結婚
「ねえ、クラウスさん。もし『灯』の誰かと結婚しなければ、リリィの頭が弾け飛ぶとしたらどうする?」
「弾け飛べばいいんじゃないか? リリィの頭、一つや二つ」
クラウスが部屋で事務作業をしていると、突然やってきたモニカが質問をぶつけてきた。
モニカがクラウスの部屋を訪ねるのは珍しいことだ。少女の中で、もっとも関わりが薄いのは彼女だろう。クラウスから指導を受けることなく、類まれなセンスでほぼ独力で実力を伸ばしている。
「意外だな」
クラウスがコメントする。
「お前がそんな俗な質問をぶつけてくるなんて」
「いや、ボクは別にどうでもいいんだけどさ」モニカは肩を竦めて、クラウスが作業する机に腰を下ろした。「ジャンケンで負けたんだよね」
「ジャンケン?」
「さっきティアが『どうしたら先生を堕とせるのよ』って喚いてさ」
「週五で見る光景だな」
「で、全員で真剣に議論したところ、クラウスさんはロリコンだからティアやグレーテに興味を持たない説が浮上して、誰が好みなのか確認しておこうって」
「なんでお前たちの発想は常に極端なんだ?」
クラウスは息を吐き、机から立ち上がった。そして足音を消して、扉に近づく。
力いっぱい拳で扉を殴りつけた。
扉の向こうから「うひゃあ!」と悲鳴をあげる少女たちの声が聞こえてきた。扉を開くと、七名の少女たちが転がっている光景が広がっていた。聞き耳を立てていたらしい。
「僕の好みを確認してどうする?」クラウスは眉間を抓った。「そもそもだ。仮に冗談でも僕が誰かを指名してみろ。今後の任務が気まずくて仕方が無くなる」
「それは確かにそうなんですが」と這いつくばるリリィ。
「組織と恋愛は微妙な問題だ。軽々しく踏み込むな」
「でも、クラウスさん」
モニカが不服そうに言う。
「実際どうなの? もし好みを言わなければ、リリィの身体が爆発四散するとしたら?」
「その時は仕方がない」クラウスは頷く。「爆弾のスイッチを押すさ」
「『灯』の誰かとデートをしなければ、リリィがサイボーグ化するとしたら?」
「泣く泣くパーツを提供しよう」
「『灯』の誰かと手を繋がなければ、リリィの脳みそがポップコーンと入れ替わるとしたら?」
「塩を用意する」
「さっきから、わたしの扱い酷くありませんかねぇっ⁉」
リリィが大声で喚いた。
クラウスは改めて集まった少女たちを見た。皆、期待と好奇心に満ちた瞳を向けてくる。よほど興味があるらしい。
(……まぁ、こういった話題が盛り上がることは否定しないがな)
クラウスが得意なジャンルではないが、ターゲットの心を開くために、恋愛の話を振ることはよくある。『好きな異性のタイプ』という話題は、人種や国籍問わずに聞きやすい質問だ。年頃の少女が興味を持つのも自然なことだ。
(僕と仲良くしたいというコイツらなりのコミュニケーションだろう。無碍に扱わず、適当に語ればいいだろうか)
たとえば『倹約家のジビアがいいかもしれないな』と言えば、今後の関係に響くこともないはずだ。生々しい発言さえ控えれば――。
「…………」
だが語ろうとした直前で、クラウスは思いとどまった。
気づいてしまった――一人、切実な瞳を浮かべる少女を。
いや、と首を横に振る。
「お前たち、スパイとしての誇りはないのか?」
鋭い声音で言い放つ。
少女たちの顔に緊張の色が浮かぶ。
「ただの好みとはいえ、僕の情報だ。こんな質問ではなく、策を弄して手に入れるべきだ。安易に尋ねるな。洞察力を発揮し、見抜いてみせろ」
彼女たちに視線を合わせず、クラウスは背を向けた。
少女たちはしばらく唖然としていたが、やがて申し訳なさそうに部屋から離れていった。
夜が更けて日が変わりかける頃、クラウスの自室がノックされた。
この時間帯に訪れる少女の存在は一人しかいない。クラウスが何度「自分でやるから別にいい」と告げても、彼女はハーブティーや紅茶を淹れてくれる。それが中々に美味しいから、つい受け入れてしまう。
「……ボス、本日のお茶をお持ちしました」
グレーテがお盆を持って顔を出した。
まだ事務作業に取り組んでいたクラウスは顔をあげる。「ありがとう。だが、お前は別に寝てもいいんだからな?」
「それは、わたくしも同じ想いです。あまりご無理はなさらないでくださいね」
グレーテは慣れた手つきでティーカップに、ポットの茶を移している。
「……さきほどは申し訳ございません。お仕事を邪魔してしまいました」
「いや、気にしなくていい。アレは怒った演技だ。内心はそれほど気にしていない。楽しい空気に水を差してしまったな」
「……?」
「軽々しく質問に答えて、お前の心をかき乱したくなかった。余計な配慮だったか?」
あの時はそれを優先すべきと判断した。彼女の心配そうに揺れる瞳に気づいた。
たとえ冗談であろうと、グレーテの前ではいかなる名前を出すべきではない。
どう答えようと、きっと彼女の心にはさざ波が立つだろう。
グレーテは何かを堪えるように、お盆を抱え込み、そして口元に微笑みを浮かべた。
「そのお気持ちだけで、わたくしは幸せですよ……ボス……」
※本作は『スパイ教室 短編集01 花嫁ロワイヤル』メロンブックス特典SSを修正したものです。
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