第71話 銀雪に惑う・Ⅱ

[霊魔]


 自分の役を理解した瞬間に何かとてつもなく重いものが肩に圧し掛かった気がした。


「すっごくいい景色!!」

「尾根の上に転送されたのか。訓練中じゃなきゃゆっくり楽しめたんだが……」


 眼前に広がる青空と白銀世界のコントラストに目を奪われている二人を見ると、肩に圧し掛かったそれがさらに重くなったように感じる。


 二人の役はなんだ? 僕と同じ霊魔か? それとも騎士か? 僕はどうするべきだ? どう動くのが最適解だ? そもそも霊魔役は僕以外にいるのか?


 考えなければならないことが鉄砲水の如く大量に押し寄せてくる。段々と滲み出す落ち着かない感情が僕を断頭台に連行される罪人の気分にさせてくる。


「……エルド?」

「ッ!」


 リルの心配そうな声にハッとする。気付かれたかもしれないと思った。僕は慌てて、でも慌てていることがバレないように表情を取り繕った。


「どうしたの? ぼーっとしてたけど……」

「ごめんごめん。ちょっと転送酔いがね」


 転送酔いというのは読んで字のごとくだ。転送霊気陣による移動を行った際に画面酔いやカーゴ酔いに酷似した症状が起こることを意味する。今実際に転送酔いを起こしているわけではないが、この状況において僕が最も違和感なく使える嘘だった。


「あーそりゃシンドイよなぁ。ちょっと休んでから行くか?」

「いやいいよ。ちょっとした立ち眩みぐらいのものだから。もう治ったしね」


 スルトの気遣いに若干の申し訳なさを覚えながら断わりを入れる。悪いことをしているわけではないのに、まるで自分が詐欺師になったみたいな感じがして凄く心苦しい。善意を踏みにじっている気がする。


 その心苦しさを押し殺しながら僕はまた口を開く。


「そろそろ出発しよう。無駄に時間を浪費するのは一番やってはいけないことだ」

「それはそうだが……本当に大丈夫なんだな?」

「勿論さ。ここで嘘を吐く意味がないだろう?」

「……またしんどくなったらすぐに言えよ」

「ありがとう」


 スルトはしぶしぶといった様子で引き下がった。


「それじゃ行こうか。はやく他のグループと合流しないと」

「おう」


 話もそろそろに切り上げて僕らはようやく行動を開始した。訓練は72時間もある。先延ばしにするわけではないが、今すぐに全ての決断をする必要はどこにもないだろう。そう考えて僕は判断を一旦保留することにした。


「……」


 後ろを歩いていたリルから神妙な顔で見つめられていたことに僕は気づけなかった。



「よし、そろそろ頼む」

「あいよ」


 僕の要請を聞いたスルトが上空へ向けて大きな火球を発射する。火球はぐんぐん空の上を目指して突き進んでいく。ある程度までたどりつくと火球は轟音を立てながら無数に弾け、それらは流星群のように降り注ぎながら着弾する前に消滅していった。


 これは僕らの位置を周囲に知らせるための照明弾。近くに他のグループがいれば火球を目撃した時点で僕らがここにいると分かる。定期的に発射することで位置情報の更新を行っている。


「これで4回目……本当に見えてるのかなぁ……」

「多分1グループくらいは見えてると思うぞ」

「その心は?」

「ニブルヘイムにゃ木とか殆ど生えてねぇからな。谷間でもない限りはどこも見晴らしが良いんだよ」


 スルトが冷静な回答にリルは納得した様に手を打つ。僕も言われてから改めて尾根の下に広がる絶景を確認してみると、本当に木は一本も生えておらず、一面に広がる白銀世界の景色を遮るような障害物はどこにもない。


