第87話 介入

 王国軍の誘導により、オリガ達は国立病院から王国南西のレグルス区ホド教会に避難していた。最寄りの避難所であるフェンリル騎士街に避難しなかったのは黒い巨人が王国の北側にいることから戦闘に巻き込まれる可能性を考慮した結果である。


 また待機していた後方支援部隊の騎士たちもそれを理解しており、騎士街には最低限の人員だけ残してあとは各地の緊急時指定避難所に先回りして負傷者たちの治療に当たっていた。


「────あとは、このまましばらく眠っていればお母さんもすぐ元気になるわ」

「ホント!?」


 ホド教会で待機していたのはエミーリアだった。オリガの母親の病状を診察したエミーリアは微笑みながらオリガにそういうと、オリガはキラキラと目を輝かせた。その傍らにはギドの応急手当を行っているフラムトの姿もある。


「エミーリアさん。少し手を貸してくれ」

「はい先生」

「それから────」


 フラムトは一瞬だけオリガに目をやり、駆け寄ってきたエミーリアにまたすぐ目を戻して何かを耳打ちした。エミーリアは納得した様に頷き、オリガの傍に寄るとしゃがんでオリガの目線の高さに合わせた。


「オリガちゃん。私達、今からちょっと大事な作業に入るから少しの間だけ下で待てる?」

「大事な作業? 私も手伝うよ! 私も騎士様の役に立ちたい!」

「ウフフ、ありがとね。それじゃあ、この部屋に他の人が入ってこないよう、一階で見ていて欲しいな」

「分かった!」


 オリガは声を弾ませ、同じように弾むような足取りで階段を下りた。そのまま扉を開き、今は避難所として機能している広大な礼拝室へ出た。


「わ……」


 礼拝室の光景を見たオリガは狼狽えたような声を洩らす。


 礼拝室にはオリガ達同様逃げてきた者たちが数多くいるが、皆一様に地面に膝をついて、祭壇に祀られているテミスの神像に祈りを捧げていた。

  

 つい先日ここで自殺した人間がいたことは誰も知らない様子である。


「テミスよ……」


 誰が言ったか、一心に祈る者たちの言葉が礼拝室の静寂を破る。ここにいるのは、昨日まで神に祈る行為を一度もしたことが無いような者ばかりだが、人は自分の身に危機が迫ると神に縋りたくなるらしく、たった数時間の間に皆信心深い教徒になっている。

 

「……変なの」


 大人たちの異様な姿にオリガは誰にも聞こえないよう小さな声で呟く。


「お前もそう思うか?」

「わっ!?」


 突然隣から飛んできた声に驚いてオリガは肩を跳ねさせた。目を丸くしながら視線を向けると、そこには彼女と同年代と思わしき、顔がそっくりな二人の少年がいた。


「だ、誰? えっと、に、二階は今騎士様が大事な作業してるから、行っちゃダメだよ……?」


 オリガはちょっと怯えながらも、エミーリアから頼まれた任務を果たそうとする。


「違う。俺達はお前に用がある」


 くせ毛の少年がオリガを指差していった。


「へ? わ、私?」

「俺はホープス。こっちのツンツン頭はドレアムだ」

「よろ!」


 くせ毛の少年ホープスが名を名乗り、紹介されたツンツン頭の少年ドレアムが陽気に片手を挙げる。


「お前は?」

「お、……」


 オリガは、おっかなそうに名を名乗った。



「ライト・ザ・ライトニング」

 

 モーリッツの霊臓が発動し、バチバチと唸る雷光が彼の全身に迸る。


 その姿まさしく纏雷。


 雷は彼の全身を通して右手に握られた剣にも波及する。モーリッツは雷を纏ったその剣をグッと引き込み、構える。


 ビリヤード選手がキューを構えるようその形は、いつかの模擬戦でスルトを一撃で倒して見せた必殺の刺突────


雷霆らいてい


 一閃。


 雷速は刹那にモーリッツを黒い巨人の眼前まで運ぶ。一切の加減も無く放たれた刺突は黒い巨人の眉間に直撃した。


 ガキン! という音と共にその巨体は大きく仰け反る。


「なんて硬さだ……!!」


 しかし効果はない。刺突は確かに直撃したが、傷はなかった。黒い巨人の肉体は、戦闘機兵の残骸と帝国兵の死体が混ざっているが、その大部分は焦土と化したムスペル高原で形成されている。


 言うなれば人の形をした大地そのものである。たった一撃で黒い巨人の体勢を崩しかけたモーリッツの刺突も凄まじいが、有効打にはならない。


 致命的なほど威力が足りていない。


『オオォォォ!!!』


 巨人は煩わしそうに腕を振るい、モーリッツを払い落とそうとする。モーリッツは直前に飛び退いてこれを躱し、軽やかな身のこなしで外壁の上に着地した。


「この感じ、スルトと戦った時を思い出すな」


 痺れる右手の感覚が四年前の模擬戦を想起させる。


 その馬鹿げた筋密度ゆえに異常な硬度を持つスルトの肉体は、銃弾程度なら弾き返すほどである。模擬戦でソレを思い知っているモーリッツは、無意識のうちに目の前にいる黒い巨人にスルトの姿を重ねていた。


「モリー!!」


 彼の愛称を叫ぶ声が背後から迫ってくる。モーリッツは振り返らずそのまま巨人を見つめる。やがて彼を呼んだアレキサンダーがその背中に追い付き、またその後ろから数名の騎士がやって来た。


