第70話 銀雪に惑う・Ⅰ
笑い話になるような紆余曲折を経ながら迎えた特別訓練当日。騎士団は朝早くから王国を発ち、正午過ぎに王国領北西部の件の霊峰へ到着した。
普段ならそこそこの数の登山者で賑わう登山口も、騎士団が事前に掛けた入山規制によって今だけは誰もいない。いるのは全員騎士だ。
「アレクさーん! こっちのペグ打ち終わりましたー!」
「あいよー!」
今は簡易的なベースキャンプを設営している最中。この間の弾丸登山で培ったノウハウが意外な形で発揮されている。スルトやリルも同じようで、先輩方は手際の良さに驚いていたり感心していたりと好反応を見せていた。
「助かったぜ坊主ども。お陰で予定より早く終わったよ」
「へへーん♪」
設営が終わった後、満足そうな顔をしたアレクさんからもらった褒め言葉にリルが例のごとく調子づく。リルは些細なことでも褒められると今みたいに分かりやすい反応を見せるので、先輩方からよく可愛がれている。皆きっとリルのことを人の形をしたゴールデンレトリバーだと思って接しているのだと思う。実際僕もそう思っているしね。
「それにしてもやけに手際良かったな。まるで熟練キャンパーみてぇだった」
神妙な顔つきを向けてくるアレクさんに僕はなんだか嫌な予感を覚えた。それが当たっていることに気付いたのは次の瞬間、リルが口を開いたときだった。
「それは1ヶ月前に訓れ────もが!?」
「1ヶ月前くらいからリルが突然キャンプにハマったんですよ! それに僕らも釣られて……なぁスルト?」
「あ、あぁそうだ! オレ達もリルに誘われてキャンプ沼に沈められてたんスよ!」
「今なんかエグイ言論弾圧起きた気がするんだけど気のせいか?」
リルが余計なことを口走る前に手で塞ぎ、代わりにそれっぽいことを述べる。僕の意図を汲み取ってくれたスルトも援護してくれた。
「そ、そんなわけないじゃないッスカー」
「ぼぼぼ僕らはいつもこんなんですヨー。ア、アハハハハ……」
「~~!!」
「……なんかもがもがしてるけど」
「「いつものことです」」
「そ、そうか……」
パッションでゴリ押すと、アレクさんはちょっと狼狽える様子を見せながら引き下がった。そのまま何か言うこともなく、すぐにエミーリアさんに呼ばれて僕らから離れていった。ある程度距離が出来た頃合いを見計らい、そこでようやくリルを解放した。
「いきなり何するの! ビックリしちゃったじゃんか!」
「それはこっちのセリフだ阿呆! 団長から他言無用だって言われてただろうが!」
「……あ」
周囲に聞こえないよう小さな声でスルトが注意すると、リルはハッとしたような表情を浮かべた。
「まさか忘れてたのかい?」
「えへへ……ご、ごめん……」
「オイオイ頼むぜ……」
後頭部を摩りながら困ったように笑うリルに対し、僕らは二人して不安を抱くことになった。ため息が出そうになるのを僕が抑え込んでいる裏でスルトは、通信機器の回収ボックスを重たそうに持って回っていたテレジアさんを手伝っていた。そのままテレジアさんからボックスを貰ったスルトが僕らの方へ戻って来たので、僕も持っていたスマホをボックスへ預けた。
「総員注目!」と、団長のよく通る声がベースキャンプに響いたのはそんな時だった。それまで少しばかり、あちこちから聞こえていた談笑がピタリと止んだ。
「これより訓練中に使用してもらう通信機を支給する。団員の名前と通信番号を登録してあるから、連絡を試みる際は登録された番号をそのまま使ってくれ。またこの通信機は、君たちの位置情報をベースキャンプで待機している我々に逐一共有するためのものでもある。いわば万が一が起こった場合の命綱だ。紛失することが無いように徹底せよ」
配られた通信機は見た目だけならどこにでもあるようなものだった。通信機というよりスマホと言った方が適当かもしれない。しかし画面を付けてみると表示されたのはホーム画面ではなく、通信機に登録されてある番号・名前の一覧表だ。スワイプしてもスクロールしても画面が動くだけで何も起こらない。画面上端に現在の時刻とバッテリーの残量があるだけだ。
なので最も適当なのはスマホの形をした通信機という表現だろう。通信機という名前だから難しく感じるが、感覚としてはいつもスマホを使って通話するときとほぼ同じ要領で使えそうだ。
「それじゃ、ここからは団長に代わって僕から訓練概要を説明させてもらう。今回は結構複雑なルールがあるから聞き漏らすことのないように」
通信機が全団員の手に渡ったところで、団長とバトンタッチしたモーリッツさんが話を切り出した。
「本訓練ではニヴルヘイム内で遭難した登山者の救助任務を想定している。身に染みているだろうが、ニヴルヘイムは過酷な山だ。だから訓練中は常に三人グループで行動してもらう。組み合わせはベースキャンプで待機する僕と団長を引いた全団員から無作為に選出してある。だが君たちが自分と同じグループの人間を知るのは訓練が始まった後。全グループは訓練開始と同時にニブルヘイム内のランダムな地点に転送され、そこでようやく初顔合わせという運びになる」
全てマニュアルにあった通りだ。一言一句、何もかもマニュアルと同じ説明。
「救助対象はニヴルヘイムのどこかにいる。一刻も早く救助対象を保護して帰還せよ。訓練開始から72時間が経過しても対象を保護できなかった場合は要救助者死亡とみなし、任務失敗として訓練も即刻終了する。加えて24時間以上他のグループと合流できなかったグループは遭難者判定を下すが、当該グループはその時点で二次救助対象となることを肝に銘じておけ。判定後に合流できた場合、遭難者判定は即座に取り消される」
覚えることは確かに多い。だけど難解なことを言っているわけではなくて、むしろ何も特別なことは何もない。どれもこれも、遭難者を救助する際は絶対気を付けなければならない常識だ。
「訓練終了の条件は三つだ。まずは要救助者の救出及び全団員の生還。要救助者死亡による任務失敗。そして団員に擬態した霊魔の襲撃による団員全滅だ」
重要なのはここから。マニュアルを貰ったからこそ分かるが、今から説明される事項こそがこの特別訓練が特別たらしめる最大の理由だ。
「転送後に各々の"役"を告げるメールを送信する。霊魔は遭難者の殺害、騎士は要救助者の保護を目的として行動しろ。霊魔が救助対象の身体に触れた時点で救助対象には死亡判定が下される。霊魔となった者は必要であれば騎士を攻撃しろ。同様に攻撃された者も躊躇わずに反撃しろ。互いに殺す気でな」
付け加えられた最後の一言に誰も動揺することはなかった。代わりに場の空気が引き絞った弓のように張り詰め、漂っていた沈黙が緊張を帯び始める。
今この瞬間、全員のスイッチが入ったのだ。
「……念のため言っておくが、本当に殺すなよ。死亡判定は「気絶や拘束等によって行動不能になった場合」と「他グループと合流できないまま48時間経過した場合」に加え、「二次救助対象となった者が霊魔と接触した場合」のいずれか一つを満たした瞬間に下される。ただし霊魔には行動不能以外の条件は適応されない」
つまり霊魔は殺されるまで死なないということだ。随分と霊魔に有利な条件だが、実際の現場はもっと酷いから気にはならない。
「最後に補足するが、二次救助対象が死亡しても訓練は終了しない。そして一次救助対象……遭難した登山者だな。一次救助対象の100m圏内に霊魔が近づいた場合は、霊魔が所持する通信機から警報が鳴ることを覚えておけ」
説明はそこで終了した。
「……?」
なんだ、この違和感は……? 喉に魚の小骨が刺さっているような……小さいけど、気のせいじゃない確かな感覚がある。
「説明は以上だ。────では、訓練開始」
違和感の正体を解明する間もなく、いつの間にかベースキャンプ全体に設置されていた転送霊気陣が作動する。白い雪の地面に浮かび上がる魔法陣の燐光が僕らを包み込み、思わず目を瞑ってしまう。次に目を開けたとき、僕らは既に既にニヴルヘイムの中に転送されていた。
「うし! 気合入れていくぜ!」
「おー!」
すぐ隣に転送されてきた二人は気合十分。やがてポケットの中に入れていた通信機が振動したことでメールが送られてきたことを理解した僕は、そこで一旦思考を打ち切ることにした。
メールを開く。
「!!」
そこにはただ二文字、[霊魔]とだけ書かれていた。
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