『灯』の休暇 ~深夜編~
ミータリオからの過酷な任務が終わり、帰国した『灯』はリリィの「皆で旅行に行きましょう!」という号令の下、ディン共和国東部の高原で休暇を取っていた。珍しい少女全員での旅行。最初クラウスは断っていたが、一部の少女からの強い熱望もあり、またちょうど近辺で防諜任務があることが発覚し、同行することが決定した。
これはそんな旅行の深夜に起きた話――。
夜十一時、ホテル内のバーラウンジにて。
「俺様っ、養成学校の教官はバカばっかりだと思いますっ」
「そう言うな。僕も不満はなくもないが、彼らだって誠意を持って後人教育に臨んでいるはずだ」
「誠意だけじゃ良い教育は成り立ちません!」
「だが、どうやって人材を揃える? 最前線で働いているスパイを突然、育成機関には回せない。彼らは重要な任務を担っているからな」
「俺様っ、他国の優秀なスパイを生け捕りにして、脳に電極差し込んで、無理やり教官をやらせるのが最善だと思いますっ!」
「お前が言うと冗談に聞こえないから困る」
バーカウンターでクラウスとアネットが会話に弾ませていると「珍しい組み合わせだね」とモニカが訪れてきた。
クラウスは「たまたまだ」と言葉を返した。
任務帰りに夜食目当てでバーラウンジに立ち寄ろうとした時、偶然アネットに見つかってしまったのだという。アネットは昼寝をしすぎて眠れなくなったという。
クラウスの前にはナッツとウイスキー、アネットの前はアイスミルクが置かれている。
モニカは「ボクもご相伴に預かろうかな」と笑みを零しつつ、バーテンダーに「適当に軽いやつ」と注文する。
「アルコールは感心しないな」
「もっと悪い犯罪を日常的にやってるのに? 酒もスパイも嗜みさ」
「今日はジュースにしておけ」
「はいはい、分かりましたよ」
生意気な口を叩きながら、モニカはクラウスの左隣の席に座った。アネットと挟むような位置だ。
クラウスのナッツを勝手に齧り、彼女は興味深そうにアネットを見た。
「何話してたの? 養成学校の教官問題? クラウスさんとアネット、二人になると、そんな話をするの?」
「俺様、なんのことか分かりませんっ」
「キミも結構、本心を隠すよねぇ」
惚けるアネットに、モニカは鋭い視線を向ける。
クラウスは何も言わず息を吐いた。
「まさかお前たちとバーを訪れる日が来るとはな」
「言ってもクラウスさんも二十歳でしょう? バーとかよく来るの?」
「酒場は、情報の受け渡しに打ってつけだからな。機密情報を握るターゲットを口説き落とす時もある」
「へーぇ、大人だねぇ」
モニカは楽し気に笑い、届いたジュースを美味そうに飲んだ。カシス果汁とオレンジジュースを混ぜたノンアルコールカクテルだろう。
「ねぇクラウスさん」グラスをカウンターに置き、 モニカは言った。
「なんだ?」
「――ボクを口説いてみてよ」
突然の注文だった。
意表を突かれたクラウスは鋭い視線を向ける。
「……ノンアルコールで酔ったのか?」
「まさか。ただ興味あるじゃん? 一流のスパイの口説き文句。その辺は『焔』で仕込まれているんでしょう?」
モニカは挑発的に口の端を曲げる。
「それとも案外、異性関係は苦手? ティア以下?」
「安い挑発だな」
だが乗らない訳にはいかなかった。クラウスにもプライドはある。加えて、モニカの場合、スパイの技能に対する探究心もあるはずだ。
「別に殺し文句がある訳じゃないんだ」
カクテルグラスを揺らしながら明かした。
「テクニックや定石などまやかしだ。『女性はこう言えば喜ぶ』『男はこうすれば堕とせる』なんて、相手の尊厳を無視した侮蔑と思わないか?」
「まぁそれは当然。ティアにも聞かせてやりたいね」
「万能の殺し文句などないよ。しっかり向き合い、相手が最も喜ぶ言葉を与えること――それだけだ」
クラウスは静かな視線をモニカに送る。
「モニカ、お前とはもう少し前に会いたかったよ。それが残念でならない」
「ふぅん?」
「――お前は間違いなく『焔』に入れる水準だ」
モニカは虚を衝かれたように目を丸くする。
決して嘘を伝えたつもりはなかった。モニカに秘められた才能や能力は、計り知れない。実力はまだ及ばないが、『焔』が今もなお存続していれば、彼女を預かって鍛え上げていただろう。
二年に一度行われる『焔』の選抜試験――その日付がもう少しズレていれば、モニカが『焔』を訪れる未来があったかもしれない。
「さて十分だろう。そろそろ僕は寝ることにするよ」
立ち上がったクラウスの背中に、アネットが飛びついた。
「兄貴っ、兄貴っ、俺様はどう口説くんですかっ?」
「ここ最近、成長が止まらないな。もう立派なレディだ」
「俺様! 一生、兄貴についていきますっ!」
アネットを首にぶら下げたまま、クラウスはバーを退店する。
一人カウンターに残されたモニカが「…………十分に殺し文句じゃん」と零した呟きを聞くこともなく。
※本作は『スパイ教室 短編集02 私を愛したスパイ先生』とらのあな特典SSを修正したものです。
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