当番
陽炎パレスの家事は当番制だ。
基本的に自分たちのことは自分たちでこなす。スパイの任務は、日常生活で培われるスキルが役立つ場合も多い。洗濯も掃除も訓練の一環。特に食事に関しては、メンバーの指揮に関わるため、決して手を抜けないが――。
「げっ」
「あ……」
――稀に相性が悪い二人が重なってしまう時もある。
ティアとモニカだ。
夕方、決められた時刻に玄関先へ向かうと、二人は思わぬ相手と鉢合わせした。
「今週の料理当番はグレーテじゃないの?」モニカが露骨に眉を顰める。
「彼女と交代したのよ。少し体調を崩しちゃったみたいで」ティアが答えた。
「あぁ、そう。最悪だ。クソビッチと当番なんて」
「憎まれ口叩かないでよ。せっかく二人なんだから仲良くいきましょうよ」
モニカとティアは仲が良い関係とは言い難い。互いにプライドが高く、スパイに関する主義主張が違いすぎて、ぶつかり合うことが多い。『灯』でもっとも喧嘩が多い二人組を挙げるならば、この二人になるだろう。
「こうしよう」モニカが指を鳴らした。「ジャンケンで負けた方が買い出しに行かない? それで済ませようよ」
「無理よ、八人分の食糧だもの。二人で運ばないと無理だわ」
「……チッ」
「舌打ちはやめて」
ティアがそう主張すると、モニカは大きな溜め息を吐いて、玄関の扉を押す。仕方ないから付き合ってやる、という態度を一切隠さずに。
大通りを進みながらも、モニカはティアの隣を歩こうとしなかった。常に一歩早く足を動かしている。
自然とティアは、彼女の背を見つめながら進むことになる。
(……ホント、もう少し友好的な関係を築きたいと思うのだけれど)
幾度となくティアは歩み寄りの姿勢を見せているが、モニカにとってはその『譲歩している感』が気に食わないらしい。仲良くなろうと思えば思うほど強く反発されるので、次第にティアも何も言いたくなくなる。
クラウスからも、お前たちはぶつかり合いながら進めばいい、とは言われているが。
(……私たちは連携すれば、もっと輝けるはずなのに)
だが当番一つ協力できない以上、それは叶わないだろう。
そんなことを考えつつ、ティアが大通りを進んでいると、モニカが唐突に立ち止まった。思わず背中にぶつかりそうになって、ティアは軽くつんのめる。
モニカは路地に目線を向けていた。
バーと時計屋の間には、人がようやく通れるほどの小道があり、そこには小さな男の子が佇んでいた。涙を溜めた顔で何かを見上げている。
どういうことかはすぐに察しがついた。
(……あぁ、模型飛行機が引っ掛かっちゃったのね)
彼は模型飛行機を投げて遊んでいたのだろう。紙と木でできた飛行機が、建物の縁に引っかかっている。場所は、四階建てビルの四階。さすがに届きそうにない。
気の毒だけど諦めるしかないだろうか――と思った時だった。
モニカが駆けた。
突然に小道をダッシュしていくと、手元からワイヤーを射出して、小道の街灯に引っ掛けた。街灯を支点に、まるで振り子のようにモニカの身体が浮かび上がる。鮮やかに空中に浮いた彼女は、そのまま壁を蹴りながら上昇を繰り返し、あっという間に四階に到達して、模型飛行機を掴んだ。
「…………さすがね」
あまりに鮮やかに行われた神業に呆然とするティアの前に、モニカが綺麗に降り立った。落下の衝撃を完全に殺した見事な着地だ。
「大した技術じゃない」モニカはつまらなそうに吐き捨てた。「こんなのクラウスさんなら目を瞑ってでもできる」
「比較対象がおかしいだけよ」
モニカは「あぁ、そう」とつまらなそうに言った。それから、せっかく手にした模型飛行機をティアに押しつけてくる。
意図が分からなかった。
「……? なによ、アナタが取ったなら、アナタが渡してきなさいよ」
「いいよ。ボクはジビアと違って、ロリコンでもショタコンでもないしね」
澄ました顔で彼女は呟いた。
「――あの子、ちょっと怯えてる」
声が寂しそうに聞こえたのは、気のせいか。
モニカは模型飛行機を押しつけ、大通りへ去っていく。もう興味を無くしたように。
取り残されたティアは男の子を見つめた。
彼は顔を青くしている。たった今見たものが信じられないように、怪物でも見たように顔が引きつっていた。
(……まぁ、あんな人間離れした動きを突然見せつけられたら、驚くわよね)
スーパースターとして無邪気に喜べる状況でもないだろう。一般人が見たら、モニカの技量はもはや妖怪じみている。
なるほど、とティアは思った。確かに自分の仕事かもしれない、と。
「ダメよ、そんな恐い顔しちゃ」
ティアは模型飛行機を差し出して微笑みかける。
「私たちはただのサーカス団員よ。ちょっと器械体操が得意な一般人。安心して」
「え、えぇ……」男の子は不思議そうにしている。
彼と目を見つめ、ティアは頭を撫でた。
「飛行機、大事にしてね。よい休日をね」
「……っ。はい、ありがとうございましたっ」
緊張が緩んだように、男の子の強張りが解けた。
しっかりと頭を下げ、そしてハキハキした声で伝えてくる。
「あの、さっきのお姉さんにも伝えてくれますか? しっかりお礼を言えなくて、ごめんなさいって」
ティアは頷いた。「えぇ、もちろん」
男の子に別れを告げ、大通りに戻っていく。つい早足になってしまう。
モニカの背中に追い付くと、ティアは彼女の横に並んで笑いかけた。少年からのメッセージを伝えたのち、今の想いを口にする。
「ねぇ、やっぱり私たちが協力すれば無敵だと思わない?」
モニカは呆れたようにそっぽを向く。
「ボク一人で無敵だけど?」
※本作は『スパイ教室04 《夢語》のティア』メロンブックス特典SSを修正したものです。
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