第89話 不公平を知る子供
「────二人のパパとママはこの中にいるの?」
雑談に花を咲かせているうちに少々打ち解けたホープス・ドレアムに対し────双子が13歳と自分と同年であることが判明したのがキッカケとなったらしい────オリガは何気なく尋ねてみた。その真紅の瞳は一心に祈りを捧げている大人たちを見ており、きょろきょろと双子たちと顔が似ているものがいないか探しているようだ。
「いない」
「俺たち捨て子ー! この近くにある孤児院で育ったんだー!」
何でもないように言い切った二人にオリガは瞠目し、すぐにやってしまったと口元に手を当てる。
「そういうのいいから」
「いいから! いいから!」
そう言ったオリガの反応にホープスはうざったい様子で首を振り、ドレアムは茶化すように復唱する。そんな返答が予想外でオリガはまた少し狼狽えたが、そういうものなのかと理解したのか、すぐに順応したようだった。
「お前の親は? こん中にいるの?」
今度はオリガが聞かれる番だった。
「いないよ。今お母さんは上でお医者さんと騎士様の治療を受けてるから。元々、お母さん身体が弱くてさ、ここに逃げてくるだけでも精一杯で倒れちゃって。良くなるといいんだけど……」
オリガは素直に答えた。
「じゃあお父さんはー?」
間延びするような声でオリガに尋ねたのはドレアムだ。
その瞬間、オリガの眼の奥である光景が蘇った。
♢
小さな部屋に木霊する母のすすり泣く声。夜の闇に塗りつぶされた窓は大きく開き、冷たい風がカーテンと蝋燭の火を揺らした。
蝋燭の灯りしかない暗くて小さな寒い部屋だ。地面にへたり込む母は髪が乱れており、涙が伝うその右頬には痛ましい痣がある。すぐそばに男が一人倒れている。周囲に割れた酒瓶の破片が散らばっている。
男は段々大きくなっていく血の池に顔を沈めていた。男が身に着けている白い衣服が見る見るうちに真っ赤に染まっていくが、男はピクリとも動く気配は無い。
そして己の手には真っ黒なナイフがある。それは血で濡れている。震える両手はそのナイフを握りしめていた。
しかし黒い刃先から血が一滴落ちたとき、オリガの手が緩んで、握っていたナイフが落ちた。カランと音が響くと、黒いナイフはまるで気化したように消滅した。
ナイフを失くした両手が震えを増す。
恐る恐る、オリガは震える両手の平を開いてみると、くまなく血でベットリしていた。それを見た瞬間から鼓動は加速し、耳の奥でうるさく響く。震える息は白く霞む。しかし身体が震えるのは、寒さのせいではない。
やがて彼女の視界が暗転する。
遠のく意識の中、震えている己の息と、母のすすり泣く声だけが響き続けて─────…………。
♢
オリガの眼が一瞬だけ恐ろしく無機質な鋭さを帯びる。
「さぁ……どこか違う場所に避難しているんじゃない?」
「…………そうなのかー」
ドレアムはすぐにオリガの嘘を見抜いた。が、知らないふりをした。
「ところでさ、さっきホープス君変なこといってたよね?」
「え、変なこと?」
「お前もそうなのか? って、あれどういう意味?」
オリガは話題の変更を試みた。
「それはだなー、オリガもこいつらが気持ち悪く見えるかー? って聞いたんだー」
オリガの意図を察したドレアムがこれに乗っかり、ホープスを誘導する。その言葉はホープスがオリガに問いかけたものだが、ドレアムの言葉でもあるらしく、言いながら彼の瞳は祈りを捧げる大人たちを蔑むように見下していた。
聞こえないように小さな声ではあったが、近くにいる人間はもしや気づくのではないか? と、中々にハラハラする声量だったのでオリガは狼狽える。
「ちょ! 声デカい! 聞こえたらどうするのよ!」
「はっ! ンなコト構うもんか。気持ち悪いものを気持ち悪いって言って何が悪い」
ホープスが鼻を鳴らしながら言う。
「気持ち悪いって……確かに変だなとは思うけど、そこまで言うこともないでしょ?」
「いいや気持ち悪いなー。昨日まで一回も神に祈りを捧げたことが無い奴らが我が身惜しさにいきなり祈り出してさー、都合がいいときだけ「あぁ主よ! 私は最初からあなた様のことを信じていましたとも!」みたいな面して助かろうとするなんてさー」
「そんなの厚かましいにも程があるって、お前も思わないか?」
食い気味に投げつけられた否定にオリガは言葉を詰まらせる。
「何で、そこまで……?」
オリガは怯えを滲ませた声で聞いた。
(どうする兄貴、教える?)
