第77話 剣は響く嘶きの如く

 時は少し遡り、エルドが脱兎のごとく駆け出した直後。エルドがグリム達に到達するまでの数秒間はまさに濃密という言葉が相応しい物だった。


「逃がさないわ」


 エルドの企みを察したエミーリアはギドとアルベドを拘束していた糸を瞬時に解く。続けざまにエルドを捕らえんとして放たれた糸は風を追い越すほどの高速でエルドに届こうとしていたが、そこでテレジアが霊臓を発動させる。


 結局、糸はエルドではなく血の防壁に絡みついて停止した。


「クッ……!」

「まだまだじゃの」


 エミーリアは憎らしそうに歯噛みして己の師匠を見やる。まだエミーリアが新人であった頃、糸による戦闘技術や医術を彼女に伝授したのは他でもないテレジアである。かつて己に道を示してくれた存在は、今だけは行く手を阻む難敵として立ちはだかったことを理解する。


 閑話休題。彼女らが行動している間に糸から解放された二人は剣を拾う。テレジアを止めようと駆け出すギドに対し、アルベドは迫ってくる救助対象との距離が通信機が反応する100mより縮まらないよう一、二歩後ろへ飛び退いた。


 この場にいる八人の中で霊魔の役を持つのはアルベド、テレジア、スルト、エルドの計四人。アルベド以外の三名は既に通信機から生じた警報によって正体がバレているが、救助対象から一番遠い場所にいたアルベドだけはまだ100m圏内に入っていなかった。


 それを理解していたからこその行動である。


「スノーマンズフィールド」


 距離を稼ぎ、刹那の猶予を獲得したアルベドは霊臓を発動。同じ霊魔役であるテレジアの足元に積もった雪を操作して巨大な手をつくると、そのままテレジアを握りつぶすように拘束する。

 

 並行して、己の足元に有り余っている積雪から創造した狼の群れをエルドに差し向けた。


「でかした!!」


 この行動によってアルベドを騎士側だと誤認したギドは進行方向をエルドに変更。右手には己の剣を、左手にはエルドから取り上げた剣を持ち、二刀流である。追われるエルドは無手であり、追い付かれれば為す術はない。


 それはスルトも理解しているところである。


「行かせねェ!」

「!」


 スルトは炎の噴出をブースター代わりにした高速移動でギドの眼前に迫っていた。


「パニッシャー!」


 爆炎を纏った拳が振り抜かれる。それはギドに当たる寸前で違う何かに命中し、直後に炎が炸裂し、スルトの視界を一瞬だけ埋め尽くす。


「!!」


 炎が収まり視界が晴れると、スルトは、己の拳を防いだものが半透明な銀色の障壁であることを認識した。


(シルバー・ガーディアン! リルカの霊臓か!!)


 障壁の向こう側にギドは既にいない。リルカの護衛を見越していたのだろう。一瞬の硬直はあったが、それでもほぼタイムロスを生じさせることなくスルトを躱していた。


(リルカがいない……? どこに隠れて────)


 スルトは瞬時に周囲を見渡してリルカを探したが、不思議なことにどこにも見当たらない。それ以上は時間の無駄だと判断してすぐに切り替え、レルヴァを召喚させる。


「足を狙え!」


 スルトは口頭で指示を出し、それを受けたレルヴァは大口を開いて熱線を放とうとする。アレキサンダーが放った弾丸はそれよりも早くレルヴァの頭を吹き飛ばした。


 スルトは反射的に弾丸が飛来した方向へ視線を向けた。


「アレク────」

「気付くのが遅い」


 アレキサンダーは既にスルトの背後を取っている。スルトは急いで振り返ったが、そこから行動する間もなくアレキサンダーが振り下ろした峰打ちを喰らってしまう。斬撃というよりも打撃に近いその強撃は脳天に直撃した。


 いかに頑丈な肉体を持つスルトと言えども脳震盪は免れず、必死の抵抗も虚しく気絶する。


『霊魔一体死亡。霊魔陣営残り三体』


 スルトが地面に倒れると、全団員の通信機に無機質な報告が流れた。燐光を放ち始めたスルトの通信機に呼応するかのように魔法陣が出現し、気絶したスルトと燐光を放つ通信機をベースキャンプへと転送した。


「ギド!!」


 スルト撃破の余韻に浸る間もなくアレキサンダーが叫ぶ。二文字に全てが凝縮された指令を受け取ったギドだが、内心で歯噛みしていた。


(追い付けねぇ……!)


