美食
「まず鶏肉を適量用意する」
「『適量』って言葉、塩コショウ以外で初めて聞きました」
「その日の気候に合わせた香辛料をまぶす」
「今日みたいな晴れた日なら?」
「それとなく多めだな」
「昨日みたいな雨の日なら?」
「ささやかに多めだな。そして薄く油を敷いたフライパンに、皮目を下にして鶏肉を置き、ヘラで押しつけるながら焼く。愛情深く、だが決して厳しさを忘れないのがポイントだ。皮が大地を駆るキタキツネ色になったら、ひっくり返し、白ワインをかけ蓋を閉める。油が爆ぜる音に軽やかな優しさが混じったら完成だ」
「料理名は?」
「シェフの気まぐれチキンステーキ」
「…………」
リリィは「てやああああああぁ!」と手刀を放った。その手刀は当然受け止められたが、構わずに叫んだ。
「ぜんっぜん! 伝わってこないんですがあああああ!」
クラウスは万能と言っていいほど、全ての技能に秀でている。
ある日訓練でボロボロになったリリィがキッチンに向かうと、晩ご飯を作っているクラウスを見かけた。以前、彼が抜群に美味しい洋菓子を作っていたと思い出し、彼の料理工程が気になった。きっと頬が落ちるほどの絶品に間違いない。レシピを教えてほしく、声をかけたのだが――案の定、酷かった。
気まぐれという次元ではない。
キッチンに置いてある調味料を万遍なく振りかけるので、何をどれだけ使用しているのかまるで把握できない。本人に聞いても、その日の気分だという。おまけに手際が良すぎるので、料理工程もほとんどが謎だ。
それで、香しい匂いを放つステーキができるので不思議なのだが。
「教えてくれるのは嬉しいので、せめて大さじ何杯分とか数字でお願いします」
「次はチキンにかけるソースだが……」
リリィの希望を無視して、クラウスはボウルに調味料を投入していく。既に、余熱で蒸らしているチキンステーキの完成に合わせるためか、先ほどよりも一層スピードが早い。
(……いや、これは罠に嵌めるチャンスでは?)
ソース作りに集中しているクラウスの手元を見て、ふとリリィは閃いた。
(親切に無礼で返してしまいますが……これも命じられた訓練ですからね……)
作戦名『ソースに酢を入れまくって、先生をむせさせる大作戦』
思いついたら、即実行。
クラウスがチキンの様子を確認した瞬間、リリィはソースにバルサミコ酢をぶち込んだ。ついでに胡椒と唐辛子も投入する。
(ここまで盛れば先生が味見した瞬間、隙だらけになるはず…………そこを襲えば、ふふ、完璧ですね。先生も『降参』間違いなし)
勝利を確信した瞬間、クラウスは再びソースが入ったボウルを手に取った。軽くかきまぜると、ボウルを差し出してくる。
「リリィ、味見をしてくれ」
「ん?」
「作り方を教えてほしいんだろう? 味を見なくてどうする?」
「…………」
リリィの背中から大量の汗がにじみ出る。
「わ、わたし、お腹がいっぱいでして。残念ですが、もう何も……」
「ソースを舐めるだけだ。空腹は関係ないだろう」
「いや……」
「どうした? まさか僕に隠れて、ソースに何かを仕込んだ訳でもあるまい」
クラウスは冷ややかな視線を向けてくる。
(もしかしてバレてる……?)
そんなバカな、と息を呑む。だが、拒否してしまえば、せっかくの計画が台無しだ。
リリィはおそるおそるスプーンですくうと、口に運んだ。
「先生、これは……っ‼」
味を確認して、リリィは身体を震わせる。
「どうだ?」
「めちゃくちゃ美味しいんですけどっ? え、なぜ完璧なバランスで……」
「最後の調整で、味がまとまるんだ」
クラウスが満足そうに頷いた。
「部下の愚行、大さじ四杯分だ」
「数字を使っても、ぜんっぜん! 伝わってこないんですけどねっ?」
喚きながら、リリィは二つの事実を再確認する。
クラウスは天才であり、隙がないプロフェッショナルである事実。そして、やはり指導は壊滅的に下手である哀しい事実だった。
※本作は『スパイ教室01 《花園》のリリィ』メロンブックス特典SSを修正したものです。
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