オリガに聞こえないよう小さな声で、ドレアムはホープスの指示を仰ぐ。
(まぁ、いいだろ。こいつは大丈夫そうだ)
ホープスからゴーサインが出される。
(いつもの演技もしなくていいんじゃないか? 別に大人じゃないんだしさ)
(まだ出会って数時間だぞ? 大人じゃなくても、人は信用できない)
その後のホープスの提案をドレアムは却下する。ホープスが納得したように頷いたのを確認してから、ドレアムはくるりとオリガに向き直ると、陽気な声でこういった。
「実は俺達、この教会の神父様に拾われたんだなー」
「そうなの?」
「そうだぞー。俺達が暮らしてる孤児院、というかこの区域にある孤児院は全部神父様が自腹切って運営してるところでさー。皆から慕われてるし、俺達も勿論本当のお父さんとして慕ってたんだー」
オリガは意外だった。育ての親が神嫌いだったから二人も神嫌いになったというものが彼女が組み上げた方程式だったが、まさか神父に育てられたとは思いもよらなかった。
しかしここでオリガに疑問が一つ生じる。
「神父って、神様に祈りを捧げてる人のことでしょ? ここで祈ってる人たちと何が違うの?」
オリガは首を傾げて質問する。しかし言いかたが不味かったのか、二人はムッと顔をしかめた。
「神父様はな、本当に神様に祈ってたんだ。皆が笑って暮らせますようにって、毎日祈ってたんだ。ここにいる奴らが何も考えずにぼーっと生きてる間も、ずっと、独りぼっちで」
「自分のことは全部後回し、滅私奉公を体現したような優しすぎる人だったんだなー」
神父のことを語っている二人の顔はとても明るい。睨んでいるのか目付きが悪いのか分からないような鋭い眼光も柔らかく、少しキラキラ輝いている。二人が心の底から神父を慕っていることをオリガは理解した。
「でも神父様は……四日前に死んだんだー」
「えっ……?」
しかし突如告げられた衝撃的な事実にオリガは茫然とすることになった。
「そこの祭壇の前で腹を切って自殺したんだって。理由は分からないけど、それだけ追い詰められてたのは確かなんだ。…………でも俺達は、何も気付けなかった」
「…………」
間延びした口調が一瞬消え失せる。悲痛な顔で歯を食い縛るドレアムをオリガは黙って見ていた。
「だけど毎日祈られてた神様は知ってたはずなんだなー。だけど神様は神父様に手を差し伸べなかったんだー」
「あれだけ祈ってた神父様ですら神様は助けなかったんだ。こいつらが必死で祈ったところで神様が助けるわけない」
ホープスが祭壇に祀られた神像を睨みつける。
双子がなぜ祈る大人たちを毛嫌いしているのか、オリガは合点が言った。
「じゃあ、死んでほしいって思ってるの?」
オリガは二人の眼を見ながら問いかける。
「は!? そんな訳ないだろ?! 俺達そこまで言ってないだろ! 勝手なコト言うな!」
「勝手なコト言うなー。というか、そういうオリガが思ってたりするんじゃないのー?」
「違うわよ! 気になっただけだから!」
思わぬ誤解に直面したオリガは慌てて首を横に振る。尚も消えない疑いの眼差しにわざとらしい咳払いで応戦した。
「二人はさ、不公平だって感じてるんだよ」
「不公平?」
オリガの言葉にドレアムが首を傾げる?
「そう、不公平。神父様……えっと……二人にとって一番大切な人が救われなくて、名前も知らない赤の他人が救われるのは不公平だって。つまりそういうことでしょ?」
双子たちは肯定も否定もしなかった。
「二人の気持ちは、凄く分かる。だけどその神父様が祈ってたのは皆のためなんでしょ?」
双子たちは目を見張った。
「二人が他人の不幸を願っている姿を神父様が見たら、きっと悲しむよ」
双子たちはしばらく唖然としていた。
次第にホープスの眼が潤み始め、ドレアムは悔しそうに歯を食い縛った。
「意味分かんねぇよ……」
項垂れたホープスの声は嗚咽交じりだった。
「ンなこと言われたって意味分かんねぇよ。なら一体どうすりゃいいんだよ……!」
「……兄貴」
「悲しいのは俺達だって同じだ!」
声を抑えながら泣く兄の背中に、ドレアムはそっと手を置いた。
「同じなのに…………!!」
祈る大人たちは、静かに響くホープスの泣き声を無視した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます