第74話 銀雪に惑う・Ⅴ
吹雪が止んだのは一夜が明けた後だった。準備を済ませて洞穴をでたのは訓練開始から丁度24時間が過ぎたあたりで、スルトも目を覚ましたとギドさんたちから連絡もあった。出発してから少しの間、僕とリルに対して三人からの生温かい目があったが、すぐにスイッチが入り、たちまちのうちに真剣な顔になると軽口は一切なくなった。
今日はあのスレイプニルというらしい馬が起こした吹雪の名残で風が強い。空は晴れているがいつ急変するかもわからない。チンタラしていたら遭難する可能性だってあり得る。
昨日は運よく洞穴があったので最悪は避けられたが、次同じことが起きた際に都合よく逃げ込める場所があるとは限らない。あれやこれやと話し合った結果、どのみち救助対象を見つけるまで下山など出来ないからいっそのこと山頂まで今日中に登り切ってしまおうという結論に至った。
普通ならニヴルヘイムを一日で昇りきるなんて無理だが、こちらには空を飛べるテレジアさんがいる。今も僕らの頭上を付かず離れずの距離で飛行しながら進行方向を逐一提示してくれている。そのお陰で登山にしては速すぎるペースで進行することが出来ている。
「やっぱり空飛べるのって凄いんだねー」とはリルの言葉だ。これがトリガーとなり、真剣だった空気が緩み始めた。まず、テレジアさんに対抗心を燃やしたらしいアレクさんが「俺も頑張れば飛べるんだぜ?」と自慢するように言った。
「はいダウト! アレクさんは
「フッ……まだまだ青いな」
リルが挙手しながら指摘すると、アレクさんはわざとらしく髪を手で払いながら意味深な言葉を残した。
「あんまりやり過ぎるとまたエミーリアさんに怒られちゃいますよ」
「おっとっと! そりゃ勘弁だ!」
僕はちょっと冗談ぽく言ってみるとアレクさんはおどけた態度を維持したまま引き下がった。エミーリアさん的にはこれはどういう判定なのかと思ってチラッと目をやるとくすくすと笑っていた。
個人的に意外だと思った。エミーリアさんは、アレクさんがちょっとでも調子に乗ると大分辛口なツッコミを入れる。いわばブレーキのような役割を自主的に行っている節がある。だから今回もそうだと思っていたのだが……一体どういう基準があるんだろう。
「お喋りはそこら辺にしておけ。そろそろ山頂、道が険しくなるから油断すると落ちて死ぬぞ」
テレジアさんの一声が緩んだ空気を引き締めた。流石は騎士団最年長。見た目は子供だけど、ふとしたときに見せるリーダーシップや行動力はとても心強い。
山頂目前の山道は確かにとても険しかった。山というより岩山。傾斜がかなりきつい上に凍結した積雪のせいで非常に滑りやすい。そのため道中は何度かヒヤッとする場面もあったが、最終的には無事に山頂までたどりつくことが出来た。
流石は霊峰、山頂には巨大な祭壇とテミスの神像が建てられていた。王国に建てられている神像と全く同じものだ。だが王国の神像と違い、このテミスの神像にはどこか息を呑んでしまいそうになる聖なるオーラを纏っている。僕はそう感じた。
テレジアさんたちは何やら三人で固まって話し合いをしている。三人とも深刻そうな表情を浮かべていてどこか近寄り難い空気があったから、僕は消去法でリルがいる場所に足を運んだ。彼女は今しゃがみこんでいて、地面にある何かを観察しているらしい。
「見て」
隣に寄ってきた僕を察知したリルが地面のある一点を指差した。示された場所へ目をやると、そこには消え掛けの足跡が二つあった。薄っすらとした二つの軌跡は祭壇の方から登山道に向かっており、下山したことが伺える
「これ、足跡だよね?」
「間違いない。僕らの前に誰かが来ていたみたいだけど────」
僕はこくりと頷いたが、強い違和感を覚えた。
「なんで足跡が二つしかないんだ?」
「……あ」
「他のグループが来ていたなら三つないとおかしい」
スレイプニルの吹雪に巻き込まれて一人、二人欠けたグループが来た可能性はある。だけどあの吹雪と雪崩に巻き込まれてすぐに山頂へたどり着くのはテレジアさんがいない限り無理だ。祭壇にたどり着くまでの足跡がどこにもないのもおかしい。
「ここに転送された何者かがいた……?」
仮説を口にした瞬間、無作為に記憶されていた情報の数々が色付き始めた。
山頂に転送された人間がいることは間違いない。登って来た足跡が見つからないことからそれは確定している。
じゃあ何で二つしか足跡がないんだ? グループは全て三人で統一されている。途中で脱落して欠員が出た場合はその限りじゃないが、転送された時点では絶対に三人いる。
霊魔役にやられたか、それとも他の要因で脱落した? 違う。それならば死亡通知が届くはずだ。
ならば一体誰の足跡なのか?
