第81話 霊魔


[AC3998年13月29日 ジャスティティア北部 ムスペル高原跡]


 緋々と燃え上がるその黒い大地は、四日前までは広大な緑で埋め尽くされた高原だった。国一つくらいならすっぽり収まるほど広大なその土地は水と風と土が幾千年の間積み重なったものであったが、後に炎魔として世界に名を知られるようになる男の手によって一晩で焦土と化した。


 四日が過ぎても尚とどまることを知らぬ炎は戦闘機兵の残骸を黒く焦がし、帝国兵の死体を焼き尽くす。


 分厚い雲に蓋をされた夜空の下、参列者のいない大火葬の有様を見届ける者がいた。


「「……」」


 二人の少女だ。遥か上空に浮かぶ飛空艇の甲板から、白衣の男のすぐ両脇で地獄をジッと見下ろしている双子がいる。


 片方は猫のように鋭くつり上がった血のように赤い瞳と短い黒髪の少女。もう片方は常に眠気を帯びているような垂れ目を持つ金髪碧眼の少女で、長い金髪の内側が瞳と同じ澄んだ水色になっている。

 

 どちらも稀代の職人が精巧に作り込んだ人形と見まごうほど美しい顔立ちである。煌々と大地を焦がす炎を映すその瞳は恐ろしい光景を直視しても尚一寸の揺らぎもなく、世界を悟ったような眼でただジッと見つめている。


 対を為すような色彩をもった彼女らはスマートフォンで地獄の大地を撮影している。


「声」


 不意に金髪碧眼の少女が言葉をポツリと呟いた。


「声が聞こえる」


 金髪碧眼の少女は感情が欠落したような抑揚のない声で続けた。手に構えているスマートフォンは一切ブレない。


「……誰の」


 赤眼黒髪の少女がぶっきらぼうに問いかける。


「分からない」


 金髪碧眼の少女は答える。


「なんだか、苦しそう。とても」


 金髪碧眼の少女は独特なテンポで言葉を紡ぐ。


「スター、声は何と言っている?」


 沈黙を貫いていた男────ハートが問いかける。スター、というのは金髪碧眼の少女の名前である。


「熱い」


 一呼吸の間隔を置いてからスターは口を開いた。


「痛い。助けて」


 一つ一つは一拍の間をおいて発せられる。


 そして最後に語られるのは────



 瞬間、炎が青白く変色した。赤と琥珀色が混ざったような色彩だったのが、まるで色素を注射されたかのような勢いで蒼白に染まっていく。ガスバーナーやコンロから発生する炎の青とは全く毛色が異なる。


 炎の変色は焦土の中心から外側へかけて押し寄せる津波の如く広がっていく。炎は輪郭に近づくほど青く、内側へ近づくほど白かった。煌々と燃えていた炎も消えかけていた残り火も変色したそばから爆発的な勢いで膨張していく。


 やがて蒼白の炎の白に人面のような模様が浮かび上がったそのときである。


『ア″ア″ア″ァ″ァ″ァ″!!!』


 嵐のような怨嗟が夜空に轟いた。炎が生物の如くうねり始め、一点に収束する。


『アツイアツイアツイアツイ!!!』

『いやだ、いやだ、いやだぁぁああああ』

『こっちにくるなぁああああッ』

『助けてくれ!! 悪魔に殺される!!!』


 それは焼死した帝国兵の魂の絶叫であり、断末魔だった。幾万の死者の怨嗟であった。


「人は死んでも、その魂に自我と精神を保つ」


「死して肉体を離れた魂は通常、ジャスティティアを脱出して世界の狭間を彷徨うことでゆっくりとその自我と精神を浄化していく。そうして魂は輪廻転生の円環へ還り、新たな生命としてどこかの世界でまた生まれ落ちるのだ」


 ハートが双子へ語りかける。一点に収束した人面の炎が打ち上げられたように空を翔け上がる様を見つめながら。その間にも怨嗟の炎は空へ昇り、飛空艇の高度を超えても尚昇り続ける逆さの流星であった。


 やがて怨嗟が雲に届こうとしたそのとき、逆さの流星は弾け飛んだ。まるで見えない天井に衝突したかのようであった。刹那に膨張した炎が一瞬だけ空を塞ぎ、そして雲に吸われるように消滅する。


「しかし四千年前。テラーが神代の黄昏ラグナロクに勝利したことで一切の魂はジャスティティアから出ることが不可能になった」


 直後、大空に閃光が迸り、赤黒い炎が雨の如く降り注ぐ。次々に焦土へ着弾した炎は戦闘機兵の残骸や帝国兵の死体と融合し、逃れられない苦痛からの解放を求めてカタカタと振動し始める。尚も降り注ぐ炎は大地に着弾し、解放を求める魂たちは怨嗟の種をバラまいて、やがてソレは地震となる。


「行き場を失くした魂は永遠にジャスティティアを彷徨い続けるが、肉体というプロテクトを失った魂は世界に満ち溢れている霊力と直に曝露ばくろすることになる」


 地響きが発生する。大地の脈動はより激しくなり、あちこちで地割れが起こり始める。


「霊力はテラーによってこの世界に持ち込まれた魂を侵す猛毒だ。それゆえ、直に霊力に曝露した魂は死してなお忘れることが出来ない地獄の苦痛を体験することになる。魂は苦痛から逃れようとするが、テラーによって魂の牢獄と化したジャスティティアを脱出することは出来ない」


