⓼ 母親の過去を辿る手紙《返信》藤野 真澄➠高瀬 奏
高瀬 奏 様
はじめまして、と言って良いものか。
貴方様から手紙を頂戴したことに、喜びと、驚きと、困惑と、申し訳ない気持ちとが、私の中で複雑に
まず、お母さま、千重子さんが亡くなられたこと、ご愁傷さまでございました。
『
千重子さんが仰るように、確かにこれは藤野家の掛け軸です。それも、江戸時代から伝わる藤野家の家宝の1つ。私の10代前の先祖にあたる、藤野
ここまででお察しいただけるかと思いますが、私、藤野の生家は寺であり、また古くから書家でもあります。そして、私はその後継ぎで住職でもあります。
『藤野真澄』という名前から、女性と思われたかもしれませんが、『
さて、ここで、貴方様に1つ事実を明かさねばなりません。
それは、千重子さんと私との関係です。どうか最後までお読みくださりますようお願いします。
千重子さまとは、恋仲でありました。32年も前の話になります。
私が、当時、東京の
しかし、契りを交わすことは叶いませんでした。
理由は家柄でした。
千重子さんの先祖は、隠れキリシタンの家系でした。
高瀬という姓氏は、大分に多いのです。大分といえば、キリシタン大名で知られる
高瀬姓は熊本の旧
父たちは、一人息子の私が寺の跡取りとなり、また、伴侶となる者も、仏教の家柄、血筋であることを求めたのです。自由な恋愛は
私は猛反対を押し切り、家も財産もすべてを
そのとき私が唯一家から
加えて、私が千重子さんに抱いていたイメージそのものでもありました。
数日後にお見合いを控えた夜に、最低限の路銀とその茶掛だけを持って、千重子さんを
そのときの悲しみ、怒りは、筆舌に尽くし難いものでした。
また脱走を謀るのではないかと、1ヶ月くらいは自分の部屋に外から錠をかけられ、軟禁されました。舌を噛み切って死んでやろうと何度思ったか分かりませんが、実行に移すことはできませんでした。
結局、軟禁が解かれた直後、延期となっていたお見合いを敢行され、政略的な結婚をすることになりました。
門地門閥を永代残すことを至上の命題としていた父たちは、すぐさま男の子を産ませることを命じ、父の望みどおり息子が誕生しました。
そこからは、観念したように息子を育てました。生まれてきた子どもには罪はないのですから。
しかし、1年後、『和顔愛語』と書かれた差出人から、私宛てに手紙が届きました。
内容は、女の子が生まれたこと、
私は胸が熱くなりました。早く会いに行きたい。しかし、私も1児の父であり、息子を育てる責務がある。そもそも、差出人の住所がないので、会いに行きようがないのですが、それでも、私と、私が真に愛した女性の血を半分ずつ分け合った娘の存在に、嬉しさと切なさと仕送りの一つもできない苦しさを胸に、今日まで生きてきました。
茶掛は、私と千重子さんが家の者に捕まる直前に、千重子さんに渡したものです。
シングルマザーとしての生活は、想像を絶する苦労があったことでしょう。茶掛を売ってしまえばそれなりのお金になるはずなのに、それをせず、亡くなるまで飾っておられたことは、素直に驚いています。
さて、ここからはお願いになります。図々しいことを承知で、お願いします。
一度、奏さんに会いに行っても良いでしょうか? 育てもせず、血が繋がっているだけの親が、のうのうと会いに行くのは、厚顔無恥な行動だということも自覚しています。でも、一度でいいから、奏さんに会ってみたいのです。そして、一言、ごめんなさいと謝らせてほしい。ごめんなさいで、赦しをいただけるとは思っていませんが、それでもたとえ独りよがりでも
そして『和顔愛語』の掛け軸は、できれば奏さんにお返しします。もちろん無理にとは言いません。しかし、これは都合の良い解釈をするのならば、私の形見のようなものとして、千重子さんが大切にしてきたものなのです。
もし、奏さんが少しでも私のわがままをお赦ししていただけるのならば、どうか会って、茶掛を受け取ってください。
お返事、お待ちしております。
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