 そして最後にスルトの解答を証明したものは、突如鳴り始めた通信機の着信音だった。懐で振動する通信機を取り出して画面を見たスルトが二ッと口角を上げる。


「テレジアさんだ」


 それだけ告げてスルトは通信を開始した。


「ウッス、テレジアさん。今の見えましたか? ……ホントっすか? 良かった良かった。今オレらは尾根に沿って移動してるんですけど、合流したいんでそっちの場所を…………え? 合流しない? なんでまた………………あ、あぁなるほど! そりゃ確かにそうだ! OKッス! また後で会いましょう!」


 通話が終わるまでの間、スルトの表情は二転三転していた。なにやらテレジアさんから提案があったみたいだ。どうやら近くにはいるらしい。


「どうだった?」

「ほらあそこ────」


 笑いながらスルトが空を指差した。僕とリルが揃って見上げた先には、驚くべきことにテレジアさんが飛んでいる姿があった。背丈に合わない錫杖を魔女の箒のように跨り、凄いスピードで僕らの上を通り過ぎていく。その後を追従するように飛んでいるのはテレジアさんの霊臓によって作られた真っ赤な血のソリ。そこにはエミーリアさんとアレクさんがいた。


 ソリの真ん中で優雅に座っているエミーリアさんはこちらに手を振っており、アレクさんは途中で投げ出されたのかソリの足を掴んで落ちないように抵抗していた。


「エミーリアさんだー!! おーい!!」

「アレは果たして魔女かサンタクロースどっちを意識したものなんだろう」

「いやそれよりもっと突っ込むべき所あるだろ。何でアレクさんだけ引きずり回しみたいになってんだよ」

「さぁ……エミーリアさんに失礼なことでも言ったんじゃないかな」

「あー……めっちゃ納得したわ」


 僕の意見にスルトは納得したみたいだ。凄く適当だったんだけどな。

 

 そんなこんなで過ぎ去っていった一行を見送りつつ、僕らは思い思いの感想を零していた。ひとしきり言い切った後、スルトがもう一度火球を天に打ち上げ、僕らは捜索を再開した。


「しかし、ありゃ一体どういう原理で飛んでるんだ? 霊臓じゃねぇよな?」


 道中の話題はスルトがふと零したテレジアさんの飛行能力についてだった。あの人が空を飛べるということは騎士団の誰もが知っているが、なんで・どうやって飛んでいるのか僕らは知らない。


 一度気になると好奇心が擽られるのは当然の結末だった。


「テレジアさんの霊臓は血だからね。空を飛ぶ能力は無かったはずだよ」

「あの背丈に全然合ってない杖の力じゃないかなぁ? 魔女みたいに杖に跨ってたじゃん」

「あーソレ滅茶苦茶有りそうだな」


 このまま続くと思われた考察だが、それは直後に僕ら全員の通信機から鳴り響いた警報音によって打ち切られた。


『────団員二名死亡。騎士陣営残り144人』

「「「!!」」」


 警報音と共に流れた機械音声が緩い空気を切り裂く。一変してピリピリするような緊張感が僕らの肌を撫でた。


「これってまさか……!」

「間違いねぇ……!」


 リルとスルトが冷や汗を流しながら何かを察した風に言う。それは言葉には出さなかった僕も同じで、今この瞬間にこの訓練の核心であろう事柄を理解した。


 二人の考えていることを代弁するようにして僕も口を開いた。


「霊魔だ!」


 僕が言い切るその刹那、僕は背後に何者かの気配を感じ取った。


 振り返るよりも先に死を意識した。


 僕ら全員が、同時にだ。

 

 今日は快晴。ニヴルヘイム上空には雲一つない。


 なのに突然現れた巨大すぎる影。それがまさに僕らの背後にいる存在のものだということは否が応でも理解できた。理解させられた。


「な……」


 圧倒的な気配に打ちのめされて声も碌に出せない。それでもなんとか、僕は目だけ動かして気配の主を垣間見ることが成功した。


「!!!」


 成功してしまったと言うべきかもしれない。


 なぜならそこにいたのは────────


「霊魔……!?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る