第92話 End Like This
大穴が開いたその瞬間、それはブラックホールの如く地球にあるあらゆる物体を吸い込み始めた。
まず吸い込まれたのはドイツから日本に向かっていたある旅客機であった。旅客機は抵抗する間もなく大穴に吸い込まれて消えた。
旅客機の中には当然乗客乗員がいる。何が起こっているのか分かっていない一般人だ。しかし不思議なことに、旅客機が穴の中へ突入したその瞬間、旅客機の中にいた者たちは全員光と共に何処かへ消えてしまった。
ビル群の窓ガラスを引き剥がされ、連鎖的に骨組みや中にいた人間たちも上から順に吸い上げられていく。街路樹や自動車も吹けば飛ぶ綿の様に吸い上げられ、アスファルトすらも引力によって剥がされていた。
地上にいた人間も同様で、皆突然ふわりと浮き上がったかと思えば、次の瞬間には凄まじい勢いで大穴へ引き寄せられていった。
その中には夜鷹佳奈英も勿論いる。彼女は抵抗しようと必死に地面へ手を伸ばしたが、呆気なく吸い寄せられた。
その身体が大穴と接触した瞬間、彼女もまた光と共に消えてしまった。
────そして大穴に吸い込まれたものは穴の向こう側、ジャスティティアに到達する。
♢
エンジンから火を噴く旅客機がレグルス区ホド教会に落下する。それは屋根を突き破った。
「「────!」」
異常事態にいち早く勘づいたのは教会の二階でオリガの母の治療に当たっていたエミーリアとフラムトの二人であった。それは一種の生存本能、経験とか学習とかでは説明が付かない危機察知能力によるものだろう。
その二人の中で猪の一番に動いたのはフラムト。霊臓を発動し、燐光を放ちながら毛むくじゃらの黒い狼男に変身した彼はの体は二倍にも三倍にも巨大化していた。
やがて旅客機の鼻先が教会の屋根を突き破ったとき、フラムトは木の床を蹴り砕く勢いで跳躍し、機体の中腹部分を全力で殴打した。
猛々しい獣性に満ちたその一撃は機体を深いくの字型にへしゃげさせ、落下の軌道が大きく横に逸れる。
これにより僅かな猶予が生じる。その猶予を見逃さなかったエミーリアの鉄糸が、旅客機を輪切りにしてみせた。
二人は短い時間の間で出来る最善手を選択した。屋根を突き破った旅客機がそのまま地面に激突すれば、その衝撃で大爆発が起こり、中にいる者は残らず即死していただろう。故に二人の行動は間違いなく最善手であったと言える。
二人の攻撃によって勢いを殺され、束の間の浮力を獲得した旅客機。機体はフラムトによって大きくへしゃげており、加えてエミーリアの鉄糸によって切断もされている。
だが、まだエンジンの火は生きている。
そして切断された主翼の中には燃料タンクがある。
故に、中にあった大量の燃料は勢いよく漏れ出した。
漏れ出した燃料はへしゃげた機体を濡らし、そして炎上するエンジンにも降りかかる。
「まさか────」
それを間近で目撃したフラムトは次に起こる最悪の事態を理解したが、遅かった。
エンジンの炎が燃料に引火したその瞬間、大爆発が起こった。
爆風によって凄まじい速度でとびった旅客機の破片が降り注ぐ。それは最早巨大な手榴弾と言っても差し支えないだろう。爆発四散してもなお人より大きな鉄片が無数もある。
「「────危ない!!」」
火を纏う鉄の豪雨が迫る一瞬、茫然として固まっていたオリガの体をホープスたちが突き飛ばした。簡単に突き飛ばされたオリガの体は僅かに開いていた扉を押し退け、礼拝室から二階へ続く階段のある廊下の中へ移動する。
「えっ……」
その間、彼女の世界はずっとスローモーションだった。何が起きているのか理解できず、誰かに突き飛ばされた自分の体が礼拝室から廊下へと移動していくことだけが視覚情報で読み取れる。
未だスローモーションな世界、突き飛ばされた体が地面に転がる寸前、オリガは反射的に扉の方へ振り向く。
扉の向こう側、オリガは礼拝室のホープスたちと目が合った。
「────ぁ」
オリガは全てを理解した。
今何が起こったのか。ホープスたちが何をしたのか。なぜ自分が突き飛ばされのか。
そして次の瞬間に何が起こるのか。
「────」
扉の向こう側に閃光が迸る。見えないほどに眩しい光がホープスたちの姿を呑み込み、轟音が彼女の声をかき消した。
直後、礼拝室から廊下へ吹き荒れた灼熱と衝撃がオリガの意識をかき消した。
♢
教会へ墜落した旅客機を見た騎士たちは言葉を失う。
「オイ、待て……何でこんなことになってやがる……?」
アレキサンダーの茫然自失が静まり返った王国に溶ける。
「そこには……エミーリアが……」
言葉は喉でつっかえ、頭の中で最悪のシナリオが勝手に作成されていく。
アレキサンダーの息が震えたそのとき、大穴から大量の地球の残骸が飛び出してきた。
自動車、信号機、ビルの残骸や何か文字が書かれた巨大看板、千切れたビルの連絡通路など、数え切れないほどである。
「まだ終わりじゃないのか……?」
さしものモーリッツも茫然と立ち尽くすしかなかった。
「霊魔はもう全部倒したのに……!」
空に広がる絶望にエルドが声を震わせた。
しかし数瞬前、今と殆ど同じような状況をアルベドが一人でひっくり返していたことを思い出す。