「────救助対象」
「え?」
僕が出した結論にリルが素っ頓狂な声をあげた。
「多分だけど、救助対象はこの祭壇の中に転送されたんだ。そして救助対象は二人いる」
無秩序な色彩が整えられていく。綺麗なグラデーションを形作るかのように、情報と情報が繋がっていく。
「じゃあ、この足跡を追っていけば……!!」
「あぁ。その先に救助対象がいる」
リルが言いかけた言葉を肯定する。リルは立ちあがると、急いで三人の居る方へと駆けて行った。僕は一人残されたわけだが、なかなかどうして、拭いきれない違和感が頭の中に居座ってる。
それは恐らくこの訓練そのものに対する疑問だ。一ヶ月間に団長から渡されたマニュアルを読んだときから小さな違和感はずっとあった。スルトも言及していたが、こんな回りくどいルールをなぜわざわざ設けたんだ?
普通の訓練とは全く違うものにしようという意図があることは理解できる。だけどわざわざ疑心暗鬼を煽るような訓練にした理由が理解できない。それで団員同士の仲に亀裂が入ってしまえば今後の連携に支障が出る。それでは本末転倒だ。
それはこの訓練を考案した団長が一番よく分かっているはず。僕はまだ団長のことを分かっているわけじゃないけど、少なくともあの人がバカではないことは理解している。
ならば団長は疑心暗鬼による不和を認知した上で実行に踏み切ったということになる。わざわざそれをした理由はなんだ? そこには必ず思惑がある。無いはずが無い。
考えろ。どこかに決定的なヒントがあるはずだ。
綺麗に整理された情報の色彩。そこに紛れる致命的な綻びを砂漠の砂粒を摘まみ上げて観察するように探す。些細なものでも見逃さない。探し出す集中力が世界を凪に変える。音が消えた。
やがて凪いだ世界の中で、僕は答えを発見した。
「そういうことか」
答えは、最初から提示されていた。一か月前から。他でもない団長によって。
当日まで明かされないはずの訓練内容、マニュアル、グループの組み分け。
僕らだけに知らされた理由。それは即ち、この訓練が僕らを試すためだけに設けられたものだからだ。気絶した僕らが脱落していないのはそういうことだ。
そして予想が当たっているならば…………
「おーい!」
集中の凪を切り裂いたのは山頂にたどり着いた第三者の呼びかける声だった。思考を止めて声の主を探ると、そこにはギドさんとアルベドさんがいた。少し遅れてスルトも、二人の背中を追いかけるように山頂へ姿を現した。
ギドさんとスルトはまずリルたちがいる所へ向かったが、その一方でアルベドさんだけが一人僕の所までやってくる。
僕は一度目を瞑りながら、深く息を吸って吐いた。
「どうもアルベドさん。しばらくぶりですね」
「よっすよっすエルド。昨日リルカから聞いたぜ。 あのクソ馬野郎にやられたらしいな。」
「為す術無かったですよ。三人揃って"気絶"しちゃいました」
ある部分を強調していうと、途端にアルベドさんの眼の色が変わった。少しだけ見張った目はすぐさま戻り、代わりにニヤッと笑みを浮かべた。
「お前、もう気付いたのか?」
「全部はまだ分かってませんよ。ただ、これから僕が何をすればいいのかは分かります」
一段と笑みが深くなる。アルベドさんは満足したような声色でこう言った。
「エルド。俺は、お前が霊魔役だっていうことをはじめから知ってる」
「!」
「団長から事前に知らされたのさ」
そのカミングアウトに思わず目を見張る。それは答え合わせだった。
「このことを知ってんのは俺とあと二人だ。実はどっちもこの山頂にいるぜ」
「…………誰なのか教えてもらうことは?」
「それじゃ訓練にならねぇだろ。自分で判断しろ」
こう返されることは分かっていた。ダメで元々、予想通り。むしろ霊魔役が僕を含めて四人もいることを知れたのだから僥倖だ。しかも全員山頂にいる。
ならば見分けるまでもない。ある方法を使えば、一瞬で判別できるのだから。
……惑わされるのはもうお終い。
「────アルベドさん。一番槍は僕がやります」
「お?」
「僕が動いたらすぐにフォローしてください」
アルベドさんは少し獰猛な笑顔を浮かべながら頷いた。
「いいぜ。全力でサポートしてやるよ」
これ以上ないほどに頼もしい返事だった。
────ここから先は、僕が惑わす番だ。
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