?」


 くるくると毛先を指でいじりながら、日和子が前を歩く水戸先輩に問いかけた。日和子の表情は雄弁に「理解できねー」を表している。先輩はちらりとこちらを振り返り、うっとりとしたように語り始める。


「会ってみたいじゃない、幽霊とか妖怪とか怪異とか、そういうのがいるのなら」

「そうですかぁ? そういうのって普通、会いたくないんじゃ」

「だって好きなのよ? ほら、大好きなアイドルが近くに来ていたら一目見たくなるでしょう、そういうものよ」


 理解できねー、と今度は日和子は口に出して小さく呟いた。それが水戸先輩の耳に届いたのか定かではないが、先輩はふっと息を小さく零した。


「父の影響なの。ミステリー水戸という名前で色々やっているのだけれど」

「えぇっ」


 日和子が大きな声を上げた。なぜかバシバシと俺の背中を叩いてくる。そっと一歩下がって避けると、日和子は代わりに握った拳を興奮したように振る。


「今ちょー人気の占い師じゃん」

「そうなのか?」

「すごいんだよ、予約三ヶ月待ち。よーくん知らないの?」

「三ヶ月ぅ?」


 そんなことってあるのか。俺にはちっとも想像が出来ない世界だ、そんなに待ってまで受けられるのが占いって、割に合わなさすぎないか。

 流石女子というべきか、怪訝な俺より占いに興味のあるらしい日和子は、へえぇ、と不躾とも言える感嘆の声をあげている。そんな日和子の現金な反応にか、水戸先輩が華奢な肩を揺らしてくすくす笑った。


「そこまで驚いてもらえると私も嬉しいわ。素晴らしい人なのよ、父は」

「お父様のこと、尊敬されてるんですね」

「子が親を敬うのは当然じゃない? それとも蘭さんはご両親と仲が悪いタイプかしら」


 あ、と思った。

 だがここでいきなり会話を遮るのはあまりに不自然すぎる。日和子は一瞬水戸先輩の背から視線を外し、足下に落とした。彼女に伸ばそうとした手は、結局空をさまよってからみっともなく引っ込められる。


「私の両親、私が小さい頃に死んでるんで」


 日和子の返答に水戸先輩は一瞬息を詰めて、それから「そう」とだけ言った。先輩が謝らなくて良かった。日和子はここで謝られることをよしとしないだろう。水戸先輩もそれをなんとなく感じたのかもしれない。

 自然と不自然な沈黙が生まれる。夜道では静寂がいっそう目立った。次に三人の間に言葉が生まれたのは、学校の敷地の周囲をぐるりと回って二号館の裏手まで来たときだった。


「ここの塀を上るわ」


 水戸先輩が手で示したのは、何の変哲もないブロック塀だ。高さは1メートル半ほどか? 俺はなんとか上れるだろうが、女性陣はどうだろう。心配していると水戸先輩がにこにこ笑顔で俺を見た。


「堤くん、登るのを手伝ってくれる?」

「いいですけど……踏み台にでもなりますか」

「それより……下から押してもらった方がやりやすいかもしれないわね」

「押すって?」

「こう、お尻のあたりをぐいっと」

「あたしが支えますね!」


 ずいっと日和子が前に出る。水戸先輩が頬に手を当てて軽く首を傾げた。さらりと流れる黒髪が彼女の微笑を彩る。


「じゃあ、よろしくお願いね」


 水戸先輩は控えめなガッツポーズを日和子に向けると、軽く助走をつけて塀に飛びついた。日和子がそれを下から押し上げる。即席の割にはなかなかのコンビネーションの甲斐あって、水戸先輩は塀をなんとか乗り越えた。

 さて、次は日和子の番だ。


「踏み台、してやろうか」

「よーくんが興奮したらキモいからいらなーい」

「誰がするかよ」


 俺の抗議などどこ吹く風、日和子がしっしと手で俺をどけるジェスチャーをした。仕方なくどくと、日和子がたっと駆け出す。くさっても陸上部員、軽やかな動きで彼女が跳ねる。だが、


