第88話 偽りの預言

〈火は天から降り来て、群がる悪を焼き払う〉


 妖しく光を放ち始めた魔方陣から謎の声が響く。


〈我が眷属よ。一体何を躊躇っている?〉


 声には失望したような響きが含まれていた。


〈お前の目の前にあるのは悪魔の王国。正義を騙る邪神の国であるぞ〉


 騎士たちはさながら写真の如く、剣を振り抜いた瞬間の状態で空中で静止している。動く気配は無い。黒い巨人もそれは同様だ。


〈お前たちを苦しめるその炎は誰のせいだ? お前たちは一体誰に殺された? ─────だろう〉


 次の瞬間、黒い巨人の体表から漏れ出していた炎が再び動き始めた。


〈奴こその真の平和の敵。平和に仇名す悪魔だ。あの悪魔が貴様らに何をしたのか忘れたか?〉


 言葉を受けて何かを思い出したのか、炎の勢いが途端に強くなった。


〈そうだ、思い出せ。


 あの悪魔に植え付けられた圧倒的な恐怖、絶望。


 今なおお前たちを焼き焦がしている業火の熱を〉


 より激しさを増した怨嗟の炎が、停止しているはずの世界で揺らめく。


〈今こそ裁きを下すのだ。


 目の前にいるのは悪魔の仲間に他ならない。


 悪魔から受けたその灼熱で、悪魔の王国を焼き払え〉


 声は、猫撫で声で巨人をたぶらかす。


 が、急速に萎み始めた。


〈……なにをしている。まさか葛藤しているのか? 欠片残った良心が痛むとでも?〉


 炎は図星を突かれたようにピタリと止まる。


〈────ふざけるなよ〉


 強い怒気を孕んだ声だった。聞くだけで頭を抱えてうずくまりたくなるような、身の毛がよだつような恐ろしい声だった。


 魔方陣の光が一層禍々しさを増して黒い巨人を照らしている。


〈死して霊魔となるはずだった貴様らの魂に肉体を与えてやったのはこの我だぞ?


 貴様らの魂を保護するその黒い肉体、狭間に干渉する力。


 どれもこれも我が貴様に与えてやったものだ。


 全ては我が神として降臨するために、万物を支配するために〉


 怒気に委縮して炎はさらに縮み上がっていく。最早残り火にしか見えないほどにまで萎んでしまった。


〈もういい…………やはり巨人は忌々しいものだ〉


 声から唐突に怒気が消え失せたその瞬間、魔方陣から飛び出した小さな針のようなものが黒い巨人の眉間を貫いた。


〈没収する。貴様は我を侮辱した〉


 貫かれた眉間から生じた無数の亀裂は瞬く間に巨人の顔を埋め尽くす。首から肩、両腕・胴体へと、まるで強化ガラスひび割れるときの様な勢いで全身へ広がった。


〈貴様はこの裁神テラーの顔に泥を塗った。


 今一度その脆弱な魂を曝け出し、世を満たす我が力の前に滅びよ。


 魂の崩壊がもたらす苦痛、終わりのない絶望を唄え。


 そして人間を恐怖の苗床とするが良い〉


 声が命じたその瞬間、停止していた世界の時が動き始める。


 巨人の黒い肉体が砕け散り、凄まじい爆風が発生した。



 黒い巨人の超至近距離にいた騎士たちは、突然発生した爆風によって強制的に宙へ投げ出された。


「おわっ!!?」


 アレキサンダーやモーリッツを含め、巨人の上半身の辺りにいた騎士たちは空中で体勢を整えて上手く外壁の上に着地することに成功したが、腰や足元の付近にいた騎士たちは外壁に叩きつけられ、見るも無残な肉片と化す。


「切断されたコアが連鎖爆発を起こした、わけではなさそうですね」

「ンなこと言われなくても見りゃ分かるんだよ!!」


 勤めて冷静なモーリッツとは対極的にアレキサンダーは少々荒れていた。


 それは同胞の死に対する動揺。いつもの冷静な姿からは想像もできないようなその態度を見れば、彼の動揺が大きいことは容易に分かるだろう。


『イツマデェェェェェ!!!!!』


 天地を震わせるような悍ましい悲鳴が轟いたのはそのときだった。

 

 そして生き残った者たちが目撃したものは赤黒い炎で構成された巨人の姿だった。それはついさっき彼らが殲滅した炎の霊魔を彷彿とさせる。


 先の炎の霊魔たちと違う所があるとすれば、その巨人は炎ではなく、霊力によって炎に酷似した形に性質を捻じ曲げられた帝国兵の魂の集合体であることだろう。よく見れば炎には怨嗟に満ちた人の顔のような模様が浮かんでいる。


『アアアアァァァァ!!!』


 砕け散った黒い肉体が消滅していく最中、炎の巨人は外壁の上にいるアレキサンダーたちに向かって大きく口を開いた。


  ──ノイズフレイム!!


 奇しくも騎士たちの脳裏にスルトの顔が過る。今しがた巨人が取った行動の意味を、彼らは知っている。


「あ────」


 刹那に発射された熱線は、先ほど山羊頭の悪魔がリルカに向けて放ったソレとは比較にもならないほど大きかった。


 強烈な死の気配を受け取ったアレキサンダーの意識が再び超低速の世界へ引きずり込まれる。


(これ、無理────)


 ゆっくりと近づいてくる超高温。視界を埋め尽くす炎も相まって、まるで太陽が落下してきたようだとアレキサンダーは感じていた。


(どうしようもないやつだわ────)


 アレキサンダーが死を悟った次の瞬間、冷たい風が彼の肌を撫でた。


「シルバー・グローリー!」


 いきなり騎士たちの前に現れた銀色の障壁が熱線を受け止める。


 リルカの霊臓だ。

 

 テレジアが生成した巨大な血のソリの上に立つ彼女が騎士たちの背後にいた。


「間に合った!!! エルド!!!」


 リルカの背後から血のソリを飛び出したのはエルド。鞘に納めたまま剣を構え、眼前に立つ炎の巨人を睨む。


「切風!!!」


 居合一閃。


 放たれた風刃が巨人の首を切断した。


 しかし、断面から噴き出した炎が触手の如く切り飛ばされた首の断面と接着したことで傷は再生し、巨人は何事も無かったかのようにエルドを睨みつける。


 アレキサンダーは一連の流れを茫然と見つめるしかなかった。


「お主らぼーっとしとる場合か!! さっさと散らばれ!!!」

 

 そんなアレキサンダーの様子にテレジアは空から檄を飛ばす。アレキサンダー以外の騎士たちも我に返り、すぐに散らばって一撃全滅のリスクを潰した。


「よく聞け小童ども!! コイツは十万の帝国兵の魂が結合した霊魔じゃ!! 十万人分の霊力を宿しておる!!!」


 騎士団最古参の名に恥じぬそのリーダーシップが皆の動揺を取り除く。


「ここから先は二つに一つ!! 奴の霊力が尽きて消滅するのが先か、我々が全滅するのが先か!! 気を引き締めて掛かれよ!!!」


 血のソリから飛び降りたリルカが外壁の上に着地したことを確認した後、テレジアは遥か大空へ飛翔すると血の分身を二体生成した。


「────ヴラド・ギャラクシーコール!!!」


 総力戦が始まった。

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