「アルベドさん! あの雪の鉄拳なら────」
藁にも縋る思いだった。
「無理だ」
その思いは少し震えたアルベドの声に拒否される。
「何で!!」
たまらず声を荒げるエルド。
「雪がもう残ってねぇ……ッ」
アルベドの無念を感じ取ったエルドは声を失った。
その間にも、絶望は落ちてきている。
「────諦めちゃだめ!!!」
そのとき、凛として力強い響きを持った声が折れかけた騎士たちの心を支えた。
「まだ終わってない!!」
叫んだのはリルカだった。
「まだ終わったわけじゃない!!」
彼女は駆けだした。疾風のごとく、空を裂きながら。
一人でも多くの人間を守るために。
「絶対に終わらせたりなんかしない─────!!」
その叫びは勇気の旋風となって伝播する。
魂を揺さぶられた騎士たちははじき出されたように駆け出した。
剣を振るい、霊臓を使い、銃を撃ち、霊力を飛ばし、皆が持ちうる全てを駆使して、降り注ぐ絶望に立ち向かう。
「シルバー・ガーディアン!!」
リルカは己の障壁を落下物に思いきりぶつけることで粉砕することを試みた。
一つ壊したらまた次の一つを。一つ壊したらまた次を。
彼女が十を粉砕した。
残るのはあと百か、千か、万か。
果てしないことに変わりはない。
そしてもうすぐそこまで迫ってきている。
どれだけ全力を出しても、あと四を粉砕するのが限界だった。
「諦めない!!」
心を奮い立たせ、障壁をまた展開する。
しかし障壁は突然砕け散った。
「え────」
言い切る前に足から力が抜け、リルカはその場に倒れ込んだ。
(霊臓が突然……体に力が入らない…………!!)
思考を加速させる。
答えは案外早く見つかった。
(────霊力切れ)
リルカの保有霊力量は常人よりも優れているが、度重なる連戦の消耗は確かにあった。
そして常人よりも霊力を持っているからこそ今まで霊力切れを起こしたことが無かった。
「こんなときに…………!!」
納得と同時に青ざめる絶望がリルカを支配した。
立ち上がろうとしても、足が動かない。
拳を力ませることが精々だった。
(霊力が切れただけなのに…………!!!)
それでも身体は動かない。
(まだ、死ねない………)
彼女は歯を食い縛る。
(こんなところで死にたくない!)
動かない身体をもう一度動かそうとする。
震えながらも腕で少しだけ身体を持ち上げることに成功したが、すぐに崩れ落ちる。
次もまた同じ失敗。次も、次も、その次も。失敗する。
動けない彼女の背中に赤い消防車がすぐそこまで迫っていた。
『リル、お前は俺の自慢の娘だ』
走馬灯、随分前にいなくなった父の声が彼女の中に蘇った。
『俺と違ってお前は優秀だからな。騎士になれば俺なんかすぐに超えるだろう』
幼いころの記憶故、もう顔は殆ど覚えていない。浮かび上がった父の顔には白い靄がかかってしまっている。
それでも、その優しい声だけは忘れたことはなかった。
そのときと全く同じ声色、抑揚を鮮明に記憶していた。
『だからこの楯はお前に託す。俺の分まで、この国を守ってくれ……!』
そしてこの会話を最後にして、彼女の父親は姿を消した。それ以来一度も帰ってくることはなかった。
そしてこれからも、帰ってくることはないだろう。
リルカは確信している。
(お父さんと約束したんだ……!)
それでも、リルカは諦めなかった。
(お父さんの分まで、私が!!)
彼女の胸の奥で何か熱いものが湧き上がった。
それは次第に大きくなり、やがて炎が燃え広がるように彼女の全身を満たしていく。
満たしてもなお、熱い炎は収まらない。
燃え盛り、滾り、彼女の魂を震えさす。
「私が守るんだ────────────!!!」
情動過負荷。湧き上がる勇気に反応した霊力が彼女の体を突き動かした。
その全身から淡く優しい燐光を放ちながら、彼女はついに立ち上がる。
「シルバー・ガーディアン!!」
銀色の障壁が展開された。その障壁は迫りくる消防車をいともたやすく受け止め、障壁に激突した消防車はその衝撃で爆発する。
燃え盛る勇気の炎が、彼女に立ちあがる力を与えた。
それは言いかえれば、彼女は勇気に救われたということになる。
最も、勇気が救ったのは彼女ただ一人。
そして落ちてきたのは消防車一台だけではないのだが。
「………ぁ」
劇的な生還を果たしたリルカは、周囲に広がる凄惨な光景を見て青ざめた。
あちこちから火の手があがっている。いつの間にか大穴が消滅した快晴の空、立ち上る黒煙が青を霞ませる。
王国中に降り注いだ残骸の雨は人が暮らす家を破壊し、広場を破壊し、店や道路を破壊した。
破壊された建造物の中には多くの一般人が逃げ込んでいた避難所もある。
自分のことで手一杯になるあまり、リルカは気付いていなかった。
自分が自分を守る間、守るべき幾千の命が犠牲になったということを。
「そんな…………」
彼女は膝から崩れ落ちた。
その背中を見下ろすのはテミスの神像。
国の中心にそびえ立つその神像に、一切の傷は見当たらなかった。
────あとがき────
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