『スパイ教室02 《愛娘》のグレーテ』特典SS

分身


 リリィが二人に増えた。


「「へへーん。これでわたしの勝ちですよ! 先生っ!」」


 クラウスは、誇らし気に胸を張る銀髪の少女を見る。

 とある任務に向けて、ターゲットを篭絡するために必要な焼き菓子を調理していたところキッチンにリリィがやってきた。焼き菓子は少女たちに味見してもらおうと多めに作ったのだが、それを食い意地を張ったリリィが強奪。元々少女たちのために焼いた分なので奪われてもよかったが、これも訓練かもしれないと追いかけた。

そして、思わぬ光景に出くわした。


 廊下にリリィが二人並んでいた。

 まったく同じ体型、声で、クラウスに強気な笑みを見せている。


「「分身ですっ!」」


 彼女の言う通り、まったく姿が同じな二人。双子か、ドッペルゲンガーのようだ。


「……グレーテの変装か」


 どちらのリリィも普段より身長が高い。おそらく本物のリリィは、グレーテと身長を揃えるために上げ底ブーツを履いているのだろう。なるほど、練られている。


「「さぁ、先生。これでお仕置きする手段は無くなりましたね!」」

「いつもの二倍うるさい……」


「「お菓子を奪った悪人のリリィちゃんは一人! 片方は、たまたまリリィちゃんの変装をしていた無実のグレーテちゃんです! もし間違った方にお仕置きしたら、その時は訴訟ですよ、訴訟!」」

「なるほどな」


 これで『降参』と言わせる算段なのだろう。

 細かな部分にツッコミどころは多々あれど、悪くない手段だった。使い方次第では、ターゲットに弱味を作る上で有効かもしれない。

 だとしたら、正攻法で攻略するのが彼女のためになるのだが――。


「リリィ、お菓子をあげるから本物と名乗り出てくれないか?」

「「えっ、本当ですかっ?」」


 二人同時に反応する。

 さすがグレーテだ。仲間のアホっぷりを完全に把握している。

 だとしたら、グレーテしか知らない事実をぶつけるべきだが――。


「グレーテ、脱衣所の一件だが――」

「「……ん? なんのことです?」」


 とにかくグレーテがボロを出さない。

 途中、右側のリリィの肩が若干震えたが、決め手には欠ける。

 変装において、グレーテの能力は限りなく完成されている――ある一点を除いて。


「……………………………………………………」

「「ふっふっ、もう降参ですかぁ?」」


 黙り込むクラウスに、リリィたちが挑発してくる。

 その挑発に対して返すアイデアは数十以上浮かぶ。しかし、どれも取る気にはなれなかった。不自然さが残るかもしれない。

 クラウスは「極上だ――」と褒め称えた。

 賞賛の拍手を送り、二人のリリィに背を向けた。


「どのみち、お前たちにやる焼き菓子だ。自由に食べるといい」


 そう告げて、クラウスは廊下を去った。




 大広間にて――。

 リリィとグレーテは祝杯をあげていた。戦利品である焼き菓子を、紅茶といただく。最高の気分だった。『降参』と言わせることはできなかったが、あのクラウスに一矢報いることができたのだから。


「いやぁ、今回は十分勝利と言ってもいいでしょう! 無敵のコンビですね」


 繰り返される自画自賛に、グレーテは「想定通りです……」と返す。態度こそお淑やかであるが、口元はしっかり緩んでいた。

 彼女たちは満足そうに頷き合い、勝利を称え合った。

 すると、広間からモニカがつまらなそうな顔でやってきた。


「ねぇ、クラウスさんから頼まれ事を任されたんだけど」

「頼まれ事?」

「うん、さっきの君たちの作戦についてだよ。『見た瞬間、どちらが偽物かはすぐに分かった。しかし、その理由を僕が告げると、彼女を傷つけるから代わりに伝えてくれないか』ってお願いされたんだ」


 リリィは首を傾げる。

 分身を見抜かれていたらしい。だとしたら、なぜその場で伝えずに負けを認めたかのように去っていったのか。

 モニカはさらっと告げる。


「『胸が不自然すぎる――僕が見抜いたとは明かさず、うまく指摘してほしい』ってさ」

「「…………」」


 リリィは、グレーテの胸部を見た。

 スレンダーで、ほとんど平らに等しい胸。

 変装時には、体型を合わせるため詰め物を入れ込んだ。不自然になった要因は一つだろう――二人のバストサイズが違いすぎる。


「残念だったね」モニカは嘲笑うように口にした。「動揺でもさせない限り、そりゃ見抜かれるよ」


「っていうか! 先生の気遣いを無駄にしてますけどっ?」

「面倒くさい。それよりグレーテを助けてあげたら?」


 リリィはハッとして、正面にいるグレーテを見る。

 彼女はうつぶせになって、ソファに顔を埋めていた。微動だにしない。ソファは革張りのため、そんな姿勢になったら呼吸が止まりそうだが――本当に呼吸を止めている?


「グレーテちゃんっ! しっかり!」


 強引にソファから剥がすと、彼女は遠い目をしていた。


「……わたくしを、殺してください……今すぐに……」


 今にも死にそうな声。

 この日以降、グレーテがリリィに変装する機会は格段に減った。



※本作は『スパイ教室02 《愛娘》のグレーテ』ゲーマーズ特典SSを修正したものです。

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