後悔
クラウスが部屋に戻ると、ベッドで遊んでいるアネットを見つけた。
ベッドを囲む柵を作りあげている。ただの柵ではない。机やタンスなどの家具をワイヤーで固定し、更には迂闊に近づけないようトラップが張り巡らされた、完璧なバリケードだ。
一目見て、クラウスといえど一瞬突破できないと判断した。
まるで要塞。
さすがアネットだと褒めたたえる。決して他者が近づけないバリケードだ。
ただ最大の謎は『なぜか他人のベッドに?』という話。
アネットはバリケードの出来に満足したらしく、純真な笑みで頷くと、大の字になって横たわった。
「俺様、これでぐっすり眠れますっ」
「ぐっすり眠るな」
クラウスがバリケードの外から声をかける。
アネットは初めてクラウスに気づいたように、手を振った。
「兄貴っ、残念ですが、兄貴のベッドは俺様が占拠しましたっ。他を当たってください」
「……一応、理由くらいは聞いてやろう」
「兄貴のように身長を伸ばしたくてっ」
アネットは堂々と答える。
クラウスは高身長。どうやらその理由はベッドに秘密があるとアネットは期待したらしい。もちろん、何もないのだが。
「まぁ、一日くらいなら構わないが」
陽炎パレスには空き室がある。
アネットの気が済むなら、今日は別の部屋で寝てもいいだろう。
「さすが、兄貴っ! 俺様さっき牛乳をたくさん飲みましたっ。明日にはぐーんと伸びていますっ」
「早寝が身長を伸ばすと聞くな。今日はもう寝るとい――」
「でも、俺様! おトイレに行きたくなりましたっ」
「……………………」
クラウスは完成されたバリケードを見つめた。
誰も近づけない作り――人は出られるのか?
「俺様、ぶちまけますっ!」
「我慢してくれ、本当に」
とんでもない展開になってきた。
まずアネットに放尿を堪えるよう説得しなければならない。だが、どうやって?
「あら、先生。どうしたの? 珍しく焦っていない?」
部屋に新たな人物が入ってくる。
交渉術に長けた少女――ティアだった。
「あぁ、僕としたことが正直困っている。助けてくれないか?」
端的に事情を説明すると、彼女はふふっと微笑んだ。
「アネットの扱いが一番長けているのはサラね。だけど、彼女はあいにく不在だわ」
「そうだな……」
彼女は現在、グレーテたちと共に別任務にいる。クラウスがそう指示したのだ。
ティアは「サラ不在の今、アネットをコントロールするのは至難の業よ」と笑みを零した。
「ところで――世の中には、そんなアネットの管理を丸投げしてくる上司がいたのよ。酷いと思わない?」
「僕のことか……?」
「――私の苦労を味わいなさい」
ティアは意地の悪い笑みを浮かべている。どうやら恨みを買っていたらしい。
「お、クラウスさん。お困りのようだね」
沈黙を続けていると、新たな人物が部屋を訪れた。
状況を打破できうる優秀な総合力を持つ少女――モニカだ。
「いつになく狼狽しているじゃん。お困りのご様子だから、急遽駆けつけてきたよ」
「あぁ、助か――」
「めちゃくちゃ面白いから見物にさせてね」
「本当に、このチームにはロクなやつがいないな」
「中でも良心がある四人を飛ばしたのは、クラウスさんでしょ」
「…………」
正論だった。
サラやグレーテだったら、きっと親身になってくれたに違いない。なぜ、どうしようもないメンバーを残してしまったのか。過去の自分を恨む。
ベッドでは、アネットが「俺様、限界ですっ」と声をあげている。
ティアが「そろそろね」と楽しそうに腕を組み、モニカが「愉快愉快。クラウスさんに一矢報いちまえ」とはやし立てた。
クラウスがシーツの交換を決断した時――
「アネット! またエルナのおやつを勝手に食べたのっ!」
エルナが現れた。
つまらなそうにモニカが「オチ担当だ」と睨む。
クラウスが止める間もない。
彼女は「今日こそは許さないのっ」と大股でアネットに詰め寄っていった。
「サラお姉ちゃんがいないからって、好き勝手しすぎなのっ! せんせいの部屋に逃げて、柵を築いても無駄なの。さぁ決着をつけ――っのおおぉ! 突然ワイヤーが絡まったのっ!」
アネットが仕掛けた罠が作動して、次々とエルナに襲い掛かる。全ての罠を起動させたらしく、エルナはぼこぼこにされて、最終的に床に転がり「……不幸」と呻いた。
罠が盛大に作動したことによって、バリケードに綻びができていた。
「俺様、これでおトイレに行けますっ」とアネットはベッドを抜け出した。
部屋に残されたのは、横たわるエルナ、唖然とするティアとモニカ、そしてクラウス。
「……人選を偏らせすぎたな」
クラウスが呟いた。
「リリィたちと合流できるまで、もう少し辛抱しよう」
その言葉に異論を唱える者はいなかった。
※本作は『スパイ教室03 《忘我》のアネット』とらのあな特典SSを修正したものです。
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