 ひび割れた大地の隙間から溶岩が噴き出す。黒い焦土が大きく隆起し始めた。


「苦痛に喘ぐ声すら出せず、終わりのない永遠に発狂することも出来ず。魂はただゆっくりと自らが崩壊していく恐怖と激痛の感覚を与えられ続ける。果てなき無限地獄に耐え切れず、自我を喪失した魂は輪郭が不安定になり、その結果霊力と混ざり合うことで魔物に転ずる」


 隆起した大地は山のように大きな巨人となり、赤黒い炎と溶岩を地面に垂らしながらゆっくりと立ち上がる。


『イツマデェェェェェ!!!!!』


 幾万の魂の絶叫が闇夜の静寂を引き裂いた。


「それが霊魔の正体だ」


 炎の雨が止む。


 焦土と死体と機兵の残骸で構成された黒い巨人が誕生した。


「だが魂は霊魔と成り果ててもその苦痛から逃れることはできない。だから霊魔は叫ぶのだ」


 ハートが一度言葉を止め、息を吸い、また口を開く。


「────


 眼鏡の奥にある双眸には黒い巨人から噴き出した炎が映っていた。


「……じゃあ、これを撮影する意味は何?」


 静かにハートの言葉に耳を傾けていた赤眼黒髪の少女がおもむろに疑問を口にした。ハートはやはり少女たちに目を向けることはなかったが、そっと、赤眼黒髪の少女の頭を撫でた。


「記録だ」

「記録?」


 ハートの解答に少女は首をかしげる。


「スター、カース。目に焼き付けろ」


 ハートは双子たちの名を呼んだ。


がもたらした炎によって死んだ帝国兵の魂は今、一体の霊魔となった」


 双子たちの視線が再び巨人へ向く。


「大陸退魔組合がこの霊魔を認知したならば即刻セラフィム級に認定され、直ちに一級以上の精鋭ハンターをかき集めた討伐体が編成されるだろうな。場合によっては零級出動もあり得る」


 黒い巨人の頭部は飛空艇と同じ高度にあった。しかし、黒い巨人はハートたちには目もくれずにある場所を目指して侵攻を始める。


「身を焦がす炎は怨嗟か、それとも悲鳴か……いずれにせよこの魔物は真っすぐテミス王国に向かっている」


 ハートは双子たちの頭にそっと手を置き、優しく撫でる。双子たちは特に反応を示さなかった。


『えんまぁぁぁぁぁぁああ!!!!』


 突然、黒い巨人が獣のような咆哮をあげた。焦土と死体と機兵の残骸が混ざり合った巨躯のあちこちの割れ目から赤黒い炎が噴き出す。元は戦闘機兵に搭載されていた無数のレーザー砲の砲口が背中から飛び出して、放たれた光線が空や大地を無差別に穿った。


「人類救済……我々メシアの目的は、ジャスティティアに囚われた全ての魂の解放だ」


「なら、アレも止めるの……?」


 蒼い双眸をハートに向けたスターの右の人差し指はテミス王国へ突き進む黒い巨人を差している。


「人類、救済……私たちの、役目でしょ?」

「……今の戦力では無理だ。戦闘要員は皆各地に散開して己の役目を果たしている」

「じゃあ、ラークたちは」

「ラークたちもだ。彼らには今アスガルで大事な実験を進めてもらっている。今呼び戻すわけにはいかない」


 のらりくらりとスターの疑問を躱すハートに、カースと呼ばれていた赤眼黒髪の少女は怪訝そうに見た。


「ならあそこで見物決め込んでる新人を使えばいいじゃない」


 カースが指差した先には、三人から少し離れた場所で黒い巨人を眺めている仮面の騎士がいた。


 黒い十字が刻印された仮面だ。必然か偶然か、その騎士はフェンリル騎士団に所属する騎士たちが身に着けている制服と全く同じものを着用している。唯一の違いはマント、騎士団のシンボルである公平の天秤のマークがパッチワークで覆い隠されていることだ。


「あのヘンテコ仮面もファウストと同じ戦闘要員なんでしょ?」

「アーサーは復元してからまだ日が浅い。確かに戦闘要員ではあるが、本格的に運用するにはまだ不安定だ」


 ハートは首を横に振る。カースの瞳の灯る猜疑の色がより深まった。


「……そんな目で見るな。如何に霊力学の父と呼ばれた私でも魂の復元は難しいんだ」

「じゃあ今からあのデカブツに殺される奴らのことは見殺しにするってわけ?」


 ハートは嘆息を吐く。少しの沈黙の後、「帝国に帰還するぞ」とだけ言って、そのままカースの追及から逃げるように甲板から去った。「アーサー」と呼ばれていた仮面の騎士もハートが屋内に入るのを確認し、ハートの後を追いかけるようにして甲板から出て行った。


「……ふん」


 カースは気に食わないと言った様子でその光景を見送る。


「行くわよ、スター」


 少しの空白の後、カースもまたハートを追いかけて屋内へ入っていった。


「……」


 一人残されたスターも、カースに着いていく形で屋内へ向かったが、途中で思い出したように足を止める。スマートフォンで撮影した映像をその場で見返し始めた。ハートの指示で撮影した一部始終。ある程度進んだところでピタッと、一時停止ボタンが押された。


 画面には赤黒い閃光が迸る大空が映っている。閃光によって不穏に照らされたその大空には、叫ぶ死体の貌で埋め尽くされていた。


「………………


 ポツリと、スターは感想を零した。


 ────この翌朝、黒い巨人はテミス王国に到達した。


────あとがき────


 スターとカースは63話でファウストの演説を撮影していたあの双子と同一人物です。

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