『灯』の休暇 ~夜編~
ミータリオからの過酷な任務が終わり、帰国した『灯』はリリィの「みんなで旅行に行きましょう!」という号令の下、ディン共和国東部の高原で休暇を取っていた。珍しい少女全員での旅行である。最初クラウスは断っていたが、一部の少女からの強い熱望もあり、またちょうど近辺で防諜任務があることが発覚し、同行することが決定した。
これはそんな旅行の夜に起きた話――。
「ごめんなさい、わたしたち、今日、肉食べ放題を予約しているのでっ」
「おうっ! ステーキ食い放題じゃぁ!」
夜になった途端ジビアとリリィが勇んでホテルから駆け出していく。よほど楽しみにしているらしく、あっという間に姿が見えなくなった。
「いってらっしゃいなのー」
その背中にエルナは大きく手を振って、見送った。
全員で旅行しているが、常に一緒に行動している訳ではない。八人は大所帯であり、各々が好む過ごし方も違う。それぞれの好みに合わせて思うがままに動いた方がいい。
今回の場合、肉をたらふく食べたい人間と、静かにディナーを楽しみたい人間に分かれた。
「……わたくしたちも行きましょうか。たまには落ち着いた食事もいいですね」
「はい。楽しみっすね」
隠れ家のようなレストランでディナーコースを楽しむのは、エルナ、グレーテ、サラ。他の少女に比べ、小食の三人である。
最年長のグレーテの先導の下、三人はホテル近くの店に向かう。
(なんだか珍しい三人なの)
エルナはふと思う。サラとは普段から一緒にいるが、そこにグレーテが加わる状況は中々なかったシチュエーションだ。
(でもみんな、落ち着いていて、なんだか素敵な晩ご飯になりそうなの)
リリィやジビア、アネットがいると、どうしても喧しくなる。それが悪いということはないが、たまにはゆっくり食事を楽しみたいものだ。
グレーテもそんなエルナの願いを叶えたようなレストランを予約してくれた。ホールの隅では、大きなグランドピアノが置かれている。生演奏を聴きながら、地元の野菜を使ったコースディナーを食べられる有名店だったという。
「全八品のコースでお間違いないでしょうか?」
「はい……」
女性のウェイターにグレーテが応対し、人数分のジュースが運ばれてきた。取れたてのオレンジを使った果汁百パーセントのジュースという。
これより三人の優雅なディナーが始まる。
まず口火を切ったのはサラだった。
「あのグレーテ先輩。ずっと言いたかったことがあるんです」
やけに真剣な声。
「……?」「の?」
グレーテとエルナが同時に首を傾げると、サラがハッキリと告げた。
「――ティア先輩とはもう手を切った方がいいと思うっす」
(……思いの外、センシティブな話題をぶち込んできたの)
重めのトークテーマだった。
何もディナー開始から話さなくても、と思うエルナの横で、グレーテが不思議そうに瞬きをする。
「……と言いますと?」
「恋愛相談のことっす」
サラはぐっと拳を握りしめている。
「自分はグレーテ先輩の恋を本気で応援しているっすよ。な、なのにティア先輩のアドバイスは、じ、自分でも変と感じるくらいには、頓珍漢な気がして……」
「……? そうでしょうか?」
「はい! 『「ティアのアドバイスを聞くな」とグレーテを説得する会』通称グ説会の会長として、進言するっす」
「なにやら妙な組織ができあがっている……!」
クラウスに恋するグレーテが恋愛の師としてティアを仰いでいるのは、エルナも知っていた。そしてティアの指示があまりにポンコツであることは、恋愛事に疎いエルナでさえ察している。
性的なアプローチを提案するティアを、クラウスは割と本気で嫌がっている。
が残念ながら、グレーテはピンとこないらしい。
「……まず心配していただいた事実に感謝を申し上げますね」
彼女はすまなそうに頭を下げた。
「ですが、ティア師匠は恋愛マスターです……実績で言えば『灯』で一番。意見を尊重するのは当然と思うのですが……」
「ちなみに、今はどんな指示を?」
「ボスの客室に下着と避妊具を仕込み、清掃に来たスタッフに既成事実を信じ込ませろ――とのことです」
「絶対やめるべきっす!」
「ですがティア師匠は本気で気にかけてくれています。裏切る真似はしたくありません……」
「そ、そうっすか……うぅ、そう言われちゃうと、自分も……」
「………………………………」
「………………………………」
二人は同時に沈黙した。
恋愛を成就してほしいと願うサラ、あくまでティアを信じたいグレーテ。会話はほとんど交わらないまま、長い静寂が訪れる。
(空気が重たいのおおおおおおおおぉっ!)
その横ではエルナが内心で悲鳴をあげていた。
ディナー前に抱いていた希望と現実とのギャップに吠えるしかない。なんだこの沈黙の長さは。
そうこうしているウェイターが料理を運んでくる。
「こちら一品目のキッシュとなります」
(まだ七品あるのおおおおおおおおっ!)
この空気のまま二時間近くも過ごさなければならないらしい。
救済は思わぬところから訪れた。
「俺様っ、美味そうな匂いを嗅ぎつけてきましたっ!」
「の?」
突然現れたのはアネットだった。彼女はマイペースに「俺様も同席してやりますっ。感謝してくださいっ」と告げ、空いている椅子に腰をかける。
グレーテが表情を緩めた。
「……アネットさんは、今日は何をしたんですか?」
「俺様っ、ガラス細工の工房を覗いてきましたっ。ここの職人は中々にやりやがりますねっ。弟子入りの約束もしましたよっ」
「ふふ。充実しているようでなによりです」
薄く微笑むグレーテ。その隣でもサラもニコニコと視線をアネットに注いでいる。
エルナは胸を撫でおろし、アネットに耳打ちをする。
「今日ばかりはお前に助けられたの」
「…………?」アネットは笑顔のまま首を傾げた。
※本作は『スパイ教室 短編集02 私を愛したスパイ先生』メロンブックス特典SSを修正したものです。
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