 エルドの駆ける速度は凄まじかった。出遅れたことも相まって、致命的な差を付けられてしまっている。


(追い付けないなら────)


 焦りはない。むしろいつもより冷静だった。今一度エルドの背中を見据え、全神経を研ぎ澄ませる。


 膨張する集中力がギドの速度を極限まで押し上げる。


 その速度に、世界は置き去りにされる。


氷花旋風斬ひょうかせんぷうざん


 振り下ろされた二本の剣から斬撃が飛ぶ。赤と白、それぞれ異なる色の花吹雪を纏った斬撃はエミーリアの糸をはるかに上回る速度で空を走り、置き去りにした世界を切り裂いて進んでいく。


『警告!! アルベドに擬態した霊魔が救助対象に接近中!!』

 

 はずであった。


「させねぇよ」


 通信機から発せられる警報、背後から聞こえたアルベドの声。


 エルドを除く皆の意識がアルベドに向けられる中、ギドは一人、エルドを追っていたはずの狼たちが突然踵を返して斬撃へと飛び込む瞬間を目撃していた。


 否、追っていたのではない。


 狼たちは始めからエルドを守るために付き従っていた。


「一歩退いたのはそういうことかよ!!」


 速度に重きを置いた斬撃は見た目よりも脆く、そして軽い。故に狼たちと衝突したことで呆気なく霧散してしまった。ギドは再び斬撃を繰り出そうとするが、忍び寄っていた血の鎖が両手の剣に絡みついたことで不発に終わる。


 テレジアの霊臓だ。


「クソッ!」

 

 ギドは思わず振り返る。ギドが自身の選択ミスを理解したのはテレジアを拘束していたはずの雪の手がボロボロと崩壊し始める様を視認したときだった。


「ほれ王手────」

 

 軽い掛け声と同時に騎士陣営全員の身体が血の鎖に縛られる。


 一手で戦場を支配したテレジアだが、これを予測していたアレキサンダーだけは鎖を躱してテレジアへ接近。振るわれた剣を間一髪杖で受け止めたテレジアは、しかし非力ゆえに押し負ける。体勢を崩してしりもちをついた際に手から杖が離れたことで血の鎖が消滅した。


「その台詞は煽りだろ。俺がいるってのによ」


 テレジアを見下ろしながらアレキサンダーは笑う。それと同時に背後に忍び寄っていたアルベドの剣を恐ろしく正確な射撃によって弾いたのだが、このときアレキサンダーはテレジアから一度も視線を外していなかった。


「違うな。これは勝利宣言というものじゃ」


 しかしテレジアは勝利を確信したように笑みを浮かべている。


「エルドは既に救助対象に到達しておる」


 アレキサンダーが静かに目を見張る。

 

 以上が、エルドが駆け出してからグリムらに到達する数秒間の出来事である。


 ────そして現在。


「取った!!」


 救助対象であるオットーに激突する勢いで迫ったエルドは手を伸ばす。

 

 その刹那、二者の間に発生した銀色の障壁がエルドの手を受け止めた。


「ぬおっ!!?」

「陛下!!」

 

 これに驚いたオットーはしりもちをつく。グリムは大慌てでオットーへ駆け寄った。


「……」


 その一方でエルドは銀色の障壁を悟った目で見ていた。


「いつから気付いてたんだ?」

「最初からだよ」


 エルドの声に答えたリルカは背後に立っている。あの場にいた誰よりも先にエルドの意図を看破していたリルカは、エミーリアが行動するよりも早くエルドの追跡を開始していた。


「エルドの考えることなんて全部分かるんだから」


 言いながら微笑んだリルカはさらに障壁を生成した。前後左右上下の全てを障壁に塞がれたことでエルドは閉じ込められた。


「だけど大変だったよ? 私の霊臓シルバー・ガーディアンは遠くまで届かないのに、エルドってば凄い速さで走って行っちゃうから間に合わないかと思ったもん」


 全方位を障壁に囲まれ、武器もない。


『────霊魔二体死亡。霊魔陣営残り一体』


 その状況で通信機から告げられた絶望的な報告。


「でも、私達の勝ちだよ!」


 テレジアたちを制圧したアレキサンダーたちもすぐに来るだろう。

 

「僕の負け、か」

 

 エルドは観念して目を瞑る。


 ────どこからか、スレイプニルの嘶く声がした。

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