第76話 銀雪に惑う・Ⅶ

「ありゃりゃ! 足跡が途中で消えちゃってる!」

 

 リルがそう叫んだのは追跡していた足跡が半ばで消えていることを視認したときだった。元々消えかけの足跡ではあったが、風で舞い上げられた雪が僅かに残っていた痕跡を完全に消してしまったらしい。


「どうしよう! これじゃ足跡を追いかけられないよ!」


 表情に焦りを滲ませたリルに反応したのはアルベドさんだった。


「そこで俺の出番ってわけよ」


 そういうとアルベドさんは、足跡が途切れた場所にしゃがみ込んだ。そっと両手を地面に当てた刹那、僕はアルベドさんの霊力が急激に活性化したのを肌で感じ取った。


「スノーマンズフィールド」


 活性化した霊力がアルベドさんの体内から手を伝ってたちまちのうちに地面に広がり、雨水が染みこむように浸透していく。数秒と経たないうちに地面に積もった雪がふるいにかけられた砂利のように小刻みに振動すると、消えたはずの二つの足跡が真っ白な地面のキャンバスに浮上した。


「「おおお!!」」


 スルトとリルカが声を弾ませて興奮した。


「どうでい! これが先輩の力だ!」


 アルベドさんは得意げに胸を張った。


「バカとハサミは使いようだな」


 最近僕らに好かれようとし過ぎてから回った結果、騎士団のやってはいけないことリストに後輩への過剰な好感度稼ぎが記載されることになったギドさんがわざと嘲笑するような言いかたをしてアルベドさんを挑発した。


「おっとぉ、ここまでイイとこ無しなギド君が口を開く~~~~。君今ン所後輩に言い負かされただけの役立たずだけど自覚ありますか~~~~~~?」

「えぇ!? 別にテメェのことを馬鹿って言ったつもりはないんですケド!! 自意識過剰なヤツは嫌われるってママに教わらなかったのか? うわっ、かわいそー!」

「論点ズラしお疲れェい~~!! 図星突かれて言い返せなくてくやちいでちゅね~~~~!!」


 常日頃から相手に憎悪を抱いていなければ思いつかないような言い回しが飛び交う。


(((仲悪……)))


 喧嘩する程仲が良いという言葉ではもうフォロー出来ない口喧嘩に対して抱いた感想を心の中で呟く。スルトとリルの声も重なって聞こえた気がしたのは、きっと二人も同じ感想を抱いているからだろう。


「なぁギド。お前ってホント可哀想だよな。


 家が太いだけで足はクセェし 口もクセェし ケチクセェし 身長も人望もない。


 頑張って作った友達も彼女もお前のことを金ヅルとしか思ってなくて散々カモにされて裏切られて


 結局人間不信になって実家に引きこもって酒浸りになってママに泣かれてパパにたれて部屋に閉じこもって


 毎日毎日部屋の隅っこで泣いてるお前のことを一体誰が愛してくれるってんだよォ!!」

「言い過ぎだろォォがァァァ!!!!」


 約190文字に及ぶアルベドさんの口撃により、ギドさんの怒りは臨界点を突破した。


「※@$%&+*¥#!!!」

「なんか聞いたことのない言語を発し始めたよ!!?」


 怨嗟に満ち溢れた絶叫に反応したのはリルだった。


「怒りが強すぎて理性が吹き飛んだんだ!! 逃げろリルカ!!」

 

 スルトがリルへ呼びかける。そのそばにはやれやれと言った様子で息を吐くアレクさんとエミーリアさんがいる。僕ら八人の中で一番後ろを歩いていたテレジアさんは、遠巻きから子供のやんちゃを見守る老婆のような微笑みで一連の騒動を眺めている。

 

 しかし事態はそれどころではない。最初はただの揉みあいだったのが殴り合いへ変化し、それでも足りなかったのか両者とも剣を抜いてしまって、最終的には殺し合いに発展してしまった。ギドさんに至っては僕から取り上げた剣も動員して二刀流になっている。


百花吹雪ひゃっかふぶき!!!」

「スノーマンズフィールド!!」


 怒りに支配された二人が霊臓を発動する。荒れ狂う花吹雪と雪で作られた竜のブレスが衝突し、凄まじい轟音が一帯に響き渡った。


「「うわぁ……」」


 僕とスルトは思わず声を洩らした。


 1か月前の自分たちは傍から見ればこんな風に映っていたのかと思い知らされた。模擬戦の範疇を通り越した戦闘。目の前の二人と違い、純粋な競争心によるものだったことだけは幸い……なのか?

