最強


 クラウスが厨房に通りがかった時、モニカがにこやかに微笑んできた。


「あっ、先生。いいタイミングだね。嬉しいな」

「……………………………………………………」

「まるで運命だよ。ふふ、なんだかボクも照れちゃうな」


 恋をする乙女が相手と再会できたような笑みだ。

 何も知らぬ者が見たら、それだけで胸をときめかせる者もいるだろう。


「……なんだ?」


 しかし、何も知らぬ者ではないクラウスは眉を顰めた。

 普段のモニカはもっと偉そうに、口角を軽く曲げるようないやらしい笑みを見せる。少なくとも『嬉しいな』などと戯れ言はほざかない。


「ん? そんな嫌そうにどうしたのさ。ボク、傷ついちゃうな」

「嫌な予感しかしないな」

「別に? 料理当番中なんだけど、体調が優れなくてね。代わりに相方の味見をしてほしいだけだよ」


 いつになく親し気に話しかけてくる。

 邪険に払うのは忍びない。


「味見を代わるくらいならば問題ないが……お前の相方は、誰なんだ?」

「俺様ですっ!」

「――用事を思い出した」

「おぉっと! 逃げ出さないよっ!」


 アネットの返事が聞こえた瞬間。クラウスはすぐに逃走を図る。が、一歩早くモニカに肩を掴まれた。絶対に逃がさない、という気迫を感じる。


「あのクソガキ、ボクが目を離した隙に料理を魔改造しやがってさぁ。手に負えないんだよ。先生、なんとかしてよ!」


 普段通りの口調に戻って、クラウスの肩に力を込めてくる。

 しかし、クラウスだって命は惜しい。アネットが好き勝手に具材を入れたとしたら、人の食える物である可能性の方が低い。


「お前は日頃、僕を『クラウスさん』と呼ぶだろう? こんな時だけ、先生と呼ぶな」

「そう? たまには先生らしいところを見せてほしくてね」


 だが、モニカも一向に引く様子はない。これ以上のアネットの面倒を見切れないようだ。

 どちらも引けない。ならば、残された手段は一つだった。

 クラウスはモニカを正面から見据えた。


「……モニカ。現状、メンバーでもっとも秀でた少女はお前だろう?」

「ん、当然」

「そして、メンバーでもっとも秀でた男は僕だ」

「男は一人しかいないからね」

「どうだ? 『灯』の最強決定戦といこうじゃないか?」


 両者が譲れないなら、仕方あるまい――決闘だ。

 日頃の訓練では、モニカは本気を出していないように感じられる。ここぞという時に全力を発揮し、クラウスを打破するためだろう。

 お互いの全力をぶつけ合う、いい機会だった。


「――上等」


 モニカが好戦的な笑みをみせる。

 先ほどの爽やかな笑顔とは一転した、強かなスパイの笑み。やはり後者の方が、彼女にはよく似合っている。

『燎火』のクラウス、そして、『氷刃』のモニカ。

 凡人を遥かに凌駕する才能を有する二人が、ぶつかり合おうとしていた。

 二人が動き始めようとした時――。


「俺様、二人に食べてほしいですっ!」


 アネットの幸せそうな声が、勝負をぶっ壊した。


「味見は多い方がいいですからねっ」

「「………………………………」」


 正論を告げられ、二人は両手で顔を覆った。

 絶望しかない。

 二人の前に、得体の知れない料理――というより、どす黒いスープに浸かる肉片としか表現できない何か――が突きつけられた。

 アネットに悪意はない。あるのは、料理を食べた時、どんな表情をしてくれるのだろうという純粋な好奇心だ。

 二人に逃げ場はなかった。


「「………………………………」」


 覚悟を決めて、二人は同時にスプーンを握り、その肉片を口に運ぶ。


「「――――」」


 後のことは二人の記憶にない。

 ゆえに、二人の最強が、灰桃髪の悪魔に屈した事実は『灯』の誰にも認知されず、歴史に刻まれることはなかった。



※本作は『スパイ教室03《忘我》のアネット』ゲーマーズ特典SSを修正したものです。

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