第93話 黒い刃

 霊魔の襲撃は終わり、あとに残ったのは無惨な姿を晒す王国の街並みだけだった。それは騎士団の心に限りの無い無念を与え、騎士たちは皆暗い沈黙の傀儡になっていた。


 霊魔の襲撃で犠牲になった人間は殉職した騎士を除けばゼロだ。だが、地球と接続した大穴から降って来た瓦礫による犠牲者は数え切れぬほどであった。


 騎士たちは戦いが終わってからすぐに救助活動を始めた。傷心を押し殺し、今助ければ救える命を一つでも多く助けるべく、あるいはこの残酷な現実から目を背けるために、ひたすら国中を走り回った。


 そのおかげで助かった者は多く、皆騎士たちに心からの感謝を告げていくが、その感謝が騎士たちの心を救うことはなく、ただただ重たい嘆きが積み上がっていくばかりだった。


 救助活動の最中で見つかった遺体はいずれも圧死だったり焼死だったり、原型を留めているものはほとんどない。比較的綺麗な状態で残っているものですら体のどこかが千切れていて見当たらない、なんてことがよく起こっていた。


 運搬が可能な遺体は見つかった遺体の三分の一にも満たなかったが、そういった遺体は奇跡的に生き残った国立病院の中庭に運ばれた。その中には下半身が無いホープスと顔の右半分が潰れたドレアムの遺体もあるが、オリガの姿はどこにもない。


 やがて日が暮れ始め、騎士たちの疲弊が肉体的にも精神的にも限界に達した頃。当然のように徹夜で救助活動を行おうとしていた騎士たちを止めたのは王国軍だった。少々の話し合いの後、夜の救助活動は王国軍が行うことになり、騎士たちはようやくの休息を取った。


「────さっきアレクさんから連絡があったよ。エミーリアさんとギドさん、生きてたって」


 場所は変わって夜更けのフェンリル騎士街。騎士団本部前の噴水広場のベンチに腰掛けていたリルカに話しかけたのはエルドだ。リルカは反応を示さず、項垂れたまま。その悲痛な姿に胸を痛めたエルドは息を少し吐いて、リルカの隣に腰掛けた。


「私、私…………」


 嗚咽交じりにリルカが呟いた。


「最低だ」


 声を詰まらせながら泣き始めたリルカの姿にエルドは目を伏せた。


「皆を守るっていったくせに……自分だけ……!!」


 空には雲がかかっているのか、星はどこにも見当たらない。寿命が付きそうなのか点滅を繰り返す街路灯の光だけが二人を照らしている。


「私が死ねば良かったのに!!」


 涙を拭おうとする両手が顔を隠していたので表情は分からない。いや、分かる必要はないだろう。


 その言葉と、嘆きの響きがすべてだ。


「違う」

「どこが!!」

「違うったら違う!!!」


 エルドの強い否定にリルカは一瞬だけ泣き止んで、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を少し上げた。


「それだけは絶対に違う!! 君が死ねばいいなんて、そんなはずないだろ!!! いいや君だけじゃない、代わりに死んでいい人なんて……そんなの絶対にいるもんか!!」


 エルドの震えを帯びた叫び声がリルカを叩く。それにリルカは、また目を潤ませた。


「それに、これは君だけが背負う責任じゃない」


 続くエルドの声は、一変して沈んだ響きを含んでいた。


   ────アツいアツいアツいアツい!!


 彼の頭の奥で目無し狼の引き起こした竜巻に巻き込まれた民間人の断末魔がフラッシュバックする。


「最低なのは、僕もだから……」


 エルドは声を震わせながら俯いた。


 目に堪えていた雫が限界を超えて頬を伝ったと同時、リルカはエルドを抱きしめた。


 それからしばらくの間、二人は静かに涙を流し続けた。慰めの言葉をかけあうでもなく、言い訳を見つけて自分を正当化することもせず、ひたすら涙を流した。


「……」


 そんな二人の様子を、アレキサンダーは物陰から見守っていた。



 翌朝、13月31日。起きてすぐ救助活動を始めようとしたエルドとリルカは、破壊されたはずの街並みが完璧に修復されていることに困惑した。


「なんで街が元通りに……一体何があったんだ…………?」

 

 王国の中心部、テミスの神像が立つ大広場にエルドの当惑が零れ落ちる。どこもかしこも全部直っていて、昨日の惨劇がまるで無かったかと錯覚しそうになるほどであった。


 ────昨日の惨劇は全て夢だったのではないか?