 

 リルが止めてくれていなければ今頃どうなっていただろう。二人の剣がぶつかるたびに徐々に変形する地形を見て僕は改めて自分の行いを猛省することになった。


「おい」

「分かってますよ」


 長年寄り添った夫婦のような掛け合いをアレクさんと行った後、エミーリアさんは、右手で何かを掴み引っ張り上げるような動作をした。


「「ギョエ!!」」


 殺し合いをしていた二人の身体が突然"気を付け"の状態を取る。二人の反応からしてそれが意図した行動ではないことは明らかで、よく目を凝らすと、極めて細く長い何かが二人の身体を縛り上げていることが光の反射から見て取れた。


 糸だ。恐らくはピアノ線のような硬鋼線、肉眼ではほぼ視認不可能なほど細い。あの右手を動かした一瞬の間にエミーリアさんは糸を操って二人を縛り上げたんだ。


「スゲェ……!」

「流石エミーリアさん!!」


 神業というものを目の当たりにしたことでスルトは絶句し、リルが拍手でその手際を賞賛すると、満更でもなかったのか、エミーリアさんはほくほくした顔を見せながら二人にサムスアップしていた。


 縛られた二人の手から剣が零れ落ちたのはそんなときだった。

 

「ぁ────」


 僕の目線は無意識のうちに落ちた剣へ向かっていた。


 身の潔白を証明するために差し出した僕の剣。


 ────今ならどさくさに紛れて取り返せる。

 

 陽の光を反射して輝いている刀身を見ているとそんな考えが頭に過る。皆の視線はエミーリアさんか縛られている二人に釘付けで、誰も落ちた剣のことなんか見ていない。見つかったとしても「万が一が起きないよう二人から武器を引き剥がす」とでも言えば言いくるめられる。


「……」


 決心して、足を一歩踏み出す。


 不安を掻き立てるけたたましいサイレンが突如として鳴り始めた。


「え!」


 僕は慌てて足を止めた。急加速した鼓動に焦りを煽られながら周囲を確認してみると、全員内心の驚きと困惑をそのまま表情に露出させていた。


「────全員その場から動くな!!」


 刹那にアレクさんの口から指示が飛び出したことで全員異常事態が起きたことを察した。無秩序だった空気が引き締められ、焦りが瞬く間に冷静へと戻る。そこで初めてサイレンが通信機から発せられているものだということが分かった。


 が、次の瞬間。


『警告!! テレジア・パトリオットに擬態した霊魔が救助対象に接近中!!』

「ぬぅ!?」


 テレジアさんが持つ通信機から流れた機械音声。


 無機質でありながらやけに感情的な声がとんでもない事実を告げたことで事態は急激に動き始める。


「な────」

『警告!! エルド・L・ラバーに擬態した霊魔が救助対象に接近中!!』

『警告!! スルト・ギーグに擬態した霊魔が救助対象に接近中!!』


 驚く声を上げる間もなく、怒涛のカミングアウトがサイレンの音を切り裂いて響き渡る。


  ────一次救助対象の100m圏内に霊魔が近づいた場合は霊魔が所持する通信機から警報が鳴ることを覚えておけ。


「!!」 

 

 モーリッツさんの言葉を思い出したその刹那、僕の肉体は一陣の風となって大地をけていた。


 考えるより先に身体が動いていた。


 一番初めに警報が起こったのは僕たち8人の中で一番後ろにいたテレジアさんの通信機。続けてほぼ同時に警報が鳴ったのは僕とスルトの通信機。テレジアさんの前にいた僕ら二人だ。


 つまり救助対象は僕らの後方にいる! 足跡の先じゃない! 


 駆け出した後、四次元的に重なりあった全ての思考が起こると同時に完結する。


 でもどうして? なんで後ろ? いつから? 何処かで辿る足跡を間違えた?

 

 色んな思考が点滅するライトのように浮かんでは消える。


「しまっ、止めろ!!!」と、焦ったようなアレクさんの声が随分遠くの方から聞こえてくる。


 もう遅い。


 僕は剣だけじゃなくて足も速いのさ。


 今更追いかけたところで誰も僕には追い付けない。


「────いた!」


 そして向かって正面からやってくる二人の人間。一人はどこかで見たことがあるような妙齢の男だが、僕の注意はもう片方の人物、特徴的なグレートヘルムに顔を隠している人物に向いていた。


「団長……!?」


 この訓練に参加していないはずの人間がなぜここに? まさか救助対象の護衛役? マニュアルには無かったぞ! それか裏ルールか? 


 いや何でもいい。


 救助対象に触れれば僕の勝ちだ!


「取った!」


 全ての思考を切り捨てた僕は、勢いのまま妙齢の男へ手を伸ばした。


「────ぬぉ!!?」


────あとがき────


次回! 国王死す!

 

※死にません。

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