恋心


 リリィが廊下を歩いていると、厨房の前に一人の少女が立っているのが見えた。なぜか中に入ろうとせず、その手前でじーっと室内に目を凝らしている。


 エルナだった。

 柱の陰に身を潜め、頭だけを伸ばして不機嫌そうに唇を曲げている。


「何しているんです?」リリィが尋ねた。「エルナちゃんもつまみ食いですか?」


「リリィお姉ちゃん、いいところにきたの」

「ん?」

「リリィお姉ちゃんはどう思うの? 最近のアイツについて」


 エルナが『アイツ』と呼ぶ人物は一人しかいない。

 リリィも首を伸ばすと、厨房にいる二人の人物が見えた。

 クラウスがフライパンを握って、肉を焼いている。いくつものスパイスをふりかけ、豊かな香りを厨房に生み出している。

 その背中には、アネットが飛び乗り、首にぶら下がっていた。


「俺様、新しい発明品が出来たんですっ。兄貴、早く俺様の部屋に来てくださいっ!」

「アネット、悪いが料理中なんだ。背中に飛び掛かるのは危険だぞ」

「お断りですっ」

「ワガママなやつだな。味見をさせてやるから待ってくれ」

「俺様、そのステーキ一切れで勘弁してやりますっ」


 仲の良い兄妹のように、じゃれついていた。

 傍から見る分には、微笑ましい限りではあるが――。


「うぅ、せんせいを独占しすぎなの。一体アイツは何の狙いがあって、せんせいに近づいているの……」


 エルナとしては看過できないらしい。

 おそらく嫉妬の類いなので、リリィとしては本来どうでもいい問題であったが――。


「由々しき問題ですね」とリリィも息を呑んだ。「わたしが狙っていた肉が奪われました」

「そっちではないの!」とエルナ。


「ぜひとも協力しますよ」


 リリィがエルナの肩を叩いた。


「解明しましょう。アネットちゃんが先生に向ける感情について」 




 アネットの専門家と言えば、一人しかいない。保護者ことサラである。

 早速彼女の部屋を訪ねて説明したところ、彼女はキョトンとした表情を浮かべた。


「ただ甘えているだけと思うっすよ? アネット先輩はボスのこと大好きっすから」

「そんなはずがないの!」


 そう声を張り上げるのはエルナ。


「アイツは胸に野望を秘めているに違いないの。このままだと、せんせいが危ないの。きっとアイツは油断させたところを、ドカンと爆発させるに違いないの……‼」

「だとしても、それが自分たちの訓練のような……」


 実に正論ではあるが、エルナは頬をぷりぷりと膨らませ、納得する様子を見せない。

「確かめる方法はないんですかね?」リリィが助け舟を出した。「実際のところ、アネットちゃんが先生をどう想っているのか、謎ではありますしね」


「それもそうっすね……」サラは少し逡巡したところで頷いた。「了解っす。じゃあ、アネットちゃんの本心を聞き出す協力をするっすよ」


 そうサラは微笑むと、カバンから瓶詰めのスイーツを取り出した。

「まずは牛乳プリンを用意して」サラはそう呟き、廊下に移動して声を張り上げた。


「アネット先輩、おやつの時間っすよぉ!」

「俺様、この時間を楽しみにしていましたっ」


 廊下の奥から駆けつけてくるアネット。


「「はやっ」」と驚愕するリリィとエルナの前で、サラは毅然とした態度で「ストップっす!」とアネットに声をかける。


「牛乳プリンの前に、いくつか質問に答えてください。それが条件っす」

「俺様、なんでも答えますっ」

「アネットちゃんは、クラウス先生のことをどう思っていますか?」

「俺様、大好きですっ」


「どのくらいっすか?」

「牛乳より少し上くらいですっ」


「どんなところが好きですか?」

「俺様のどんな発明品でも、死なないところですっ」


「もし先生が誰かと結婚したら、どんな気持ちになるっすか?」

「兄貴が誰と結婚しようと、兄貴は俺様のものですっ」


「了解っす。じゃあ、牛乳プリンをどうぞ」

「俺様、さっそくいただきますっ!」


 瞬く間に情報を聞き終えたサラはリリィたちに振り返る。


「と、こんな感じでどうでしょう?」

「いや、こんな感じと言われましても……」


 リリィは今のやり取りを分析する。

 どうやらアネットが、クラウスに抱いている感情は恋愛や執着、打算ではなく、単純な好意らしい。普段感情が読めない彼女にしては割と真っ当だ。


「そ、それならいいの」エルナもしぶしぶ納得しているらしい。「ただ、せんせいを独占しすぎるのはやっぱり気に食わないの。それはエルナも苦言を呈す――」


「俺様っ」そこで口元に牛乳プリンをつけたアネットが手をあげた。「さっきぶつけられた質問、エルナちゃんにもしてほしいですっ」


「の⁉」エルナが目を丸くする。


「エルナちゃんは、兄貴のこと、どう思っているんですか? どれくらい好きで、どんなところが好きですか? 兄貴がもし俺様と結婚したら、どんな気持ちになりますかっ?」

「のっ、のぉ……」


 見る見るうちにエルナの顔が赤くなっていく。

 やがて「お前に教える義理なんかないのぉ!」と叫んで、部屋から出ていった。そんな彼女をアネットが「俺様に尋ねといて、そんな言葉は通じませんっ」と追いかけていく。

 その二人の背中をサラはニコニコと眺めていた。


「今日も可愛いっすね。エルナ先輩とアネット先輩」

「……………………」


 しばらく呆然としたのちにリリィが呟く。


「ホント独特の雰囲気ですよね、特殊班って……」


 そんな感想しか出てこなかった。



※本作は『スパイ教室 短編集01 花嫁ロワイヤル』ゲーマーズ特典SSを修正したものです。

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