「あと残ってるのはコイツだけです」

「さっき雷霆かましてたな。どうだった?」

「ひびすらなし、相当骨が折れる相手ですよ」


 モーリッツの言葉を受け、アレキサンダーは険しい表情を浮かべながら黒い巨人を見上げた。


「個人的には、あの頭蓋骨が残していった魔方陣の方が気がかりなんですよね。嫌な予感がプンプンしてる」

「同感だ。あれからずっと警戒してるんだが…………何の音沙汰もねぇのが余計に怖いな」

 

 アレキサンダーの視線が横にズレ、大空に浮かぶ巨大な魔方陣に向く。黒雲に張り付けられているようなそれは禍々しい気配を放っており、僅かに赤く発光しながら、ただ静かに佇んでいる。


「考えても仕方ない。今はとりあえず巨人に集中しましょう。団長は今どこに?」

「スレイプニルが不審な行動をし始めたとかでニヴルヘイムに行ってる」


 モーリッツは特に驚いたような反応を見せなかった。予想していたのか、それとも取り立てて驚くべきことでもなかったのか、それはモーリッツにしか分からない。


『ウウウゥゥァ……!!!』


 黒い巨人が唸り声を発した。外壁上の騎士たちの戦闘スイッチが入り、皆何の合図も無しに一斉に駆け出す。


『アアアアアア!!!!!』


 咆哮と共に黒い巨人が腕を大きく振りかぶった。その手は開いており、弧を描く振りかぶりの軌道は縦ではなく横、地面と水平である。


「横薙ぎ来るぞッ!!!」


 黒い巨人の攻撃を予測したアレキサンダーが叫ぶ。一秒にも満たぬ刹那に振るわれた腕は予測通り、横の薙ぎ払い。アレキサンダーの叫びは掛け声として機能し、騎士たちは一斉に跳躍してこれを回避した。空を切った薙ぎ払いの余波で暴風が起こった。


 空ぶりにより黒い巨人が隙を晒す。絶好の機会だ、飛び上がった騎士たちは空を蹴って宙で散開。黒い巨人を取り囲む陣形を組み、各人は互い違いの方向へ旋回を始める。黒い巨人の視界を惑わす狙いだ。


『イツマデェェ!!!』


 黒い巨人が再び咆哮をあげた刹那、巨体のあちこちから戦闘機兵に搭載されていたであろう無数の重火器が所狭しと飛び出した。


「マジかッ……!!」


 剥き出しになった銃口にアレキサンダーは宙で苦虫を食い潰したような顔をした。


(超圧縮霊子砲!! 帝国の戦闘機兵に搭載されてる攻城兵器じゃねぇか!!!)


 集中力が極まり、アレキサンダーの世界が超低速に突入する。


(ならこのデカブツは………リルカが言ってた通りスルトに殺された奴らの…………!)

 

 モーリッツと合流する少し前。アレキサンダーは、リルカからの報告で、今回の霊魔たちがスルトに殺された帝国兵の魂によって発生した可能性を聞かされていた。


  ────皆が怯えずに暮らせる世界にしたいです!


(なぁスルト、これがお前の正義なのか?)


 大罪を犯した教え子の顔が浮かび上がる。今まで信じ切れていなかった現実が突如として叩きつけられ、剣を握る手が緩んでいく。



(本当にお前が望んだ正義なのか…………?)


 ゆっくりと進む世界の中では、黒い巨人から剥き出しになった無数の霊子砲の発射口から蒼白の光が発生し始めた。


 それは発射口の奥に存在するコア、圧縮した霊力を溜め込む心臓部から発生した光。


 すなわち、霊子砲のチャージが始まった合図だ。


(いいやなんだっていい……!!)


 蒼白の光に包まれたアレキサンダーは、己を惑わす思考を切り捨てる。


(俺はお前を信じるぞ!!!!! )


 緩んだ手に力が蘇った。


「────モリー!!!!」

 

 剣の切っ先を黒い巨人に向けたアレキサンダーが叫んだ次の瞬間、ジグザグとした雷光が黒い巨人の全身を這うように駆け巡り、飛び出した霊子砲の砲身を切り落とした。


 モーリッツだ。


 モーリッツが切り落としたのだ。


 雷を纏ったモーリッツが、瞬きにすら満たない刹那で全て切り落としてみせた。


「一応くらいは僕の方が上なんだけどなッ……!!」


 切り落とされた霊子砲が落下していく最中、黒い巨人の背後に回り込んでいたモーリッツは素朴な感想を零す。


 砲身を切り落とされた霊子砲は暴発を防ぐための安全装置が作動したことで緊急停する。ピピピという無機質な駆動音が止まり、蒼白の光も溶けるように消えていった。


「モリーが切り落とした断面を狙えッ!!! 玩具ぶっ壊して内側から爆発させろ!!!」


 アレキサンダーが怒号に等しい掛け声を発すると同時、旋回を止めた騎士たちは一斉に黒い巨人へ飛び掛かった。


(霊子砲には圧縮した霊力を溜め込むコアがある! 鉄よりも頑丈に作られてるらしいが……その程度フェンリル騎士団俺たちならバター切るより簡単なんだよ!!)


 黒い巨人へ突っ込んでいくアレキサンダーの視線の先にあるのは薄紫色の水晶に似た半透明の球体、砲身が消えて露になった霊子砲のコアがある。


「自爆上等!!! 吹き飛びやがれ────!!!」


 振るわれた刃が、コアを切り裂こうとしたその瞬間。


 


〈火は天から降り来て、群がる悪を焼き払う〉

  

 停止した世界に謎の声が響く。


 沈黙を貫いていた空の巨大魔方陣が妖しく光り始めた。


────あとがき────

オリガは重要キャラです。

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