 

 エルドの心の中に小さな幻想が湧いた。しかし道行く人間は暗く、広場の端には王国軍が積み上げた思われる自動車や巨大看板などの瓦礫の山があって、他にもあちこちに散見される手がかりがエルドに現実を直視させた。


「私達が寝てる間に全部建て直したっていうの……?」


 依然として困惑から抜け出せないリルカの呟きが広場に漏れ出す。


 その呟きに答えたのは二人の後ろから近付いてきたアレキサンダーであった。


「多分王国軍の霊装だな」


 すぐに振り返った二人は、アレキサンダーの咥え煙草に目が行った。


「アレクさん、知ってるんですか?」

「あぁ。さっき妙な霊力が籠った置時計を持った兵士を見かけてな。詳しくは知らんが、物体の時間を巻き戻す能力でもあると考えるのが自然だろうよ」


 煙を吐き出しながらリルカの問いに答えたアレキサンダーの顔はどこか気力に欠けている。少なくとも二人の眼にはそう見えていた。


「そのまま昨日のことも全部無かったことになればいいのにな」


 二人が聞き取ったアレキサンダーの抑揚のない声はやけにはっきりとしていた。


「……煙草、ついに手を出したんですね」


 空気を変えようとして、エルドが話題転換を試みた。


「大目に見ろよ。こうでもしなきゃやってらんねーんだ」


 アレキサンダーが大きく息を吐く。その煙が二人に掛からないよう、上を向いていた。


「…………」

 

 上を向いたアレキサンダーは、黒雲に覆われた空を見つめた。


「やけに重たい雲だな。今日は雨が────」


 不意に気配を感じたアレキサンダーは言葉を止めた。


 何かと思って気配のした方向へ目を向けると、そこには一人の子どもが立っていた。


「子ども……?」


 アレキサンダーは思わず首を傾げる。アレキサンダーの言葉につられた二人も同じ方向を見ると、そこには確かに子供がいた。


 赤い髪の少女だ。身に纏う服は煤けている上にかなりボロボロで、靴も靴下も履いていない。火事にでも巻き込まれたような服装だ。俯いているので顔は見えない。


 そしてただ一人、リルカだけはその少女を知っていた。


「オリガちゃん!!」


 リルカは一目散に駆けだした。事情を知らぬエルドとアレキサンダーはいきなり走り出したリルカに困惑する。


(なんだ、この嫌な感じは?)

 

 だが、アレキサンダーの困惑は少し違った。


(なんで子供が一人でほっつき歩いてんだ? しかもこんな朝早くに、親は一体どうした?)


 アレキサンダーが思考する間もリルカとオリガの距離は縮んで行く。エルドもゆっくりとだがリルカを追いかけ始めた。


「オリガちゃん!!!」


 オリガの元にたどり着いたリルカは、オリガの身体に目立った怪我がないことを確かめると、感極まったのか膝立ちになって彼女の身体を抱きしめた。


「良かった……!!」


 安堵と喜びの混ざった声だった。


「……き」


 依然として俯いたままのオリガが何かを呟いたそのとき、三人は気が付いた。


 どす黒い霊力がオリガから噴き出していることに。


「待てリルカ!!! ソイツから離れろ!!!」


 青ざめたアレキサンダーが叫ぶ。

 

 しかし、遅かった。



 オリガが呟いたその瞬間、黒い刃がリルカを貫いた。


「皆を守るっていったくせに」


 頭の中で母やホープスたちの顔を思い出しながら、オリガは低く唸るような声を発した。


 貫かれたリルカの胸から夥しい出血が起こり、その血は刃を伝ってオリガの手を濡らしていく。


「嘘つき……!!」


 やがて両手が血まみれになったとき、顔を上げたオリガの眼には、霊魔のような怨嗟が宿っていた。

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