「ん? うー……?」


 胸元まで塀に乗り出したあたりで日和子が止まった。いや、正確には止まってない、足だけはばたばたさせている。それ以上這い上がれなくなってしまったらしい。俺は溜息をついて日和子の背後に回った。


「持ち上げるぞ」

「は? 何……ぎゃんっ! どこ触ってんの!」

「あんま大きな声上げるなって」


 腰のあたりを掴んで日和子を持ち上げると、色気のない悲鳴が上がった。暴れる足に顎を蹴られかけ、反射的に上半身を逸らした。あぶねっ。

 しばらくじたばた暴れていた日和子だったが、やがて観念したのか塀を越えた。


「覚えてなよ!」


 塀の向こうから元気な声が聞こえて何よりである。多分俺もお前もすぐ忘れると思うけど。

 最後に残った俺も、なんとか自力で越えることが出来た。向こう側に降り立つと、なんだか空気が冷えたような感覚がした。敷地外と何が変わるわけでもないのだが、忍び込んだ、という事実が皮膚感覚を過敏にする。日和子もどこか不安そうにきょろきょろと辺りを見回しているが、水戸先輩は堂々としたものだ。

 二号館への侵入も、水戸先輩の手引きでよっぽど簡単だった。廊下の窓の鍵に細工をしておいたの、と当然のことのように言っていたが、この人が泥棒とかに興味がなくて良かった。

 廊下には窓から月明かりが差し込んで、意外なほど明るかった。といっても近くにいる二人の表情が読めるという程度だ。廊下の奥の方は闇が広がっており、本能的な恐怖が呼び覚まされる。

 とりあえず壁際に座って作戦会議だ。

 水戸先輩が鞄から懐中電灯とプリントを取り出した。エクセルか何かで作ったらしい表には七不思議の場所と内容が書き込まれている。その下には簡単な校舎の地図。


「二号館で七不思議が確認されているのは、三カ所ね。一階の理科室、二階の音楽室、そして三階の美術室」

「位置的にはばらけてますね」

「ええ、それぞれの能力が干渉しないように、でしょう」

「そうですねー」


 日和子が受け流し始めた。

 水戸先輩がシャーペンで地図の上にさらさらと線を引く。


「本館に移動するためにどうせ一階には戻ってくるから、先に上の階を攻略しましょう。私は音楽室を見るから、二人は美術室をお願い」

「ばらけるんですか?」


 てっきり三人で行動するものだと思っていた。思わず問うと、水戸先輩は頷いた。


「時間をかけると警備員さんに見つかるかもしれないもの。せっかく三人いるのだし二手に分かれましょう?」

「でも、先輩一人で……」

「私は『そういったモノ』の対処に離れているから平気よ」

「そういうことでなく……」

「不審者などに鉢合う心配がない分、夜道よりよっぽど安心よ。心配しないで」


 有無を言わさぬ口調で言って、水戸先輩が立ち上がった。正直不安でいっぱいだが、ここで言い争いをしても仕方ない、俺もしぶしぶと立ち上がった。さっさと調査を終わらせて帰りたいというのも、また本音だ。


「教室に着いたら、携帯のカメラでいいからくまなく写真を撮ってきて。貴方たちには何も感じられなくても、私なら写真から怪異を見いだせるはずよ。調査が終わったら……あら」


 水戸先輩がスマホを取り出した。先輩とスマホ、微妙に違和感のある取り合わせではあるが、高校生なんだからスマホくらい持っているよな。


「まだ連絡先を交換してなかったわよね」

「あ、それならあたしが部屋作りますね」


 さっきからつまらなさそうに欠伸をしていた日和子が、すちゃっとポケットからスマホを出した。そのまま手際よく操作して水戸先輩と連絡先を交換する。十秒も待てば、俺のスマホにも『グループに招待されています』の通知が来た。

 最後に水戸先輩が俺たちに懐中電灯を一つずつ渡して準備は完了、ついにドキドキの探検が始まるのだ。

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